鉄道(地方民鉄)

2024年11月22日 (金)

変わる新京成

新京成電鉄、2025年4月からその名が消えることになっているのは承知の事実。その新京成の最新型は80000形。一見して親会社京成の3100形と同じように見えるが、実は細部に新京成のこだわりがある車両で、制御装置は京成車と異なり三菱電機製だ。

20241103_0011_16

2014年から採用されていたジェントルピンクの車体も、京成に吸収合併されると消えて行くことになるでしょうが、今はジェントルピンクの前のカラーが復刻された編成も活躍中で、目が離せません。

20241103_0029_16

その新京成が初めて自社発注した新性能車両は800形でした。冒頭の80000形と同じ場所で、登場直後に撮影していたものです。この時代は上半ピンク、下半マルーンの塗装でした。

19720714_0130_n13

800形が登場する時代はまだ、車体長4515mほどの可愛らしい小型車、45形や300形が活躍していました。

19710618_0012_13

親会社京成からは、中型車体の250形等も移籍、増大する輸送需要に対応していた頃でした。

19710618_0021_13

そんな新京成の車両を撮っていた場所は、決まってこの京成津田沼駅。

19710618_0015_n13

ここに掲載した画像は全て同じ場所、同じアングル。半世紀経ってもさほどの変化を感じない駅というのも面白いです。

 

 

2024年11月16日 (土)

FS-321形台車

住友金属 が1958(昭和33)年、小田急2220形が使用していたFS-316をベースに設計、2217+2218が履いたアルストム型の空気ばね台車がFS-321。

新百合ヶ丘駅がまだ無い時代、百合ヶ丘-柿生間の旧線でSSEと交換した前2両が2218+2217です。

19701108_0031_16_20241102182301

2218を新百合ヶ丘駅で撮っていますが、残念ながらFS-321形台車が確認できない画像です。

19820724_0019_13

そのFS-321形台車とは斯様な姿。FS-316形台車と同じ軸距2,000㎜で、揺れ枕吊受け座の幅を550㎜から710㎜に広げて有効直径550㎜のエリゴ(スミプレス)形空気ばねを装着し、ボルスターアンカーが装備された。

19840500_0109_n13

その台車を履いた写真はレイルロード刊小田急電車形式集.4より、矢崎康雄氏が1969年6月7日に撮影された写真を引用させて頂きます。

2217_19690607_4

1990年7月の出張の折、伊予鉄道古町車庫の奥でこの台車を発見! 京王からの譲受が進んでいた5000系に使用するのかと思っていたのですが、実際に使われたかどうか知りません。

19900707_0008_13

その懐かしい台車を今回、古町車庫で発見しました!!

20241022_0142_16

枕梁吊りは外され、ボルスターアンカー座も有りませんが、台車枠には「FS-321」の表示が残されていました。工場内の仮台車として今も使われていたのですね。何か嬉しくなりました。

 

2024年11月12日 (火)

伊予鉄道_市内線の魅力①

伊予鉄道の市内線と言えば、観光用として復元登場した坊ちゃん列車が有名です。2001(平成13)年に登場し、2編成で土日祝日に運行されています。この日は平日のため運行は無し。道後温泉駅の引込線に1編成が展示を兼ねて停められていました。

20241023_1003_16

道後温泉駅の風情ある駅舎はリニューアルされて、今も堂々とした姿を見せています。

20241023_1009_16n

34年前と殆ど変わりありません。変わったのは発着する車両だけ。この時は冷房化改造された1963(昭和38)年製のモハ50形71号でした。

19900707_161719__13

市内の繁華街・大街道を入れて撮ってみたかった1コマ、低床式の新型車両の導入が進んでいる市内線ですが、1964(昭和39)年製・元京都市電の2000形が味を添えてくれました。。

20241022_0222_n16

この市内線の最大の魅力、OER3001氏にとってはここです。先のダイヤモンドクロスに加えて鉄道線の横断、堂々と鉄道線を横断して行きます。

20241022_0148_16

右奥はJR松山駅前から来た大手町線(軌道法に基づく「軌道」)。それが鉄道線である高浜線の上下線を横切り、左端の城北線(鉄道事業法に基づく「鉄道」)へと進みます。

20241022_0152_16

この情景はこちらでお楽しみください。

 

2024年11月10日 (日)

伊予鉄道_鉄道線の魅力②

1回ではお伝えしきれない魅力、2回目はダイヤモンドクロスを行く電車の観察です。

線路はこんな感じ。左右方向が鉄道線。それに市内線が直角に交差します。双方が複線なので通過時の迫力も倍増です。

20241023_0080_16

殆どの人は線路だけ見て満足するのでしょうが、OER3001氏はしっかり電車線(トロリー線)も観察しておきます。これは横河原方面行線路に市内線複線が交差する部分で、鉄道線側も複線で撮りたかったのですが、クロス部分をアップしたかったので悪しからず。

20241023_0078_16

架線ですから空が入るとどうしても見えづらくなります。ビルバックにズーミングして撮っておきます。

20241023_0054_16

3501先頭の横河原行きを大手町駅方から観察します。

20241023_1048_14

ここに暫く居るうちに、横河原行き、高浜行どちらも700系(元京王5000系)が大手町駅で並ぶシーンに出合いました。左の715は2両編成、右の727は2両編成に増結されたカタチの3両編成で、幌座が異なります。

20241023_0051_14

723先頭の3両編成高浜行が大手町駅を発車しました。

20241023_0052-frame-at-0m12s_60

ゆっくりゆっくり、ダイヤモンドクロスに差し掛かるとガタガタガタガタと音が。

20241023_0052-frame-at-0m21s_60

台車・車輪に加えてパンタグラフのシューが、クロスしたトロリー線を擦って行く状況も見ものです。

20241023_0052-frame-at-0m24s_60

この辺の魅力は、なかなか静止画では伝えきれません。

YouTubeに「地方鉄道の電車が路面電車の線路を横断! 」をアップしてみましたので併せてご覧ください。

 

2024年11月 8日 (金)

伊予鉄道_鉄道線の魅力①

今回は未乗車だった横河原線の走破。生憎の小雨でしたが、乗っているならさほど気にせず。横河原駅は松山市内ではなく東温市、愛媛県内唯一の大学病院である国立・愛媛大学付属病院を擁する住宅地に位置するようだ。

20241023_1029_14

駅舎撮影後、早々に乗って来た電車(3309-3109-3509)で折り返します。元京王井の頭線3000系のこの電車は、IGBT素子によるVVVFインバータ制御に改造された1M2Tで、従来の2両編成より消費電力を抑えて輸送力増強を果たしたと言う素晴らしい車両。

20241023_1031_14

往路で気になっていた石手川公園駅です。ホームが石手川橋梁の上まで伸びています。

20241023_0029_16

「白線の内側」は橋梁のトラス。点字ブロックの「黄色い線」はありません。トラスの間を潜り抜けて電車から離れることはできそうです。

20241023_0030_16

横河原線の電車はそのまま高浜線へ直通します。接続駅となる松山市駅を過ぎると、次の楽しみは大手町。「大手町」とは言えど、東京とは違います。3両編成対応の相対式ホーム2面2線の有人駅。前後は踏切という状況ですが・・・、

20241023_0031_16

高浜方の踏切が最大の魅力かと。ちょうど700系(元京王5000系)がやって来ましたが、踏切前後には立派な鉄柱が。ビームも鉄柱同様のトラスです。

20241023_0032_16

700系迫る踏切の右側で、当方にカメラ(スマホ?)を向けている男性が居ます。

OER3001氏が乗車している3309編成がノッチイン。ここここ、今や全国でここだけになった市内線との平面クロス“ダイヤモンドクロス”をガタガタと音を立てて進むのです。(ここから古町駅までの動画は→伊予鉄道高浜線、大手町駅ダイヤモンドクロスを進みます。

20241023_0033-frame-at-0m13s_50

このダイヤモンドクロスの魅力、お伝えしきれませんのでまた次回。

 

2024年11月 6日 (水)

伊予鉄道鉄道線のいま

高浜駅からはこれに乗車しました。ICカード乗車が出来ないので券売機で格闘していたら、駅員氏が「もう発車時刻だからそのまま乗って、車内で買ってください」と。(別に次の電車でも良かったのに、折角だから誘導されるままに乗ってしまいました。)

20241022_0110_16

最後部に座ると女性の指導車掌。新人の男性の実地指導中でした。この女性と新米の男性が、二人とも何と礼儀正しい優しい人物なのだろうかと感心する一幕が。めっきり見ることが無くなった「車内補充券」を丁寧に発行してくれるのですが、「お一人000円なので、お二人で0000円です。0000円お預かりします。」暫くして「0000円お預かりしましたので00円の御返しになります。ありがとうございました。」と。こちらの方が緊張してしまう丁寧な接客ぶりに大感激です。

20241022_0113_n16

客室はまさに、ある日の“昼下がりの井の頭線”のようです。

20241022_0114_n16

妻を同行していながらも、どうしても古町で下車してしまいます。下車した横河原行きを見送った後にやって来た高浜行を撮ります。

20241022_0123_16

古町車庫には懐かしい京王5000系だった700系が。

20241022_0129_16

暫く古町駅であちこち観察しているうちに、試運転から戻って来た700系と並びました。オレンジカラーはこれまで画像で見て居てなんとなく違和感があったのですが、実車を見ると段々好感が持てるようになって来たのが不思議です。

20241022_0165_16

伊予鉄社員の印象が、オレンジカラーに好感を持たせるように働いたのでしょうか? ステンレス車も似合っているようで。

20241022_0161_16

伊予鉄独自の新型車両7000系の第1陣6両(3両編成×2本)が、近畿車輛から古町車庫に搬入されたそうです。この新車で、元京王5000系が消えて行くことになります。

Rpn20241103iytt0101_80

暫く行っていなかった伊予鉄道鉄道線、また面白くなりそうです。

 

 

 

2024年11月 4日 (月)

広島から松山へ

鉄道好きな身として、普通なら鉄路を利用するのですが、妻同行での慰霊の旅としては、、、。スーパージェットと称するこれで、瀬戸内海クルージングとしました。

20241022_0095_16

折角2階席スーパーシートとしたのに、残念ながら雨交じりの空模様。広島港を後にしました。

20241022_0097_16

呉を経由します。2005年の出張の際、OER3001氏が務めていた会社が関わった開館直後の大和ミュージアムを見学していました。

0505272800426_55

その大和ミュージアム前の桟橋を後に、一路四国を目指します。

20241022_0101_n16

途中、倉橋島を結ぶ音戸大橋を抜けますが、この間は100mも無い狭さです。その操舵に感心しつつ、

20241022_0102_16

1時間20分の船旅を終え、松山観光港に到着です。松山観光港からは連絡バスで伊予鉄高浜線の高浜駅へ。

20241022_0108_16

1978年4月の出張時の夜、初めて行ってみた時とは車止めの位置が変わっているようにも見えます。

19780406_5015__13

今度は駅舎も入れて、全体の雰囲気を押さえておきました。いや~電車は井の頭線ですね~。

20241022_0111_16

この画像、実はカメラを構えるOER3001氏を見つめる妻が写っていたのですが、ここはちょっと隠れて頂いた次第。でもホントに隠れてもらっては困ります。

 

 

2024年11月 2日 (土)

久しぶりの広島電鉄

広島を訪れた前回はいつだったろうか? 手元の画像DATAを探ってみると・・・、

2006年10月のことでした。2日間にわたり開催された“・・・・・  SOLUTION WORLD 2006 in 広島”(・・・・・ は社名)という展示会に行った序で、時間をやりくりして広電撮っていました。

今は広電のJR広島駅ビルへの延伸・線路付け替え工事が進んでいるので、この猿猴橋町(えんこうばしちょう)電停はもうすぐ無くなってしまいます。

20061019_0144_50

今回はあくまで“平和祈念の旅”なので、電車は序で。とは言え、出会ったものはしっかり記録しておきます。この日の白島線の運行を担う1本は、元・京都市電の1900形でした。

20241021_1052_14

広電初のVVVFインバータ制御方式を採用した連接車3800形は、市内線・宮島線の両方で元気に活躍しているようです。この塗色好きだなあ。

20241021_1036_14

1999年以降は超低床車両の導入となり、この5200形は2019年から導入された最新鋭の5車体連節車。ここで「連接車」と「連節車」としたが誤字ではありません。日本産業規格(JIS)では「連節車は運用中に分離可能な連結器を使わずに、半永久的、直接的に車体同士を接続した車両全般を指す」と規定、車体間を連接台車で連結している車両を「連接車」、台車を用いないで連結している車両を「連節車」としています。

20241021_1038_14

5200形は単車3両で、台車を持たない浮き車体を保持している構造なので「連節車」です。5208編成は全身ブルーのラッピング。

20241021_1029_14

オレンジ色のラッピングも走っているが、良く見ればこのオレンジラッピングは、2005~08年に製造された一世代前の5100形で、5200形より座席数が2席少ないらしい。

20241021_1055_14

次々に新型車両が行き交うメインストリートは楽しい。紙屋町東で広島駅に向かう5100形と交換する広島港行1000形に乗ることにしました。

20241022_1002_14

1000形はグリーンムーバー・レックス(LEX:Light Excursion)の愛称を持つ3車体連節で全長18.6m、広電の全路線運行に対応します。

20241022_1007_14

広島港という駅(停留所)名も以前は宇品港と言われていましたが、2001年から現在のように「広島港(宇品)」と表示されるようになりました。広島駅行「1」5100形が発車して行きました。

20241022_1018_14

こちらは同じ広島行でも「5」の紙屋町を通らないルート。乗客数が少ないからなのか、3車体連節の1000形でした。

20241022_1025_14

「1」ルートの1000形が来ました。このカラーは広電バスの標準色らしいです。

20241022_1042_14

ここ、広島港(宇品)は車両撮影には良い場所ですね。この日は小雨も降っていたので、逆光の心配もありませんでした。横川行「7」の700形、運転士は女性ですよ。カッコイイ!

20241022_1029_14

ホーム奥に停車していた802、800形の中で1983年に製造された2両だけ、他車と違うフェイスなのですね。

20241022_1013_14

その後に増備された800形は、前照灯&尾灯の配列が縦から横に変わるなど、細部が少しづつ異なるようです。な、なんと、この運転士も女性。

20241022_1040_14

広島では、原爆被災後の復興に、女学生を乗務員に育成し運転士として乗務させていたという事実を、『堀川恵子、小笠原信之「チンチン電車と女学生」日本評論社2005年7月(ISBN 4535584257 )』で読んでいたが、時代が変わった今も、立派な女性運転士が多く活躍していることに嬉しい思いです。

 

2024年10月31日 (木)

広島のホテルで楽しむ

単独での鉄旅ではなく妻と一緒では、それなりにサービスしなければなりません。新幹線「のぞみ」もそうですが、ホテルにも気を使います。

30階の部屋を取ったお陰で朝には素晴らしい自然のサービス、西の方向にが‼ 左は厳島あたりから右は「エディオンピースウイング広島」の向こうへ。

20241022_0001_1620241022_0002_16

前日にはあれほど賑わっていた原爆ドーム周辺にはまだ人影は無く、ちょっと寂しい原爆ドーム前電停を発車したのは800形のようです。

20241022_0008_16_20241027163601

身支度をして朝食会場である最上階のレストランに向かうと、早朝の人影の無い平和記念公園の向こうには厳島が望めます。

20241022_0013_16

そして正面には、広電宇品線の軌道と広島港辺りが。こんな素晴らしい眺めでは朝食もままなりません。

20241022_0020_16

折角、客室とは反対側の、東南側の角テーブルを用意してくださったので、これを活かさなければ勿体無い。

20241022_0021_16

広島港から広島駅に向かう5車体の5100形グリーンムーバーマックスが、眼下の紙屋町交差点を行きます。

20241022_0032_16

代わって今度は3車体の1000形グリーンムーバーLEX。

20241022_0038_16

宮島口から広島港に向かうのは3100形でしょうか。元京都市電の1900形と交換です。食事を口にしては撮る。撮ってからまた食すの繰り返しです。

20241022_0041_16

東方を見れば新幹線! 貨物ターミナルを右に見て、東京方面に向かっていきました。

20241022_0052_16

ということで、リッチな気分でゆったり朝食と言う状況ではなくなってしまいましたが、妻は満足してくれたようで一安心といったところでした。

 

 

2024年10月29日 (火)

平和祈念の旅路

開業60周年を迎えた東海道新幹線で西へ向かいます。この姿を見ると、やっぱり嬉しいものです。

20241021_0005_16

次に心が躍るのはこれ。赤い電車も白くなりましたが、シルバーより好きです。

20241021_0009_16

今回の旅は、いつもは利用しない「のぞみ」利用です。人間としてもう一度あの悲惨さを目の当たりにしておかないといけないなと思って計画していた慰霊の旅でしたから、平和を「のぞみ」と言う意味も込めて。

20241021_0011_16

昨年から企てていた妻と一緒の旅、まさかその直前に、被団協が2024ノーベル平和賞を受賞することになるとは、思ってもいませんでした。

20241021_0014_16

今まで何回かこの地を訪れていますが、こんなに観光客が増えていたのですね。しかも、なんと外国人の多いこと。広島平和記念資料館への入場も、下手をすれば入場券を求めるのに一時間の行列です。OER3001氏はWEB予約しておいたお陰で入場はスムーズでしたが、館内は自由に歩けないほどの混雑でした。

20241021_0017_16

以前にあった原爆投下時の爆心地模型は、ほぼ同じサイズの映像型に変わり、焼けただれながら彷徨う被爆者の人形などが展示されなくなっていましたが、それでも当時の悲惨さは充分に伝わる展示。パネルの前で固まり、涙する外国人の姿もありました。

時間制限無く自分のペースで館内を進み、平和の尊さを身に染みて外に出てみれば、夕日がドームに。

20241021_0027_16

丁度やって来たのは、被爆電車とされる651号ではありませんか。

20241021_0029_16

爆心地から約700mの中電前附近で走行中に被爆した車両だと言うことで、当時の写真がありました。

Hiroshima_abomb_tram_651被爆電車 - Wikipedia 被爆直後の651号車(岸田貢宜撮影)より

今回の旅の主目的が、広島平和記念資料館や原爆ドームなどを前に、ちょっと立ち止まって考えてみることでした。だから宿泊先もちょっぴり贅沢して広島の街並みを見下ろせる高い場所にしました。

左遠方に宮島、ドームが左下。中央下にはひろしまゲートパーク。

20241021_0034_16

カメラを右に振ればサンフレッチェ広島のホームグランド「エディオンピースウイング広島」など。

20241021_0035_16

さらに右に振れば、眼下に広島城と広島美術館。JR可部線が真っ直ぐ伸びている筈です。

20241021_0033_16

広島のレポート第一弾はここまで。電車のことはまた改めてとしましょう。

 

 

より以前の記事一覧

フォト
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

他社線ご案内

無料ブログはココログ