鉄道(海外)

2021年3月 2日 (火)

バーゼルの路面電車

1979(昭和54)年7月19日、ベルンの路面電車を見た後はICに乗車、フランス、西ドイツ(現ドイツ)と国境を接するバーゼル(Basel)に向かいました。スイス国鉄の駅は「バーゼルSBB」ですが、フランス国鉄の「バーゼルSNCF」と一体となった駅で、プラットホームに事実上の国境が設けられているという、日本人には驚愕のものです。

こちらがそのバーゼルSBB駅の正面。SNCF駅は右方向になります。左のビル屋上に、今は無き「SANYO」のロゴマークが見えたのに違和感を抱いたものです。

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しかしこの駅前が路面電車のターミナルとなっていて、グリーンの電車が頻繁に発着しています。

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あまり新しい車両には出会えず、まだボギー車や2車体連接車が主流でした。

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こちらはどう見ても西ドイツ製デュヴァグ(Duewag)カーです。

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今では広島電鉄にも、芝生の軌道が出来ましたが、この当時は軌道に芝生が敷かれている姿に感動したものです。

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ここも然程長くない滞在時間で、たくさんの路面電車を記録することが出来ました。

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短い休暇の最大活用の慌ただしい旅、この後はまた他の地へ向かいました。

 

 

2021年2月27日 (土)

ベルンの路面電車

アムステルダムの路面電車を見た後は、憧れの国際列車TEE乗車を堪能したのですが、このことはまた別の機会にご紹介するとして、その夜はベルンに一泊。翌日の過激行動前の“朝練”をベルンで行いました。

生憎ここだけは手持ちフィルム本数の関係から、ネガフィルムでの撮影。最初は朝陽を受けてホテルから程近くの、有名らしいカラフルな噴水のモニュメント前から一枚。1354 年、ベルン初の病院を設立したアンナ ザイラーの像だそうですが、貴重なフィルムでその像は撮っていないのがOER3001氏。フィルムがかなり黄変していてがっかりです。

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この日もまた、ベルンからICで移動する関係から駅に向かう路上での撮影でした。大きな荷物を抱えながらの撮影は楽ではありません。3車体連接が来ました。

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駅方向への曲がり角で、交戦状態の良い場所を見付けました。これは古いボギー車が付随車を牽引しています。

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今度は3車体連接が。前々画像と同型ですが、こちらは「12」号のようです。オデコの「9」は運行系統のようです。

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今度はボギー車の2両編成、「121」号です。古い歴史を感じるベルンの街並みに、このグリーンとクリームのツートーンカラーは良く似合うと思います。

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ベルンをもっと歩いて見たかったと思いつつ、僅かな時間でここを去るのはとても残念でした。

 

2021年2月24日 (水)

アムステルダムの路面電車

マンハイム(Mannheim)の路面電車を撮った後は再びICに乗り、北に向かいました。 ちょっとした距離、500㎞くらいだと思いますが、国境を越えて夜遅くに到着した地はオランダのアムステルダム(Amsterdam)。

なんとかホテルに荷物を置き、有名な夜の運河に向かってみました。 運河に沿って、所謂“飾り窓”街が! それはそれは何とも眩しい光景でした。

1979(昭和54年)年7月18日 の朝7時15分、窓から外を見れば、そこは王宮(Koninklijk Paleis Amsterdam)前のダム広場(Dam)に面した部屋ではないですか。 今思えば随分と凄いホテルだったようです。

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簡単に朝食を済ませ、早速活動開始。 7時45分、アムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)に向かう黄色い路面電車が次々に通ります。

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ダム広場の国立モニュメント(Nationaal Monument)と王宮を入れて撮りたかったのですが、王宮の塔が高くて入りきれませんでした。

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8時近くなると通勤者も多くなり、自転車で急ぐ人も路面電車と併走です。

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折角なのでとりあえず来た電車に乗ってみました。

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ところが昨夜遅くに西ドイツからオランダに入ったため、両替所はどこも開いて無く、ギルダー(NLG=Nederlandse gulden)が無く、手元には西ドイツマルクだけ。 降車の際に訳を言ったら優しく「この次でいいよ、良い旅行を」と言って優しく見送ってくれたのです。

オランダ人に感激し、東京駅のモデルとなったと伝え聞くアムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)前で撮影です。思っていたほど大きくなく、東京駅の方が遙かに大きく、少々立派で残念でした。

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流石に駅前は人が多いですが、それでも東京都は比べものになりません。

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電車は次々に来ますので、駅前だけで充分観察できます。

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停車場も人の往来が自由。 みんな自己責任でしょうか、思うがままの方向目指して歩き出します。

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8時22分になったところで、車道を歩くカップルに目視されてしまいました。

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親切なオランダ人に出会いながら、深夜に着いたアムステルダムには10時間も滞在しませんでした。 慌ただしくこの後は、国際列車TEEに乗ることになっていました。

 

2021年2月15日 (月)

マンハイムの路面電車

カールスルーエの路面電車を見た1979年7月17日、再びICに乗ってマンハイム(Mannheim)に急ぎました。

マンハイム中央駅(Mannheim Hbf)に到着、 駅舎中央の時計は16時を示していました。  午前中にハイデルベルクで見たのと同じ「OEG」オーベルライン鉄道 (Oberrheinischen Eisenbahn-Gesellschaft)の電車が大通り方向に向かって発車しました。

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この駅と直角に交わる広々とした道路を「OEG」 が加速して行きました。

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16時2分過ぎでしょうか、今度は3車体連接のデュヴァグ(Duewag)カーが。

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続いて同じデュヴァグ (Duewag)の2車体連接が、渡り線を渡って手前の線路に。

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次の電車は前照灯が1灯のバージョン、初めからその線路です。

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今度は赤い帯のが。 ここまででおよそ10分間です。

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いや、もう、次々に発着しています。 今度は「OEG」が。

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振り向けば3列車が続々とですが、「OEG」でない方はマンハイム交通とでも言うのか知りませんが、帯の色が赤、黒と存在していたようです。

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ちょっと歩いて見ました。 「OEG」は両運転台で、進行方向のパンタを上げますが、マンハイム交通(勝手にそうしましたが)は終端ループなので一方方向にしか進みません。 右側の車両はその後部です。

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書き忘れましたがここも軌間は1,000㎜、メーターゲージでした。

ただ路面電車を見る目的で訪問したマンハイム、1時間もあれば充分の収穫と言うことで、朝はフランクフルト、昼前にハイデルベルク、昼過ぎにカールスルーエ、そして夕刻にこのマンハイムと、一日で4都市の路面電車を見て回ることができた次第。 

この後ICで宿泊地だったフランクフルトまで戻ったという、慌ただしくも充実した一日でした。

 

 

2021年2月 9日 (火)

カールスルーエの路面電車

ハイデルベルク(Heidelberg)から再びICの乗客となり、向かった先はカールスルーエ(Karlsruhe )。 同じバーデン=ヴュルテンベルク州( Land Baden-Württemberg) の都市です。

ドイツ(この時は西ドイツ)では、何処の都市へ行っても、その都市名の駅は全て「中央駅(Hauptbahnhof)」なので、地図を見ても「Hbf」としか表示されていないことも多く、駅舎の写真を撮っても「Hauptbahnhof 」としか書かれていないので、後に写真を見ても何処だったかわからなくなることがあります。

これがカールスルーエ中央駅(Karlsruhe Hbf )、駅前の停留所は「Hauptbahnhof」です。

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黄色ベースの車体ですが、赤いのと緑色のとが走っていました。 

赤い方がカールスルーエ交通事業(VBK:de:Verkehrsbetriebe Karlsruhe GmbH)、緑色がアルブタール交通(AVG:Albtal-Verkehrs-Gesellschaft mbH )とのこと。 相互直通運転を行っていました。

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赤いVBKは紛れもないデュヴァグ (Duewag)カーです。

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噴水と草花で居心地の良い駅(停留所)でした。

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思わずしゃがんで、カメラを低く構えたら、ドイツのお父さんに見られてしまいました。 車内のご婦人お一人も視線をこちらに。 よっぽど目を引く格好だったのでしょうか。

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緑色のAVGにも、デュヴァグ (Duewag)カーがありました。 こちらのカラーの方が好みです。

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と言うわけで、帰国後にROCO製品を買ってしまいました。  行先はHauptbahnhof。

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先のお父さんの視線を引きつけてしまった写真と似たアングルでも。 実車のパンタグラフはワンアームではなかったようですが、まあいいか。

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折角なので久しぶりに動かしてみました。

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このような車両はなかなか運転会では出番がありませんが、コロナ禍で外出自粛の時、KATOの550R曲線上でも走らせれば充分楽しいものです。

 

 

2021年2月 7日 (日)

ハイデルベルクの路面電車

1979年7月17日、フランクフルト中央駅(Frankfurt Hbf) 近くで撮影後、インターシティ(IC)と言っていた特急列車で向かった先はここ、ハイデルベルク(Heidelberg)でした。 ハイデルベルク中央駅(Heidelberg Hbf)正面の時計は10時35分を示しています。

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ハイデルベルクと言えば多くの日本人には、世界中の数多くの観光客や学者を引きつける、プファルツ選帝侯の宮廷だった城跡やドイツ最古の大学ループレヒト=カールス大学などが思い浮かぶことと思いますが・・・、そのどちらにも足は向けずでした。

駅内インフォメーションで入手した路線図頼りに、生憎の雨の中、適当な場所まで乗ってみました。 古い街並みが綺麗な場所で下車して待つと、小田急の旧塗装より明るい黄/青の塗装車が現れました。

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先の電車には「HSB」 の表示なのに、今度来たの3車体連接車は「OEG」 。 この電車、両方の運転台側にパンタを乗せていますが、後方パンタは下ろしています。 走行方向のパンタを上げるのでしょうか。

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雨は小降りから止んできたようですが、低く垂れ込めた雲で暗いのが残念! 古いドイツの街らしい雰囲気が良いのに。

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少し明るくなってきましたが、街行く人々は7月とは思えない服装で、大分寒い地だったのですね。

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この場所でちょっと粘ってみたようです。 グリーンの電車が近づいて来ましたが・・・、

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去って行った後ろ側は赤でした。 面白い塗装です。

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ネッカー川(Neckar)に架かる橋まで歩いたようです。 来たのは「OEG」の3車体連接電車で「107」と車号が読めます。 後に調べたら、ハイデルベルク電気軌道に乗り入れるオーバーライン鉄道の車両だったようです。

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どこか繁華街に移動したようです。 すっかり雨が上がり薄日も差してきました。 この白/青の好感を感じる塗装が「HSB」の本来の塗装のようです。

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赤い車両は広告電車だったようでした。

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このハイデルベルク電気軌道は、写真を見る限りメーターゲージだったようで、とても好感が持てました。

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今の時代なら、ドイツの情報収集も楽にでき、この正面のホテルに泊まってなどと計画を練れるのですが、このコロナ禍では実現できそうにないのが残念です。

戻って来た中央駅(Heidelberg Hbf)のコンコース、壁面の時計は12時22分を示しています。

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僅か2時間にも満たないハイデルベルク滞在はこれにて終了。

プラットホームに下りてみれば、隣のホームからキハ02のようなレールバスの4両編成が発車するところ。 かわいらしい車体を4両も連ねて、エンジン全開の排気は凄いものでした。

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ここから再びインターシティの乗客となり、次の地へ向かいました。

 

 

2021年1月27日 (水)

フランクフルトの路面電車

ニュルンベルグの路面電車を見た日、再び200㎞あまり列車に乗ってフランクフルトで一夜を過ごしました。 明けた7月17日の予定は強行軍、先ずはフランクフルトで“仕事”です。

重厚な建物のフランクフルト中央駅(Frankfurt Hbf)、ドイツらしい威厳を感じられます。

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中央駅周辺を散策して、路面電車にカメラを向けます。 これは宿泊したホテル前の道だったか、バナナが描かれた赤い電車が来ました。 形式は知りませんが、これぞデュワグ(Duewag)製の車両です。

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駅前の広場へは、同型のグリーンの広告電車がやって来ました。

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この当時の標準色は、何か小湊鐵道のように思えるこれ。デュワグカーが主力と言うか、デュワグ社は西ドイツ国内では8割近くのシェアを持っていたようですから当然です。

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この当時の最新型と思われるのがこの3車体連接車。

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このフランクフルトでは路面電車に乗る機会はありませんでした。 撮るだけ撮って、次の地に向かったのでした。

 

2021年1月12日 (火)

ニュルンベルグの路面電車

フランクフルトから列車で向かったニュルンベルグ、目的の一つは路面電車でした。 立派なニュルンベルグ中央駅(Nürnberg Hbf)正面に、その停留所が設けられているので迷うことはありません。

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この当時はまだ、シックなカラーリングの旧型車両が主力だったようです。 247とありますが、いったいどんな経歴の車両なのか、知識を持っていませんでした。

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カラーの違う、赤い新型車両も投入されていました。 364とありますが、こちらも知識無く残念! ただスマートで静かな車両でした。

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新旧の車両がひっきりなしに行き交って、退屈することはありません。

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旧型車両の後には新型車両が続行するといった状況です。

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バイエルン州第2の都市であるニュルンベルグは、中世からの伝統ある都市で、多くの見どころがある地であるのに、この時は路面電車と模型店だけが目的という悲しい?旅でした。

 

2021年1月 9日 (土)

ビュルツブルグ

1979年7月16日、フランクフルトからニュルンベルグに向かう途中、乗って来た列車はビュルツブルグで暫し停車していたようです。 そこそこ大きな都市らしく、駅は賑わっていました。

反対側のホームには、スマートな111形電気機関車牽引の列車が到着します。 機関車の後ろ3両は腰が赤い1等車、腰の青い2等車がその後ろに続きますが、カラーデザインが揃っているので綺麗な編成です。

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プラットホームの光景はいかにも外国、2等車は上段下降式ユニット窓を下げて、ホームのワゴンから買い物です。

「アイン ビア ウントゥ ヴァイスヴルスト ビッテ」ってカッコ良くドイツ語で言って、買い物してみたかったのですが、1等車の窓は開きません。

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どういうわけか103形電機の列車を撮っていますが、もしかしたらこれに乗り換えたのかも知れません。

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カラーポジフィルムのマウントに、コマ目に貴陸していなかったことが悔やまれます。 デジカメの今なら、撮影日時もしっかり記録されるし、便利な世の中になったものと再認識します。

 

 

2021年1月 7日 (木)

初めて乗ったヨーロッパの列車

それは1979年7月16日、西ドイツはフランクフルトからニュルンベルグに向かう列車、日本流に言えば“特急”で、あの103形電機の牽引で最高時速は200km/hです。 ニュルンベルグに向かった理由は、なんとなく鉄道模型の香りがしそうな都市だったからでした。

1等車と2等車がある編成で、ユーレールパスを買っているので当然1等車
を利用します。 こちらはもっとも標準的なコンパートメント、1室の定員は6名で、予約している乗客名と乗車区間が各客室の入り口に掲示されています。

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物珍しいOER3001氏は指定された座席に落ち着くことなどあり得るはずも無く、車内をウロチョロと見学します。 

個室の1室は列車セクレタリーの部屋になっていて、何やらビジネスの手伝いをしてくださるようでしたが、インターネットが無かった時代だからあり得たサービスですね。

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食堂車に行ってみました。 とりあえず、ビールと何かを注文した筈ですが、貴重なカラーポジフィルムではその写真は撮っていなかったのが、デジタル時代の今となっては残念です。

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こちらは編成中1両の開放車。 その開放という意味が理解しづらいのですが、ほとんどの客室がコンパートメントとなっている国だからこその表現です。 車体幅は日本国鉄の標準である2,800㎜より100㎜ほど狭いのですが、ゆったりしたフルリクライニングの3列座席です。

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斯様な列車でニュルンベルグに向かったのですが、なんと西ドイツを含むヨーロッパの客車って、編成組成に自由度が高いだけに、最後部はこんな感じで貫通扉の窓越しに過ぎ去る景色を眺められ、時速200km/hで迫力満点です。

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飛び去っていく架線と架線柱に興味を持ちました。 重錘式の自動張力調整装置です。

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どの辺りかさっぱり判りませんが、著しく芸術的なトンネルを飛び出しました。 向こう側の入り口の光が確認できるので、それほどの長さではないトンネルですが、左右にライオンのレリーフ、上部に“MDCCCLIV”と。

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トンネルを抜けた先はこの小さな駅でしたが、残念ながら駅名は確認できません。

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日本じゃ考えられないのですが、この列車のには開けることができる窓があったので、カメラを出して見ました。

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12両、いや13両編成なのか? 遙か先頭にワインレッドとクリームの103形電機、その後にネイビーブルーとクリームの2等客車8両の後が、ワインレッドとクリームの食堂車と1等車となっています。

これに乗ったことで一気にDBが気に入ってしまったのです。

さてさて、この後はまた何れということで失礼いたします。

 

 

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