今日の一枚

2022年12月29日 (木)

今日の一枚 No.151

いよいよ今年もあと3日になってしまいました。定年退職後は、毎日の生活は自分のペースでできるので、月末/月初だとか期末/期首だとかということとは無関係になっていますが、年の暮れだけは違います。やっぱり一区切りです。

こんな画像がありました。会社勤め初めて2年目の秋、鉄道趣味の管理職たちと訪れた北海道。ここが何処だったのか記録が無いのですが、追分だったかと思われます。

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澄んだ秋の空に月! 停泊するD51767のナンバープレートと共に、写せるかどうか分からないまま長時間露光してみた記憶だけがあります。

この一枚が、何となく年の瀬に相応しい気がして・・・。

 

2022年12月23日 (金)

今日の一枚 No.150

前回、「今日の一枚 No.149」に寄せられた“ぼっちぼち”さまからのリクエストにお応えして・・・

廃車解体待ちのD50 27を。1924(大正3)年9月、川崎造船所兵庫で9900形として新製、1928(昭和3)年にD50に形式変更 27号機となったもの。

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常磐線での活躍後、1950(昭和25)年以後新鶴見区所属を経て1957(昭和32)年から大宮工場内の入れ替えに従事。1960(昭和35)年に廃車となっていたようで、なんと廃車後7年の姿だったようです。

 

2022年12月21日 (水)

今日の一枚 No.149

この日は国鉄大宮工場の見学に行っていました。知り合いのお力添えで実現したと記憶しています。

外の試運転線では、検査後のC58 184号機が行ったり来たり。

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まだ蒸気機関車の定期検査をしていた時代だったのですね。今となっては貴重な記録です。 C58 184号機が進む先には、解体を待つD50 27号機の姿もありました。

 

2022年11月 3日 (木)

今日の一枚 No.148

55年前の情景を。2200形と2400形HE車の6連急行が迫るここは何処でしょうか? 現在の風景と対比したかったのですが、今は覆いが付いて撮れなくなってしまいました。代々木八幡の山手通り陸橋からの眺めです。

2200形は原型に近く、前照灯は1灯、屋根上のランボードはまだ撤去されていません。方向幕は新設され、電気連結器は56芯に交換。連結器はNCB-Ⅱ、密着自連の時代です。

良く見ると2200形は、他の2200形と異なる部分が多い2211-2212でした。

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乗務員扉両側の手摺は、通常の縦形ではなくステップ状の横形。この手摺形状は2300形、3000形SE車、ディーゼルの5000・5100だけが採用していました。

2211の台車は本来のアルストム形FS203ではなく、三菱MD101。この写真でも2列の枕ばねが確認できます。この日、この時間に何しにここへ出掛けたのかさっぱり覚えていませんが、夕刻に撮った一枚でも、様々なことがわかる貴重な記録となりました。

 

2022年10月27日 (木)

今日の一枚 No.147

写真そのものはダメダメの出来なのですが、オリンピックが初の東京開催となった1964(昭和39)年8月、家族旅行で泊まった湯河原温泉からの帰路、湯河原駅ホームから通過するブルートレインを撮っていました。

10時前だったのでしょう、「さくら」のヘッドマークを掲げたEF60が勢い良く通過して行きます。

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ハーフサイズカメラでの撮影故、つぶさに見ていなかったのですが何か変。特急用塗装ではないのに車号は513と読めます。同年に川崎車両で新製された車両でした。

調べてみたらなんと、513号機は手違いから一般塗装で新製されていたのでした。しかも特急寝台の牽引は1年ほどしかなかったようで、そんな歴史的事実を知っていたなら・・・、と後悔しても始まりませんが、貴重な証拠を収めていたということで自己満足としましょう。

 

2022年9月23日 (金)

今日の一枚 No.147

1999(平成11)年3月6日の夕刻、五泉駅から村松に向けて、蒲原鉄道のモハ71が発車したのを見送っていました。

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遠くの雪を被った山々は、磐梯朝日国立公園の一部でしょうか。

一枚の写真から、様々なことが判ります。蒲原鉄道は無くなってしまいましたが、磐越西線の線路左に見える白い五泉米集商協倉庫と右のダイヤ服飾のビルは、今も変わらずにあるようで、この翌月29日から開始された、C57 180 が12系客車6両を牽いての「SLばんえつ物語号」の運転は、23年を経た今も続いているのです。

 

2022年9月 6日 (火)

今日の一枚 No.146

半世紀以上のお付き合いを頂いているモハメイドペーパーさまのブログにも、遂に登場「今日の1枚 」が! OER3001氏の「今日の一枚」とは微妙に異なる「今日の1枚」という拘り(?)も。

取り上げられた一枚はターコイズグリーンの京阪10000系。2006年10月22日に交野線・郡津での撮影でした。なんと、同じ10002編成を1年前に宇治線宇治で撮っていました。

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おそらく撮影後はコレに乗って、反対側の10052の運転台を撮っていました。

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OER3001氏もこの撮影が目的で訪れた訳ではなく、京都での国際フォーラムに出張した帰路の寄り道でした。それでもこうした“努力”が、今は見られなくなってしまったターコイズグリーンの貴重な記録となっています。

2022年8月21日 (日)

今日の一枚 No.145

東海道新幹線と言えば、OER3001氏にとっては憧れの151系を東海道本線から追いやった憎い奴。開業時も「200㎞/hというスピード、一度は体験してみるか」と言った程度のもので、惚れることはありませんでした。

そう言えば開業当初は、花形特急電車の発着がなくなってしまった15番線の横に、発着する0系が眺められたものでした。

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ハーフサイズのフィルムにたった1枚、その姿が記録されていました。

 

2022年8月13日 (土)

今日の一枚 No.144

久しぶりの「今日の一枚」は、26年前の今日撮影した“富士と富士”、牽くはEF66 53号機です。今日は台風8号の接近で、たとえブルトレが来たとしても、こんな撮影は叶いません。

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2年前にも類似画像を紹介していますが、今回の方がお顔に陽が差して明るいです。

この当時、これを撮りたくて何度も通いましたが、雲に邪魔されない富士山とのコラボレーションは難しいものでした。今は残念ながら、ここに出掛ける気も無くなってしまいました。

 

2022年6月 8日 (水)

今日の一枚 No.143

ブログ掲載ネタが尽きたときは「今日の一枚」シリーズですが、気づけば前回は5月2日。既に1ヶ月以上前となりました。

それなら堂々と「今日の一枚」ということで、56年前の1966(昭和41)年、地上駅だった東北沢駅を。

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ハーフサイズのCanon・demiで撮っているのでピントもシャッター速度も問題ありの一枚ではありますがお許しを。

今、この地は地下化された線路用地を再開発しての「下北線路街」に。下北沢から上り勾配を駆け上がって来たのは1600形の通勤準急快速準急・新宿行のようです。対比している各停は2220形、下り線の待機は2600形NHEですが、まだ5連の時代だった筈です。

昔の一枚から、いろいろなことが思い出されます。

 

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