鉄道(地方民鉄)

2021年5月15日 (土)

今日の一枚 No.115

このシリーズも115回目。ありましたよ、箱根登山鉄道115が。

強羅駅ですが、今とは配線が異なります。彫刻の森駅から来た電車は、先の方のホームに停車して乗客を降ろします。この写真では107他の2連が停車中です。その後に115の停車位置まで移動して乗客を乗せ、一旦渡り線を通って出発して行きました。

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増加した乗客に対応すべく、115の停車する線路上までプラットホームを拡張したのです。これにて箱根登山の番号追いは終了となります。

 

 

2021年5月 9日 (日)

上田交通の想い出:3

調子に乗ってぼっちの旅日記」勝手コラボレーション第3弾です。

上田駅では片隅に可愛らしい電機が佇んでいました。残念ながらパンタを下ろしたED25 11です。

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真横もしっかり捉えられました。台車は先の電車モハ4257と同様のブリルですが、こちらはシングルシューです。ワラ16778越しに、急行「信州」の169系が停車していますが、サロにはグリーン車マークが付けられながらも淡緑色帯が残る時代でした。

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電機の細部を観察しながら後方に向かい、この写真を撮った頃には背後に169系の姿はありません。随分長い時間、構内を愉しんでいたようです。

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ED25 11という機関車、この何とも言い表せない塗色もあって、水色の前照灯、白い手摺など、模型化する際には細かい心配りが必要なようです。

 

 

2021年5月 7日 (金)

富士山麓鉄道モ1形

1960(昭和35)年の富士急行への改称以来62年ぶりとなる来年2022年4月、富士山麓電気鉄道が誕生すると発表されました。

富士急行が鉄道事業を分社化することでの誕生とは言え、OER3001氏には懐かしい社名となります。小学2年生の時に「山麓」という意味を初めて知ったのですから。

その富士山麓電気鉄道の開通は小田急江ノ島線と同じ 1929(昭和4)年。開通に備えて日本車輌製造本店で5両製造されたのがモ1形(1~5)。1957(昭和32)年に車体を大型のものに載せ替えた際、旧車体が上田丸子電鉄に譲渡され、同社モハ4257となっていたもの。ということで、上田交通モハ4257のその後を。

会社創立80周年記念事業の一つとして、上田交通から引き取り復元されて2006(平成18)年7月、河口湖駅リニューアルオープンと同時に、駅前広場の一角に展示されました。

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上の駅舎左方、綺麗に復元されたモ1が展示されています。

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人通りが絶えた頃合いを見計らって、全方向から撮りました。

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駅舎を背にしたこちら側にはパンタが載っていますが、本来のモ1は両パンタだったようです。

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それでもここまで復元されているのは嬉しいです。

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「かわぐちこ」の駅票が備えられたホームに上がる階段脇には、モ1の解説があります。

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この解説文には「富士急行創立60周年記念事業にて・・・」とあり、冒頭の「会社創立80周年記念事業の一つとして・・・」と合致しないのは何故なのでしょう?

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プラットホームに上がれば綺麗に復元された車内も観察できます。

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この時代の電車には惹かれるところがあります。いかんいかん、レイルロードのエッチング素材№1017なんて言うのがあったのだ!

 

2021年5月 6日 (木)

上田交通の想い出:2

ぼっちの旅日記」勝手にコラボレーション第2弾、時は1973(昭和48)年3月。4月からの社会人生活を控えた大学時代最後の春休みは、友人達とのスキー三昧でした。その最後のスキーは原点帰り、つまりスキーを覚えた地である菅平へ。信越線上田駅からバスに乗り換えて向かいます。

この日、帰路の上田駅ではコーヒーを飲みながら談笑して列車を待つ友人達から離れ、一人上田交通の撮影に興じていました。ホーム事務室に一言断ればこの通り、構内を自由に歩き回れた時代は懐かしい。

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停車しているのはモハ4257。ホーム停車の光景も良いですが、折角なので近づいて撮ります。

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側面にまわりました。台車はブリルですが、元々のブレーキは型押し片押しシューではなかったのか、後年両抱き式に改造されたように見えますが、詳細は知りません。

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写真がは飯店反転では無いかと疑いたくなりますが、側扉ガラスの表示は車内向けなのでこれで合っています。「走行中開放禁ず」と書かれています。手動扉だったのですね。

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今では高架線になってしまった上田駅。地方私鉄らしい好感の持てる光景でした。

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堂々たるPC架線柱の国鉄線の脇に、広々した構内、木製架線柱の地方私鉄という取り合わせは模型のようです。

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プラットホームの「うえだ」と書かれた白い駅票も堂々たるものでした。

 

 

 

2021年5月 5日 (水)

上田交通の想い出

ぼっちの旅日記」で2回にわたり1970年夏の上田交通を取り上げていらしたので、勝手にコラボレーションさせて頂くことといたします。

OER3001氏が初めて上田を訪れたのは、1969(昭和44)年12月31日大晦日のことでした。大学1年の冬休み、菅平へのスキーで降りた駅。バスの乗り換え時間に友人達から一人離れ、僅かな時間で電車を見に行ったようです。

フィルムをケチったからなのか、それともフィルムを取り出すときのミスなのか判りませんが、光が入ってしまった残念なものになってしまっていますが、真田傍陽線の庫内構内に佇むモハ4250。

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こちらは国鉄上田駅南側の別所線だと思います上とは反対側を望んだもの。左がモハニ4250、右が入線してきたモハ4250。上はパンタ側、こちらは非パンタ側と、都合良く両方が撮れていました。

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上田電鉄上田駅と掲示された、ローカル私鉄としては堂々たる駅舎を撮っていましたが、この駅舎が真田傍陽線のものだったか別所線のものだったか? 肝心な電車は光線が入ってしまったフィルムなのに、駅舎は綺麗に残っていました。

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午前中に撮影している筈なので、光線の角度から判定すれば真田傍陽線の駅舎だったようです。 

この年の5月31日に会社名は「上田交通」となっていますが、駅舎には「上田電鉄」、バス停は「上田丸子電鉄」と、歴史ある社名が混在しているのが滑稽です。

 

追伸;トゥルーリさまからコメントを頂いたことから記憶を修整、該当本文を修正させて頂きました。

 

 

2021年5月 3日 (月)

今日の一枚 No.114

114回目となった“今日の一枚”、意地になって114の画像で行きましょう。

114という車号は伊豆急にも居たはずですが、生憎撮っておらず、ここ箱根登山のものしかありませんでした。1979(昭和54)年の彫刻の森で撮ったときは、前照灯も大きく黒いものでした。

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1987(昭和62)年に強羅で撮ったのを見ると、前照灯はシールドビームに交換されていました。

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引退を前にした1997(平成9)年 、薄黄色と青の1950年代後期の塗装になっていました。この時シールドビーム前照灯は再び古いタイプのものに交換されていたのです。

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“今日の一枚”とは言いつつ、114号の変遷を綴った次第です。

 

 

2021年4月29日 (木)

今日の一枚 No.113

「今日の一枚」 No.113はご期待(誰が?)にお応えして113を。

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残念ながら113は、この車内から捉えた1979(昭和54)年4月15日の一コマしかありませんでした。

何度も行って、何回もシャッター切っていても、なかなか全車両を撮るというのは難しいものですね。

 

2021年4月23日 (金)

今日の一枚 No.112

「今日の一枚」シリーズの今回は112回目となります。ごくごく一部の方から「箱根登山は115までカバーできるだろうか」とのコメントも頂いておりますので頑張って探しました。

ありましたよ、101と連結していた2両編成で活躍していた112の姿が。小涌谷駅を発車した直後の箱根湯本行き。

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1988(昭和63)年の大晦日、新年が一週間ほどで昭和を終えることになってしまうとは、考えもしないでシャッター押していました。

 

2021年4月18日 (日)

今日の一枚 No.111

ここの所続けてきた当シリーズは、回数と同じ形式または車号を取り上げてきましたが、そろそろネタ切れです。

そんな中、111がありました。伊予鉄道モハ110形、1978(昭和53)年5月の松山出張の際、仕事を終えた夕刻に松山市駅で撮っていました。

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日鋼式密着自連の下に電気連結器という旧型電車とは思えない装備の電車は、1967(昭和42)年の横河原線電化に際して、伊予鉄道が導入した初の他社からの譲渡車です。元は西武鉄道モハ151形で、クハ410形とともにモハ5両、クハ3両が1965(昭和40)年~1966(昭和41)年にかけて、西武所沢工場で車体更新後譲渡されている。

書類上は西武所沢車両工場による新製だそうだが、1927(昭和2)年の川崎造船製と言った方が合う17m全鋼製車体。このあたりの詳細は、ぬか屋さんがご存じだろうと思いますので、コメント書き込みを期待するとしましょう

最後におまけで箱根登山の111も。

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箱根登山の111は、この時の撮影しかカラーポジはありませんでした。

 

 

2021年4月16日 (金)

今日の一枚 No.110

このシリーズの前回は、箱根登山のモハ109号を取り上げましたので、調子に乗ってモハ110号です。

まだ小田原から3線軌道だった1978(昭和53)年のクリスマス、単行で箱根湯本に来た110を収めていました。

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この場所では何度も撮っていますが、この時は国道を行き交うクルマ、歩行者が全く無い状態で撮ることが出来ていたようです。今ではこんなこと、出来そうにありません。

 

 

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