55年前の情景を。2200形と2400形HE車の6連急行が迫るここは何処でしょうか? 現在の風景と対比したかったのですが、今は覆いが付いて撮れなくなってしまいました。代々木八幡の山手通り陸橋からの眺めです。
2200形は原型に近く、前照灯は1灯、屋根上のランボードはまだ撤去されていません。方向幕は新設され、電気連結器は56芯に交換。連結器はNCB-Ⅱ、密着自連の時代です。
良く見ると2200形は、他の2200形と異なる部分が多い2211-2212でした。
乗務員扉両側の手摺は、通常の縦形ではなくステップ状の横形。この手摺形状は2300形、3000形SE車、ディーゼルの5000・5100だけが採用していました。
2211の台車は本来のアルストム形FS203ではなく、三菱MD101。この写真でも2列の枕ばねが確認できます。この日、この時間に何しにここへ出掛けたのかさっぱり覚えていませんが、夕刻に撮った一枚でも、様々なことがわかる貴重な記録となりました。
写真そのものはダメダメの出来なのですが、オリンピックが初の東京開催となった1964(昭和39)年8月、家族旅行で泊まった湯河原温泉からの帰路、湯河原駅ホームから通過するブルートレインを撮っていました。
10時前だったのでしょう、「さくら」のヘッドマークを掲げたEF60が勢い良く通過して行きます。
ハーフサイズカメラでの撮影故、つぶさに見ていなかったのですが何か変。特急用塗装ではないのに車号は513と読めます。同年に川崎車両で新製された車両でした。
調べてみたらなんと、513号機は手違いから一般塗装で新製されていたのでした。しかも特急寝台の牽引は1年ほどしかなかったようで、そんな歴史的事実を知っていたなら・・・、と後悔しても始まりませんが、貴重な証拠を収めていたということで自己満足としましょう。
半世紀以上のお付き合いを頂いているモハメイドペーパーさまのブログにも、遂に登場「今日の1枚 」が! OER3001氏の「今日の一枚」とは微妙に異なる「今日の1枚」という拘り(?)も。
取り上げられた一枚はターコイズグリーンの京阪10000系。2006年10月22日に交野線・郡津での撮影でした。なんと、同じ10002編成を1年前に宇治線宇治で撮っていました。
おそらく撮影後はコレに乗って、反対側の10052の運転台を撮っていました。
OER3001氏もこの撮影が目的で訪れた訳ではなく、京都での国際フォーラムに出張した帰路の寄り道でした。それでもこうした“努力”が、今は見られなくなってしまったターコイズグリーンの貴重な記録となっています。
ブログ掲載ネタが尽きたときは「今日の一枚」シリーズですが、気づけば前回は5月2日。既に1ヶ月以上前となりました。
それなら堂々と「今日の一枚」ということで、56年前の1966(昭和41)年、地上駅だった東北沢駅を。
ハーフサイズのCanon・demiで撮っているのでピントもシャッター速度も問題ありの一枚ではありますがお許しを。
今、この地は地下化された線路用地を再開発しての「下北線路街」に。下北沢から上り勾配を駆け上がって来たのは1600形の通勤準急快速準急・新宿行のようです。対比している各停は2220形、下り線の待機は2600形NHEですが、まだ5連の時代だった筈です。
昔の一枚から、いろいろなことが思い出されます。
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