鉄道(地方民鉄)

2022年4月27日 (水)

HB車の想い出

叔母の逝去に絡んで取り上げてきたモハニ101形、1200形でしたが、折角ですからその仲間にも触れておきたいと思います。

1200形とともにHB車(H=hand・手動進段、B=Battery)の一員だった1400形のうち1406は引退後、教習車となって長く経堂の研修所に置かれていたのが懐かしいです。このツートーンカラーで本線を走って欲しかったです。

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デハ1400形の相棒はクハ1450形でしたが、1200形の2連と連結した3両編成も多くいました。

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小田急から引退したHB車は、地方中小私鉄に転じて活躍した車両も少なくありませんでしたが、暑い夏の午後、 燕から東関屋まで乗車した新潟交通のクハ47(元デハ1414)。

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小田急時代の扇風機や車内表示が残っていて嬉しかったことを記憶しています。

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未だ不自由を余儀なくされている右手、回復したらまたHB車も増備したくなりました。やりたいことがたくさんあるのに、出来ることが少ないというストレスは溜まるばかりです。

 

2022年1月 6日 (木)

岩瀬浜の想い出

日本海側ではかなりの降雪との天気予報を聞くと、どうしても思い出します。

初めての富山は1975(昭和50)年の夏でした。交流電化の北陸線富山駅、北側から発着している富山港線は直流1,500V。72系の2両で運行されていました。

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富山港線の72系は、1985(昭和60)年3月に全廃。なんと国鉄線での72系最後の運用路線だったようです。その後は交直流電車457系・471系・475系に代わりました。

1989(平成元)年5月に訪れた終点の岩瀬浜駅での光景。運行本数の少ない電車に下校の女子高生が疾走します。

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その岩瀬浜駅、富山ライトレールの駅となってから訪れた2012(平成24)年2月はかなりの降雪でした。

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そして2020(令和2)年からは再び富山地方鉄道の駅となり、軌道線に直通しています。

この冬はどんな風景になっているのか、再訪したいですね。

 

 

2021年12月11日 (土)

東急8000系を楽しむ:復路

「湘南・日光」特別列車は15:23に伊豆急下田駅を発車、先頭のクモハ8252車掌台側の窓にはカメラが取り付けられ、伊東までの前面展望の撮影です。

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そんなことにはお構いなく、OER3001氏らはやっと車窓を愛でつつのビールです。

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稲梓で踊り子と交換です。

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稲取駅に停車したとき、プラットホームに毎日放送(MBSテレビ)制作のバラエティ番組「プレバト」で見た作品を見つけました。誰が見ても研ナオコだと判る「伊豆のスター」は千原ジュニア作。研ナオコは伊豆湯ヶ島の出身だったのですね。

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隣は、光宗 薫作の「イナキンとハマダイちゃん」。唇が!

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さらにその横にはKis-My-Ft2千賀健永作 「Love Izu You」が。

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停車時間にちょっぴり芸術に触れていたら、下り電車が到着。直ぐに側扉が閉まって発車です。

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稲梓から片瀬白田にかけて、トンネルを抜けると撮影地が続きます。

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相模湾に沿って走るこの場所、100系が活躍していた時代にゴロゴロした海辺を歩いて撮影していたものです。

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「湘南・日光」特別列車は崖に沿って快調に走ります。

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崖が終わって左手に道路が見えてくれば、この先は片瀬白田駅。

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そうそう、ここですよ、この場所。1998(平成10)年8月11日、リゾート21を撮っています。

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と、陽が短くなった車窓を楽しんでいたら・・・、

「湘南・日光」特別列車は伊東に着いてしまいました。

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東横線での現役時代を思い出すステンレス、いつまでも輝いて欲しいですね。

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今回、この企画を立て、お誘い頂いたK-Lowさん、素晴らしい想い出が得られました。本当にお疲れ様、そしてありがとうございました。

 

2021年12月 9日 (木)

東急8000系を楽しむ:往路

団体列車「湘南・日光」特別列車の旅はここから始まりました。伊豆高原駅改札外で、企画のK-Lowさまが自ら受け付けです。

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参加費と引き換えで首掛けの乗車証と、お弁当、お茶とお土産一式に加えて、企画者手製の乗車記念兼2種を受け取ります。

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お弁当の包装紙も特別デザインです。

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特別列車は既に1番ホームに停車中。ゆっくり外観撮影してから乗り込みます。

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トイレもあるのでビールを飲んでも不安はありません。

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1号車から2号車に渡ろうとして気付いたのが、この細やかな工作です。元々の渡り板左右に、わざわざ別板を溶接し、台形の角度を鋭角から鈍角に改良しています。

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海側座席は西武10000系から発生のクロスシートとしていますが・・・、

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これがドア間に2組のボックス席とする都合から、楔を噛ませて5度前傾で設置されているため、座り心地がイマイチ。

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山側のロングシートの方が、足を投げ出して海を眺められます。

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天井には4枚羽の東芝扇風機が健在。Toshibaのロゴも懐かしい。

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参加者数25名では、 自然に話の通じる仲間達が3両に分散。各車両とも極めてゆとりある車内です。やがて、幹事がビールを配りに来てくれました。が、OER3001氏らは往路では缶を開けませんでした。

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海側の窓ガラスに、伊豆急のホスピタリテーを感じました。沿線から見える島々を案内するシールが貼られているではありませんか!

 

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お陰様で天気に恵まれました。片瀬白田を出ると、一気に視界が開けます。画面左は伊豆大島。右の尖っているのが利島のようです。

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ズームアップしてみたら、利島の右に鵜渡根島、さらに右手が三宅島であることが解りました。

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海を見つつ、トンネルを抜け・・・と、130Kwの直流複巻整流子電動機音に酔いしれていたら、間もなく終着駅・伊豆急下田。

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ここで撮影会含む約3時間を過ごすこととなりました。

 

2021年12月 7日 (火)

東急8000系を楽しむ

とは言っても、8000系を東急線内で楽しむことは出来ません。

今回は親友のご子息が企画されたお陰で、伊豆急線内での貸切列車に乗車することが出来ました。伊豆急行開業60周年と、日光モデル創業55周年を記念しての団体列車「湘南・日光」のヘッドマークを掲げた特別列車でした。

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ヘッドマークは文字通りアタマだけで後部にはありません。後部は8000系登場時のステンレス無装飾時代を彷彿させる出で立ちです。

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記念列車は伊豆高原発下田行き。下田での折り返し時間を使って、引き上げ線での撮影タイムが設けられました。

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勿論、企画担当のご子息もこの通り。自ら企画し、自ら制作したヘッドマークを掲げた勇姿をカメラに収めます。

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この詳細は別途ご紹介させていただくことといたしますが、全てを取り仕切り頂きましたK-Lowさま、本当にお疲れ様、そしてありがとうございました。心温まるホスピタリティ-に感謝いたします。

 

2021年9月30日 (木)

今日の一枚 No.129

本シリーズは今回で129回目。129は“いずきゅう”とも読めることから今回は伊豆急を。

OER3001氏にとっては伊豆急と言えばやっぱり開業時に用意された100系。名車とも言われましたが、それは車体のデザインだけかとOER3001氏は思います。足回りに関しては台車は親会社・東急の青ガエル5000系のTS-301を発展させたようなTS-316ながら、機器類は国鉄153系に類似したものでした。将来の国鉄編入なども考慮されていたようだからやむを得ないかも知れませんが。

1997(平成9)年8月、家族での夏休み旅行の途中、R135のドライブイン駐車場から撮ったこの画像、冷房化と共にサロンカーの1801を連結した7両編成が気に入り、後日模型化に至った次第。

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サロンカー1801の熱海方は、両運のクモハ103でした。

 

2021年9月12日 (日)

総武線複々線化工事の頃

大学3年となった1971(昭和46)年、漸く講義時間も毎日9時からという日々から開放されたのでしょう。6月18日のフィルムにはこんな場面がありました。東武野田線船橋駅。

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旧型車を地下鉄日比谷線乗り入れの2000系のような車体で更新した3000系が主力でした。塗色はロイヤルベージュインターナショナルオレンジのツートンカラー時代でした。

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船橋駅の時計は12時15分を示していますが、この後には昨日取り上げたキユニ19の2コマを撮影しています。そしてその後が下の画像。

快速線線増のための改良工事が進む津田沼駅。上屋骨組みが進む新設ホームの右側に、津田沼折り返しの101系が停車しました。

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跨線橋から千葉方面を撮っているようです。左が1番線で千葉方面へ向かう下り線。向こうのクレーン右手は千葉工業大学と思われます。

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カメラをさらに右(西)へ振って撮っていました。上り線を西側に大きく振り、その間に快速線を入れたのでしょう。

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今になると、この時期にもっと撮って記録しておくべきだったと思いますが、小田急ファンにはもったいないフィルムの使い方だと思っていたのだから仕方ありません。

 

2021年9月 5日 (日)

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この日の目標はほぼ往路で達成しているのに、復路も白久-武州日野間、長瀞駅と撮っての帰路、寄居駅に停車してるパレオエクスプレスの先回りできることに気付き、オマケの撮影となりました。

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ほぼ平坦な区間のため、煙突からの煙など期待しませんが、ここ桜沢駅で15:45、通過を修めることが出来ました。

 

2021年9月 4日 (土)

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白久-武州日野間で撮った後は長瀞を目指します。往路の沿線学習で、概ね状況が把握できていたことが助かります。早めに着いたこの場所、直前には同業者も10人弱になりました。

それにしても気温が高い真夏には、煙突からの豪快な煙は期待できません。発車直後のこのシーンだけで我慢です。

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目前に来た時にはもう、斯様な煙状態。

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まあ煙モクモクはファンには嬉しいですが、地域の生活環境や地球には歓迎されませんからね。そもそもOER3001氏は電車ファンでもあるし、これで良しとしましょう。

 

2021年9月 3日 (金)

C58363を撮りに-3

三峰口からの折り返しは先ず、白久を通過して武州日野に向かう姿を修めました。逆光気味であまり好ましくない環境下、ISO値を800と設定、1/500シャッターで絞りを+0.7設定とし、黒一色の機関車が潰れないようにしてみました。

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それにしても機関車も客車もピカピカ。手入れが行き届いていて嬉しいです。

 

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