鉄道(地方民鉄)

2024年7月15日 (月)

ナローゲージを楽しむ(2)

阿下喜、何と読むのかわかりませんでしたが「あげき」。なるほど、その通りに読めば読めますが・・・。

2006(平成18)年~2008(平成20)年にかけて整備されたプラットホームや駅施設はなかなか立派なものです。

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駅南側には「軽便鉄道博物館」があります。市民グループ「北勢線とまち育みを考える会(ASITA)」が保存車両の管理を行い、第1、3日曜日に公開されています。旧駅舎北西側から移設した転車台を囲むように、ミニレールが敷設されています。

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1931(昭和6)年製のモニ226が保存されていますが、補修中でした。雨漏りがしたそうです。

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前出の転車台を回るように敷設されたレールを走るのはこれらのミニ電車たち。なかなか面白そうでしたが訪問時は昼食休憩中(涙)。

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その時間を活用して良~く観察させて頂きます。動力はこのモーター1基。

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チェーンで車軸に伝導しますが歯車比? 確認できませんでした。

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もっともらしい運転台なのですが、おそらく制動弁は“お飾り”なのでしょうね。運転状況を見られなかったので残念ですが、こんなのだったら是非自分で動かしてみたいですね。

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館内は北勢線の歴史が模型やパネルで紹介されており、興味深く観ることができました。

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ただ何といっても北勢線運行本数の制約があるため、30分程で乗ってきたこの編成に再び乗車せざるを得ませんでした。

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それにしても、ここで2時間使うのも勿体無い気もするし・・・、折角こちら方面に来た以上は他も見たいし。ということでこの先の予定に移行することとしました。

 

 

2024年7月13日 (土)

ナローゲージを楽しむ(1)

大阪難波から乗った“ひのとり”を津で降り、

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五十鈴川から来たこの特急に乗換えます。

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その特急を桑名で下車。その桑名駅は西側から近鉄名古屋線、養老鉄道、JR関西本線のホームが並び、その先にあるのがこの駅。「西」が付いた駅名ですが、位置関係は「東」なのです。なんで?? 桑名駅は「東口」を出なければ行かれません。池袋の西武(東口)、東武(西口)を思い出します。

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台車心皿上部のこのパーツ、見られるのは久しぶり。

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全幅2,110㎜と小さくとも、雰囲気は近鉄電車そのもの。それもそうです、近鉄北勢線だった1977(昭和52)年に近畿車輛で造られた車両なのですから。因みに全長は15,600㎜は我が国の762㎜軌間の鉄道車両としては最大らしいです。

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天井には横流ファンとLED照明器具。

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長閑な田園地帯を行きますが、窓からは心地よい風が。この車両に冷房装置は搭載されていません。

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東員駅でク141を先頭とする4両編成と交換します。

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141-136-142-273の4両編成。

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阿下喜方は273ですが・・・、
この273の側扉上には見慣れない表示「非冷房車」ですと。

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小さな車両であっても、運転台は立派な近鉄電車ではありませんか。

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東員は北勢線の要衝のようで、乗務員交代もここで行われます。ふと車外に目をやれば松山重車輛製造の軌道モーターカーが。

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楚原で交換し・・・、

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その後は山並みに向かって田園地帯を進みます。曲線部にはしっかりガードレールも備えられ、架線設備も立派なものです。

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1916(大正5)年に建設されたというコンクリートブロックアーチ橋の歴史的遺産「ねじり橋」、同じく2009年(平成21年)に「土木遺産」に選奨された「めがね橋」を越え、麻生田駅を過ぎれば終点の阿下喜です。

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1面2線のプラットホームを構えた奇麗な施設に驚きました。路線距離20.4㎞を60分、吊り掛け式のモーター音を楽しみました。

 

 

2024年6月25日 (火)

北陸鉄道小松線1975年夏

半世紀にわたりお付き合い頂いているぼっちぼちさまのブログ「1971年 春 北陸鉄道小松線」に刺激され、訪問した時のことを思い出しました。OER3001氏が訪ねたのは4年後ということになります。

社会人になって3回目の夏休み。短くも充実した休みにしようと富山地方鉄道を目的に出掛けたと記憶しています。小松に寄ったのは帰宅するために小松空港に向かう途中だったのか、あまり良く覚えていません。

北陸鉄道小松線については、前述のぼっちぼちさまが丁寧に解説されています。OER3001氏が小松駅に行った時はこのモハ3004が発車待ちでした。

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怪しい夏雲の方に向かって、3004は1両で発車して行きました。左の庫内には3005が確認できます。

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ホーム横の収容線には3003、後方は3001と推測されます。

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1971(昭和46)年に金石線から転入した5両のモハ3000形の内、ここだけで4両を確認したので、残る3002が小松に向かっていたのでしょうか。1949(昭和24)年に日本鉄道自動車で製造されたモハ3000形、全長14.82mで側窓の天地が広く明るい感じの好ましいスタイルでしたが、1986(昭和61)年の廃線で姿を消しました。

 

 

2024年5月30日 (木)

グランシップトレインフェスタ2024(4)

前日に設営と試運転を完了し“前夜祭”を楽しんだ翌朝、何故か早く目が覚めホテルの窓から上り1番電車を見送ります。

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早めにホテルを出てちょっと寄り道します。JRを静岡で下車、朝の街を新静岡駅まで歩きます。

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丁度入線して来たのはプリティピンクのA3007編成。これに乗って長沼へ向かうことにします。

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新清水方はTc車のA3507。総合車両製作所で2020年に造られた編成なのですが・・・

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2017年の鉄道友の会「ローレル賞」受賞プレートが掲げられているのです。最初のA3001編成だけでなく、その後の増備車にもプレートが取り付けられていたのですね。

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運転台背後の仕切りは左右非対称。

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ユニークな形状の吊手は、7色のレインボーカラーとなっています。

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車内観察をしているうちに、この席に運転士さんがやって来ました。

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富士山を正面に仰いで進みます。

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下車駅の長沼では、この日に開催される「しずてつトレインフェスタin長沼車庫」の準備が進められていました。

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こちらのイベントにも興味があるのですが、後ろ髪引かれながらグランシップに向かって歩きました。

 

 

2024年4月20日 (土)

ED251

このブログの「他社線ご案内」でリンクさせて頂いている「ぬか屋の徒然日記」では、4月11日に1977年の上田丸子電鉄を取り上げられました。そのトップに上田原車庫でのED251がありました。

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これを見て懐かしくなり、OER3001氏もED251を取り上げます。上の撮影より4年前の上田駅構内です。似た角度ですが、良く見れば反対側面と言うことが判り、貴重な記録となりました。

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この日は大学卒業式後、入社式前に卒業記念スキー旅行として友人たちと菅平に行った帰路でした。

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バスを降り、上りの急行「信州」を待つ間、上田丸子の駅員さんに一声かければホームから降りての撮影が叶った時代でした。

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西側だけの撮影しかできませんでしたが、ぬか屋さまと反対側面であることに気付き、なにか嬉しくなりました。この後、隣に見えるワラ16778でも牽いて行ったのでしょうか。

(追記)この撮影時には既に丸子線は廃止となっていたので、貨物運用は無かったようです。

 

 

 

2024年4月 8日 (月)

ひたちなか海浜鉄道へ

またまた京王OB会さまからのお声掛けで、バスツアーに参加させて頂きました。

今回の行先は茨城県のひたちなか海浜鉄道。京王の譲渡車は居ませんが、DMH17Cエンジン音を楽しむことでした。八王子から圏央道~常磐道経由は渋滞も無く10:45には那珂湊に到着、概ね3時間の所用でした。

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ひたちなか海浜鉄道の駅名標は2015年のグッドデザイン賞を受賞したユニークなものです。那珂湊は反射炉、ケハ601、駅ネコが描かれています。

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那珂湊は上下列車交換駅。その横の留置線に、貸切のキハ205が待機しています。

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先ずは阿字ヶ浦行き定期列車を撮ります。JR東海および東海交通事業から譲受したキハ11形で、写真の11-6は元東海交通事業203。

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貸切列車の出発前に、車両基地外を一回り。駅名標にも描かれたケハ601廃車体は変化なく一安心。

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貸切列車は定期列車として運行する新型のキハ37100形への併結となります。オリジナルカラーで登場した筈のキハ37100も、今はご覧のようなラッピング。広告収入は重要な収入源なのです。

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対して貸切したキハ205は、車体のいたるところに経年劣化が確認できる悲しい状態。

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1965(昭和40)年の帝国車両製造なので御年59歳。いやいやサラリーマンの定年退職まであと1年は頑張らなくては。最近は雇用延長もありますから。

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その2両編成が運行に向けて入れ替えを始めました。

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キハ205の出自は1996年に水島臨海鉄道から譲受したキハ20形キハ210。国鉄→JR西日本からの譲受車で、元車号はキハ20-522、そうキハ20形のラストナンバーであり、元国鉄キハ20形で唯一の現役車両という価値あるものです。

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那珂湊12:17発の列車内でお弁当とお茶を頂きます。「食べる門(かど)には多幸(たこ)来る!」と言う「みなとのたこめし」。

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具だくさんで満足のいく美味しい弁当でした。

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阿字ヶ浦には12:29着。近くにある温泉、釣り針と海藻、あんこうが描かれた駅名標が迎えてくれます。

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元羽幌炭礦鉄道キハ22(222)であったキハ222がご神体として祭られた「ひたちなか開運鐵道神社」に“お参り”して・・・、

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ひたちなか海浜公園への延伸が決まっているので、間もなく見られなくなるであろう線路終端の車止めを撮っておきます。列車は12:37折り返し。

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それにしてもこのキハ205、外された蛍光灯のグローブは開いたまま、球切れの蛍光灯もそのまんまという荒れ放題の車内(涙)でした。

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勝田には13:06着。駅名標はひたちなか海浜鉄道のシンボルカラーであるオレンジ色で、車両とロゴマークが描かれたものです。

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13:17に折り返し、那珂湊着13:31で、DMH17Cエンジンの音を楽しむ乗車を終えました。

復路も道路渋滞なく、なんと14:45には八王子に戻ることができたという素晴らしい行程でした。京王OBの幹事の皆さま、関係者各位に感謝申し上げますとともに、お知り合いになれた方にお礼申し上げます。

 

2024年3月27日 (水)

初めてのスキー

孫娘が中学受験を乗り越えて無事1年の春休み、学校からバスで菅平でのスキー教室に行くと聞いて、我が身(ジイジ)も初めてのスキーが菅平だったと、ゲレンデの想い出話に盛り上がりました。

ジイジのスキーは高校時代の親友4人と、上野から信越線の急行“信州”(だったかな?)に乗って始まりました。菅平へは上田から路線バス。持って行ったフィルムの1コマ目はバス待ち時間で撮った真田傍陽線の駅構内。

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この年の4月20日に丸子線を廃止し、それまでの上田丸子電鉄から上田交通に社名変更してもなお、駅名は「電鉄上田」だったように記憶していますがどうだったでしょう。その上田駅に入線して来る真田傍陽線の車両が2コマ目。フィルムに光が入ってしまいました。

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駅舎に表示されていた駅名は「電鉄上田駅」です。それから2年後に、真田傍陽線も廃止されてしまいました。今となって思えば、この時真田まで真田傍陽線で行っておけば良かったと後悔しますが、菅平に行くのにその途中まで真田傍陽線を利用するなど、選択肢に無かったのだから、廃止されるのも仕方がないことです。

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スキーを楽しんでいる写真は無く・・・、初めてのスキーですから写真など撮る余裕、というより転んでばかりでしょうからカメラなど持っていられません。フィルムに記録されていたのは宿でワイワイ楽しんでいる光景だけ。

年が明けた1月2日に帰路に着いたようです。EF62の貨物列車を撮っていますが何処の駅だったのでしょう、上田かな?

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タキ43000(43013)も撮っていました。

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そして次のコマが、すっかり暗くなった横川駅のプラットホーム。ブレた1コマですが、ずらりと並んだ洗面台に「名物・峠の釜めし」と「碓井温泉・あたご荘」の広告。こんな時代だったのですね。帰路の169系車内から撮っていました。

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同時に停車中の下り列車、モハ30003も。デジカメの時代だったらもっと撮っていたでしょうに(涙)。

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この後は、169系車内での友人たちと戯れる光景でフィルムは終わっています。孫娘が行っている菅平スキーの思い出でした。

 

2024年3月25日 (月)

840000アクセス到達

昨3月24日、84万アクセスに到達しましたので“84”に因んだ車両画像探してみたのですが・・・(涙)。

クモハ84など撮っていないし・・・、そうだ、玉電80形に84があったと思って探したが、残念ながら84は未撮影。東武や等級に中間電動車の8400があったけれどそれも無い。えい、それなら逆にして48なら、ということでこれにしました。

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1971(昭和46)年6月18日の新津田沼駅京成津田沼駅です。この頃の新京成電鉄には、小型車のモハ45形や300形が活躍しており、趣味的には実に楽しいものでした。新京成初のカルダン車800形はまだ登場していなかったようです。

83万アクセス到達が2月23日、順調に1か月で1万アクセスというペースのようです。相変わらず勝手気ままのブログですが、引き続きよろしくお願い致します。

2024年3月 9日 (土)

嵐電の今

この日は午前中から京都鉄道博物館。そこから四条大宮までのおよそ2.3㎞、壬生通経由で歩いてみました。

踏切で待つと、四条大宮駅を発車して来たのが「もり」のラッピングがされたモボ631形の632。「もり」って、漬物だったのですね。

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「もり」ラッピングも左程違和感は感じずにすみましたが、631の江ノ電カラーは似合っています。

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車庫を眺めたくて西院で下車。ここ「西院」は嵐電では「さい」と読みますが、阪急京都線は「さいいん」と異なるのです。ああややこしい!この車庫に立ち入ることはできませんが、ホームから充分見渡せ、驚異的なポイント配線に驚くばかりです。しかし京紫」というらしい塗色はどうも気に入らないのはOER3001氏だけでしょうか。

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車庫の脇を、帷子ノ辻嵐山から北野白梅町四条大宮に向かうモボ101形の102が来ました。嵐電の「モボ」という独特な形式、「モ」はモーターで「ボ」はボギー車という意味だそうで。

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102が出発するとき交換したのはモボ500形502。モボ501は1984(昭和59)年に嵐電初の冷房車として、旧モボ111形・モボ121形の機器を流用して登場した車両。

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北野線常盤での光線状態が良かったので途中下車。モボ2001形2002を。2001年登場の初のカルダン駆動、VVVF駆動だとか。

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北野白梅町まで行き、レトロ調のモボ21形の27を捉えることができました。モボ621形を設計基本としながらも、1994平成6)年の平安京遷都1200周年を記念して登場した車両。これはこれでまあ良しかな。

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上田の丸窓電車を思い出す車内です。

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室内灯はあの昔の白熱灯を思い出すような形状で、おそらく蛍光灯。LED電球に交換しているのだろうか。

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全線乗りつぶしの最後は嵐山へ。車止め界隈が賑やかになっていました。

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降車ホームは“エキナカ”化され、京風飲食や物販店が。

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そして乗車ホームには足湯(有料)まで。

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OER3001氏が知っている嵐山駅とはずいぶん変わってしまったもので、駅前はアジア系外国人で賑わっていました。

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この日は金曜日だったのでこの程度でしたが、土日やシーズンには凄いことになっているのでしょうね。まあ姉妹鉄道の江ノ電も同じですから。

因みにOER3001氏の記憶にある嵐山駅はこの時代でした。

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車両の塗色はやっぱりこれですよ。

 

 

 

2024年3月 5日 (火)

江ノ電?

江ノ電と言えば、すっかり湘南の海辺を目の前にした鎌倉高校前駅が有名な場所になってしまいました。

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それが・・・、行先は「嵐山」。埼玉県の「らんざん」ではありませんよ、京都の「あらしやま」に向かう電車です。

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京福電気鉄道が運営する、京都市下京区の四条大宮駅と右京区の嵐山(あらしやま)駅を結ぶ嵐山本線7.2㎞と、途中の帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅から北野白梅町(きたのはくばいちょう)駅を結ぶ北野線3.8㎞の2路線を合わせて「嵐山(あらしやま)線」通称「嵐電(らんでん)」と言うようで難しい。

四条大宮駅に停車中の電車がまさに江ノ電。

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なるほど、「江ノ電号」だったのです。2009年10月14日に江ノ島電鉄と「江ノ電・嵐電姉妹提携」調印されていました。

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車庫を見たくて西院(さい)駅で下車、「江ノ電号」を見送りました。

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これまであまり興味が無かった嵐電、今回は全線乗車して来ましたが、その成果はまたの機会に。

 

 

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