鉄道(地方民鉄)

2025年5月30日 (金)

大井川鐵道

前回の拙ブログ、最後を「静岡県内の民鉄電車、残るは岳南鉄道ですが、これは当分製作予定なし」と締めたら・・・、

シグ鉄さまから「静岡県内の民鉄、ひとつお忘れでは?」とのコメントを頂いてしまいました。そう言われてみればもう1社ありました、大井川鐵道が!

今では“蒸機(SLと言うのには何となく抵抗があって・・・)を走らせる鉄道”として有名ですが、OER3001氏にとっては「小田急から提供されたSE車を大切にしてくれなかった会社」と言う印象の方が強くて(涙)。

そんな大井川鐵道に初めて行ったのは、1970(昭和45)年暮れの冬晴れの日、趣味界大先輩の故Y村氏、故M沢氏からお誘い頂いてのことでした。名鉄3800系転じた“ボインちゃん電車”の見学が主目的だったかと。

新金谷車両区で、整備中のピカピカのモハ310(名鉄モ3805)とクハ510(名鉄ク2805)を見ることができました。

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奇麗になった車体には、寸又峡温泉をアピールするために描かれた“ボインちゃん”(今は巨乳と言うらしい)が。

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OER3001氏は名鉄時代の3800系を良く知りませんが、車内は転換クロスシートとなりました。

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実は、模型製作する時のことを考えて、床下など具に記録していました。

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勿論、影になる反対側も。主要機器は個別に撮影してありましたので、いざとなれば模型製作はできそうです。

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前から左から、右から下からと、細部撮影に興じていたら、こんな味のある電車が通過して行きました。モハ307とクハ507。

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クルマでの日帰りでしたが、家山からだったか、千頭までの一往復、電車にも乗っていました。

千頭では廃車になってパンタも外されたモハ301(元鉄道省クデハ307だそうで)他が止められていました。クリームとブルーの塗装だったのですね。

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隣にはスカ色クハと湘南色モハの4連111系(既に113系になっていたかどうか?)が停車していたのです。国鉄からの乗り入れ列車もあったのですね。

と言うことで、忘れていた大井川鐵道、現代の車両は全く製作意欲が湧かないのです。

 

2025年5月20日 (火)

今年もグランシップへ_プロローグ

5月16日(木)は設営準備日。会場入場時刻が13時と言うので、混雑する開場時刻を避けて14時頃からと言うことにした我がサークル。よって、往路にゆとりができた時間を活用し、東名高速は富士ICで下り、岳南富士岡へ寄り道でした。

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小田急デキ1010形に似たED501は1928(昭和3)年川崎造船所の製造。上田温泉電軌デロ301→三河鉄道(→名古屋鉄道)を経て1969(昭和44)年に岳南にやって来たもの。

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それより古いED291は、1926(大正15)年12月の日本車両豊川工場製。1959(昭和34)年に岳南鉄道に譲渡されたもの。

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その他に、OER3001氏が好む元松本電気鉄道のED40形2両も、奇麗な姿を見せてくれています。梓川水系のダム建設資材輸送に活躍し、1969年(昭和44年)の貨物輸送終了後の1971年(昭和46年)に岳南に来ています。

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電車は7003が庫内で整備中。

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7002は9000系(元富士急)導入に伴って廃車、構内で保管されています。

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京王井の頭線の3000系転じた車両には8000系というのもあり、ちょうど入線して来ました。

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基本的に7000系と同じながら2両固定編成で、この2両は中間車の先頭車化改造車、8001+8101を名乗ります。

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その8000系が発車して行き、製紙工場界隈に力走する姿を収めてから、一路グランシップを目指しました。

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例年は直行するグランシップですが、高速料金は節約できるし別の収穫もできるしと、東名高速途中下車(?)もまた実り多いものでした。

さてさてそのグランシップトレインフェスタの様子は次回ということに。

 

2025年5月16日 (金)

線路上標識

線路の真ん中に、見慣れない標識があるのを発見したのはちょうど1年前。オレンジとグリーンの十字型標識。

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これは、分岐器のトングレール位置に設置されています。

この写真では左オレンジ、右グリーン。どうも回転するようです。

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構内に眼を向ければ・・・、なるほどグリーンが分岐器の開通方向を表示しているようです。

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他社で気付いたことはありませんが、静岡鉄道で採用していました。その分岐器に差し掛かろうと接近して来るA3000形。

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OER3001氏がペーパー自作したA3000形。今年も5月17日(土)~18日(日)に開催されるグランシップトレインフェスタ2025では、1階大ホールの「サークル165」レイアウトを走行します。

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その準備のため、本日16日(金)午後には現地入りです。

 

2025年4月30日 (水)

一畑電鉄との出会い

学生時代からお付き合い頂いている先輩のブログ「ぼっちぼっちの旅日記」で、1971年末の一畑電鉄訪問記が紹介されていたのに刺激され、一畑電鉄の写真を探しました。

一畑電鉄を初めて見たのは、57年前となる1968(昭和43)年5月、修学旅行中での自由時間でした。ぼっちぼっちさんの3年前のことになります。北松江駅(→松江温泉駅→松江しんじ湖温泉駅)で持っていたフィルムを計算しつつの僅かな撮影でした。

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手前は急行運用のデハ63+クハ163、左の線路にデハ61+クハ161。共にクリーム色の車体にいわゆる“空色”ブルーの細い帯を巻いていました。

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1960(昭和35)年から1961年にかけて2扉クロスシート車に改造して譲受した元西武鉄道のモハ221形、クハ1221形が出自だそうで、好ましい電車だったと記憶しています。

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ホーム先には朱色に白帯の古い電車が、貨車を連結して停車していました。

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これが、一畑電車の前身、一畑電気鉄道の自社発注車両で、1928(昭和3)年日本車輛製ということを後に知った次第。

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後に連結した2両の貨車を撮っておらず、今となっては残念な思いでたまりません。

 

2025年4月 4日 (金)

サクラ色

夏日で迎えたようなソメイヨシノの開花、その後は一転冬日の寒さ。おかげで今年のサクラは長く楽しめそうですが、サクラと言えば薄~いピンク。

ピンクと言えば話題の新京成ということで、新京成 最後の日だった3月31日、サクラと新京成を収めに再訪問して来ました。所はくぬぎ山駅の松戸方に広がる陸上自衛隊松戸駐屯地付近。

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生憎の空模様でしたが、ジェントルピンクとのコラボレーションも来春は見られなくなっているかもしれませんから。

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新京成最後の日ということもあってか、この場所には10数人が集まっていました。

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これで3月の新京成訪問は3回目。冒頭画像の「京成線直通」という行先は、4月1日にはどう変わったのでしょう?

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それにしてもこの最終日に見た車両、全て「shin-kei-sei」のブランドロゴは消去されていました。そして車体側面下部にあった車号も幕板部に移動されていました。

 

 

2025年3月31日 (月)

新京成電鉄の記録-4

いよいよ本日(3月31日)をもって新京成電鉄株式会社の歴史は閉幕、明日からは京成電鉄松戸線として新たな歴史を創ることになります。

3.11にその最後の姿を記録するために訪問したOER3001氏、翌々日の3.13に再訪問となりました。今度は場所を、大学1年次に乗っていた区間から、新津田沼-前原間として、先ずは新津田沼駅先で復刻塗装になった8806編成を。

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8921編成は京葉ガスのラッピング、しっかりShin-kei-seiロゴが入れられています。

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N800形は何故か落ち着きます。

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Shin-kei-seiロゴが消去されていない8811編成。8800形の正面は、中央に2本の手摺がある編成と無い編成があるのですね。

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こちらの8802編成の正面には2本の手摺はありません。

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復刻塗装となった8813編成にも、その2本の手摺は無く、すっきりした姿を見せてくれました。

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2本手摺が付けられた8809編成が来ました。

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登場時のカラーリングになって活躍するN831編成、アウトカーブで狙ってみました。

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同じ場所で80041編成も。ズーミングでイメージが異なる撮影ができました。

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再びShin-kei-seiロゴの8811編成。

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前原駅に近い成田街道踏切のアングルが気に入って、この付近を行ったり来たりです。

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一旦その踏切を渡り、新津田沼方に行った所で80026編成を。

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再び元の場所に戻って、オリジナルカラーのN838編成を待ちました。

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そして最後は、新津田沼に戻ったところで京葉ガスのラッピング8928編成を。

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結局この日はおよそ2時間半、新津田沼-前原間での撮影となってしまいました。

 

ということで、本日を持ちまして「新京成」の名称は走り去ってしまいます。

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しかし、我が模型の世界では「新京成」は不滅です。

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いつまでも「新京成」で走り回ります。

 

 

 

2025年3月29日 (土)

新京成電鉄の記録-3

新京成電鉄は5か所の変電所を擁しています。松戸方から①上本郷、②五香、③二和、④高根の4か所と、ここ⑤前原です。

前原変電所は新津田沼駅を出た松戸行が、最初の右カーブを終えて左カーブに移ったところの右(東)側に位置します。東京電力の送電線から特別高圧60kVの電力を受電します。(画像右上)

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この変電所では、直流1,500Vに変圧・整流して電車線に供給する他、駅の電灯動力設備や信号機、踏切警報などの付帯電力用の交流6,600Vを供給しています。

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変電所から軌道上の電力柱への接続部分は、電気鉄道の生命線とも言えそうな場所なのですが、こんな所まで目を向ける鉄道ファンはどのくらい居るのでしょうか。

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ちょうど、オリジナル塗装になった8800系が通過して行きました。

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以上、新京成電鉄前原変電所前からのレポートでした。

 

 

2025年3月27日 (木)

新京成電鉄の記録-2

くぬぎ山の車両基地に行くため、くぬぎ山駅で下車。駅横の踏切ではShin-kei-seiロゴの入った8815編成が撮れました。

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新京成の魅力は、くねくねのカーブではないかと思います。OER3001氏が大学生の頃は小型車体の45形や126形などが、つり皮を網棚にカタンカタンとぶつけながら走っていたものです。

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くぬぎ山車両基地で並ぶジェントルピンク群も、やがて見られなくなるのでしょう。

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車両基地終端から北初富方向を向けば、京成成田空港線の高架線が右から迫ります。

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その北初富駅の周囲は未開発。

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思えば新京成電鉄の路線中で、最も変化した地区かも知れません。

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ちょうど復刻カラーの編成が到着しましたが、やがてここは現新京成線も、現北総線も、同じカラーの車両が行き交うことになります。

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そのままさらに新鎌ヶ谷まで歩いてみました。北総線の駅はシックなカラーリング。

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並ぶ新京成線はレッドとジェントルピンク。両線同じ会社になった暁には一体どうするのかな?

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ここでは東武野田線とも乗り換え可能。東武は「アーバンパークライン」と言っていますが、どうも理解しづらくて。

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この駅の上を北総線、新京成線が跨ぎますが、ツーショットは成りませんでした。

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新京成らしいカーブで撮ろうと、目指した場所は前原。

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前原から新津田沼にかけては魅力的(?)なSカーブが続きます。

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8900系はあのワンアームではなく、Yアームとでも言いたくなる形状だった独特なパンタは交換していたのですね。

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成田街道の踏切を横切るN831編成、このカラーも見納めですね。

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Shin-kei-seiロゴが残っている8811編成。

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8918も。

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登場時のオリジナルカラーに戻っているN838はくぬぎ山行。

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懐かしいカラーになった8808編成。

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だいぶ撮れたのですが、ちょっと途中でビールとワインで息抜きすぎ。後半は暗くなってしまいました。

 

 

2025年3月25日 (火)

新京成電鉄の記録-1

いよいよ、親会社・京成電鉄に吸収合併され、松戸線となる日までちょうど1週間となりました。それなりの思い出があった新京成電鉄の最後の記録を。

あの東日本大震災が発生してから14年目となる3月11日、OER3001氏は松戸でワンマン運転訓練中の常磐線各駅停車から下車。ちょうど復刻カラーのN831編成が出発して行きました。

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新京成線への連絡口にはジェントルピンク文字で案内が。この案内も「京成松戸線乗り換え改札口」に変わるのでしょう。

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セブン銀行の広告はどうなるのだろうか?

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社名、路線名変更となると、様々な箇所で表示変更が発生します。

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新京成ホームに降りて、京成津田沼行の80031編成を見送ります。

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すると直ぐ、80041編成の到着です。

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80041編成は京成津田沼行に。

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新京成電鉄が“親会社とは違うぞ!”と精魂込めたコーポレートカラーを随所に使った車内も、これから変わってしまうのでしょうか?

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側扉上部の案内も、ジェントルピンク。

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くぬぎ山の車輛検修場では、その表示は直ぐに剥がせるように準備されていました。

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庫内では8931編成が検修中でした。左側には塗装の乾燥に使う大型扇風機が見えますが、これもジェントルピンクに染まっていました。

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仮台車に興味深いものが使われているのですね。モハ45形あたりで使われていたブリルでしょうか。

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吸収合併で、このくぬぎ山車輛検修場も再編されることになるかも知れませんね。

 

 

 

2025年3月17日 (月)

嵐電訪問

嵐山からは嵐電(京福電気鉄道嵐山本線&北野線)へ。嵐電嵐山駅でレトロ調の27号を見送ります。

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先ず向かった先は、難読の帷子ノ辻(かたびらのつじ)で北野線に乗換え、北野白梅町へ。

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全線乗車が目的の一つだったので、帷子ノ辻に戻ったところでオリジナル色の301号に遭遇。

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次の目標は西院車庫で、24年ぶりの新型車両「KYOTRAM」モボ1形を見ることでした。予想通りその姿はホームから確認することができました。

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3日後からの営業運転に備え、いろいろ準備している様子でした。

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在来車輛の車内でも、「KYOTRAM」が2月28日からデビューと大々的に宣伝。

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これを見届けて四条大宮まで乗車して、今回の嵐電訪問は終えました。次回は「KYOTRAM」に乗らなければなりませんね。

 

 

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