鉄道(海外)

2021年3月26日 (金)

バーゼルの路面電車-4

ここのところ、バーゼルの路面電車を取り上げていますが今回はその4回目。

バーゼルSBB駅から北に数百メートル歩いたところにHeuwaageと書かれた駅、停留所がありました。ホイヴァーゲと発音するのでしょうか。当時は終端駅だったのですが、今Googleマップで見ると路線延長して中間駅になっているようです。

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ヨーロッパらしい雰囲気の、とても魅力的な駅に、メーターゲージの路面電車と言うより立派な郊外電車らしき3両編成が停車していたのです。運行系統は「17」、日本流に言えば、デハがサハとクハを連結しています。“デハ”の車号は16と。

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あまりに魅力的な電車、スイスの街中にぴったりではありませんか。乗車することは出来ませんでしたが、前から、左から、右から、そして向こう側にまわって、時間の許す限り眺めてしまいました。

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駅舎の後方の三角屋根は図書館らしいです。今は右手の駅舎は取り壊されているようです。

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反対側の“クハ”は23。貫通扉中央の黄色い目玉様のマークは、市内電車に掲示された“不正乗車防止”のマークだと聞きました。ゾーン製の運賃で、乗車前にきっぷを買う必要があるのですが、悪意をもって無賃乗車しようとすれば出来ないことはないようですが、見つかった場合の制裁はかなりの高額と聞きました。

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午前10時20分頃からの数分間で、“クハ”も反対側面へまわって撮りました。

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“クハ”先頭の3両編成の姿もしっかり押さえておきました。

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この3両編成、発車を見届けぬままに、列車に乗るためにバーゼルSBB駅に急いだのでした。

この車両について、Web等で調べてみたものの詳細はまだ解らず仕舞い。バーゼル市交通局(Basler Verkehrs-Betriebe(BVB))だとしたら緑色の車両だったはずなのに、なぜこの青/白ツートーンカラーだったのか・・・?

ご存じの方が居られたらご教示頂きたいものです。

 

2021年3月20日 (土)

バーゼルの路面電車-3

バーゼルの路面電車-2」に取り上げた1980(昭和55)年晩秋のこと、フランス国内に向かう前に、バーゼルSBB/SNCF 駅から数百メートル離れたアエッシェン広場(Aeshenplatz)まで歩いていたようです。

緑色の路面電車がバーゼル市交通局(Basler Verkehrs-Betriebe(BVB)) なのに対し、黄色に赤帯車体の路面電車はバーゼル・ラント交通局(Baselland Transport(BLT))。

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「10」と「11」系統を掲げるのが黄色いBLTですが、この線路には緑色のBVBも走っていました。

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いかにも新型車両らしい好ましいスタイルの車両でした。

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ここがアエッシェン広場(Aeshenplatz)の停留所、駅なのか、ビルに囲まれた場所とは言え、なんとも長閑で好ましい光景に感激しました。

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駅の時計は11時近くを指していますが、どうもフランス国内への列車に乗ったのはこの後だったようです。

 

2021年3月16日 (火)

バーゼルの路面電車-2

バーゼルの路面電車については1979(昭和54)年の状況を取り上げていますが、今回はその翌年1980(昭和55)年晩秋に訪問したときの収穫から。この時はバーゼルに宿泊しました。

朝、「ちょっとフランスへの用があって」列車に乗るためにバーゼルSNCF駅に向かう途中で思いがけない車両に遭遇しました。工事用車両だと思いますが、キャブ内には車両と同じオレンジ色の作業服を着た職員さんがいっぱい乗っています。牽引する台車のような車両には何やら機材が積まれていました。

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それにしても朝から、ホテルを出たら直ぐに撮影できるように用意しておかないとチャンスを逃してしまいますね。折角なのでその後に続いてきた「18番」も収めておきました。

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それにしてもバーゼルの路面電車って、花巻電鉄を思い出すようなスリムなサイズですが、残念ながら全幅などの詳細は掴めずにいます。

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車内は斯様な3列シート。

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ハンドル形の主幹制御器で運転します。

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フランスでの所要を終えて、夕刻に戻ったバーゼル市内。路面電車を降りたのはここでした。右側のビル前に保存車両が置かれていました。

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それがこれなのですが、残念なことに“手ぶれ”です。左の赤い部分に書かれたドイツ語は「鉄道模型100周年」。そう、展示会場でした。

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展示会は夜まで開城しているので、昼間はフランスへ、夜はこの展示会へと、慌ただしくも充実した一日でした。

 

 

2021年3月10日 (水)

チューリッヒの路面電車

バーゼル(Basel、Bâle)の路面電車を見た日、次に向かった場所はチューリッヒ(Zürich)でした。スイス連邦鉄道(SBB,CFF,FFS)のチューリッヒ中央駅(Zürich Hbf)は、チューリッヒ湖(Zürichsee)から流れるリマト川に突き当たるような形の頭端式です。

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この中央駅前から、路面電車は縦横に路線を伸ばしています。駅周辺をちょっと歩き出せば、路面電車に出会えるのは最高です。写真を見て気付きましたが右のワーゲンのナンバー、「ZH」とあるのはチューリッヒなのですね。

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ボビー車が付随車を連結した2両編成です。

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こちらは3車体連接車の“重連”、堂々としていてカッコイイです。

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ボギー車の単行が、軽快に見えてしまいます。

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3車体連接の重連は、どうも「7」系統に充当されているようです。

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リマト川に架かる橋の上ですが、河川への電力線が!

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チューリッヒ中央駅前に戻ってきました。ヨーロッパの街には必ずと行って良いほど、歴史上の人物像が建てられていますが、この方は何方だったのか・・・? 

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路面電車の停車場と並んで、トロリーバスの停留場もありました。電車と同じ塗装です。

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人物像の直前を、3車体連接車が発車して行きました。アルフレッド・エッシャー(Alfred Escher)と言う人物、スイスの政治家で起業家、鉄道王とも賞されていた人物の像だと言うことを、今になって知った次第。

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リマト川を渡って来たのはこの当時の最新型車両“トラム2000”、電気品は三菱電機製だと聞きました。2車体連接車の重連です。

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先の3車体連接車がボギー車を連結した運用もありました。

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日本語地図に「バンホフ通り」と記載されている、チューリッヒ中央駅前から伸びる歩行者・路面電車専用道路が、鉄道好きにはこの上ない天国です。

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永世中立国ということもあるのか、スイス国旗を大切に掲げた街並みがまた素晴らしいです。

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銀座通りをこのように都電と歩行者専用にすることを考えなかった日本人。悲しいとしか言えませんね。チューリッヒは環境保護視点から、市内交通を路面電車、トロリーバスを柱とする交通政策を採っているようで、大いに学ばなければならない筈です。

 

2021年3月 2日 (火)

バーゼルの路面電車

1979(昭和54)年7月19日、ベルンの路面電車を見た後はICに乗車、フランス、西ドイツ(現ドイツ)と国境を接するバーゼル(Basel)に向かいました。スイス国鉄の駅は「バーゼルSBB」ですが、フランス国鉄の「バーゼルSNCF」と一体となった駅で、プラットホームに事実上の国境が設けられているという、日本人には驚愕のものです。

こちらがそのバーゼルSBB駅の正面。SNCF駅は右方向になります。左のビル屋上に、今は無き「SANYO」のロゴマークが見えたのに違和感を抱いたものです。

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しかしこの駅前が路面電車のターミナルとなっていて、グリーンの電車が頻繁に発着しています。

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あまり新しい車両には出会えず、まだボギー車や2車体連接車が主流でした。

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こちらはどう見ても西ドイツ製デュヴァグ(Duewag)カーです。

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今では広島電鉄にも、芝生の軌道が出来ましたが、この当時は軌道に芝生が敷かれている姿に感動したものです。

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ここも然程長くない滞在時間で、たくさんの路面電車を記録することが出来ました。

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短い休暇の最大活用の慌ただしい旅、この後はまた他の地へ向かいました。

 

 

2021年2月27日 (土)

ベルンの路面電車

アムステルダムの路面電車を見た後は、憧れの国際列車TEE乗車を堪能したのですが、このことはまた別の機会にご紹介するとして、その夜はベルンに一泊。翌日の過激行動前の“朝練”をベルンで行いました。

生憎ここだけは手持ちフィルム本数の関係から、ネガフィルムでの撮影。最初は朝陽を受けてホテルから程近くの、有名らしいカラフルな噴水のモニュメント前から一枚。1354 年、ベルン初の病院を設立したアンナ ザイラーの像だそうですが、貴重なフィルムでその像は撮っていないのがOER3001氏。フィルムがかなり黄変していてがっかりです。

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この日もまた、ベルンからICで移動する関係から駅に向かう路上での撮影でした。大きな荷物を抱えながらの撮影は楽ではありません。3車体連接が来ました。

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駅方向への曲がり角で、交戦状態の良い場所を見付けました。これは古いボギー車が付随車を牽引しています。

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今度は3車体連接が。前々画像と同型ですが、こちらは「12」号のようです。オデコの「9」は運行系統のようです。

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今度はボギー車の2両編成、「121」号です。古い歴史を感じるベルンの街並みに、このグリーンとクリームのツートーンカラーは良く似合うと思います。

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ベルンをもっと歩いて見たかったと思いつつ、僅かな時間でここを去るのはとても残念でした。

 

2021年2月24日 (水)

アムステルダムの路面電車

マンハイム(Mannheim)の路面電車を撮った後は再びICに乗り、北に向かいました。 ちょっとした距離、500㎞くらいだと思いますが、国境を越えて夜遅くに到着した地はオランダのアムステルダム(Amsterdam)。

なんとかホテルに荷物を置き、有名な夜の運河に向かってみました。 運河に沿って、所謂“飾り窓”街が! それはそれは何とも眩しい光景でした。

1979(昭和54年)年7月18日 の朝7時15分、窓から外を見れば、そこは王宮(Koninklijk Paleis Amsterdam)前のダム広場(Dam)に面した部屋ではないですか。 今思えば随分と凄いホテルだったようです。

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簡単に朝食を済ませ、早速活動開始。 7時45分、アムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)に向かう黄色い路面電車が次々に通ります。

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ダム広場の国立モニュメント(Nationaal Monument)と王宮を入れて撮りたかったのですが、王宮の塔が高くて入りきれませんでした。

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8時近くなると通勤者も多くなり、自転車で急ぐ人も路面電車と併走です。

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折角なのでとりあえず来た電車に乗ってみました。

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ところが昨夜遅くに西ドイツからオランダに入ったため、両替所はどこも開いて無く、ギルダー(NLG=Nederlandse gulden)が無く、手元には西ドイツマルクだけ。 降車の際に訳を言ったら優しく「この次でいいよ、良い旅行を」と言って優しく見送ってくれたのです。

オランダ人に感激し、東京駅のモデルとなったと伝え聞くアムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)前で撮影です。思っていたほど大きくなく、東京駅の方が遙かに大きく、少々立派で残念でした。

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流石に駅前は人が多いですが、それでも東京都は比べものになりません。

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電車は次々に来ますので、駅前だけで充分観察できます。

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停車場も人の往来が自由。 みんな自己責任でしょうか、思うがままの方向目指して歩き出します。

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8時22分になったところで、車道を歩くカップルに目視されてしまいました。

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親切なオランダ人に出会いながら、深夜に着いたアムステルダムには10時間も滞在しませんでした。 慌ただしくこの後は、国際列車TEEに乗ることになっていました。

 

2021年2月15日 (月)

マンハイムの路面電車

カールスルーエの路面電車を見た1979年7月17日、再びICに乗ってマンハイム(Mannheim)に急ぎました。

マンハイム中央駅(Mannheim Hbf)に到着、 駅舎中央の時計は16時を示していました。  午前中にハイデルベルクで見たのと同じ「OEG」オーベルライン鉄道 (Oberrheinischen Eisenbahn-Gesellschaft)の電車が大通り方向に向かって発車しました。

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この駅と直角に交わる広々とした道路を「OEG」 が加速して行きました。

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16時2分過ぎでしょうか、今度は3車体連接のデュヴァグ(Duewag)カーが。

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続いて同じデュヴァグ (Duewag)の2車体連接が、渡り線を渡って手前の線路に。

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次の電車は前照灯が1灯のバージョン、初めからその線路です。

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今度は赤い帯のが。 ここまででおよそ10分間です。

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いや、もう、次々に発着しています。 今度は「OEG」が。

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振り向けば3列車が続々とですが、「OEG」でない方はマンハイム交通とでも言うのか知りませんが、帯の色が赤、黒と存在していたようです。

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ちょっと歩いて見ました。 「OEG」は両運転台で、進行方向のパンタを上げますが、マンハイム交通(勝手にそうしましたが)は終端ループなので一方方向にしか進みません。 右側の車両はその後部です。

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書き忘れましたがここも軌間は1,000㎜、メーターゲージでした。

ただ路面電車を見る目的で訪問したマンハイム、1時間もあれば充分の収穫と言うことで、朝はフランクフルト、昼前にハイデルベルク、昼過ぎにカールスルーエ、そして夕刻にこのマンハイムと、一日で4都市の路面電車を見て回ることができた次第。 

この後ICで宿泊地だったフランクフルトまで戻ったという、慌ただしくも充実した一日でした。

 

 

2021年2月 9日 (火)

カールスルーエの路面電車

ハイデルベルク(Heidelberg)から再びICの乗客となり、向かった先はカールスルーエ(Karlsruhe )。 同じバーデン=ヴュルテンベルク州( Land Baden-Württemberg) の都市です。

ドイツ(この時は西ドイツ)では、何処の都市へ行っても、その都市名の駅は全て「中央駅(Hauptbahnhof)」なので、地図を見ても「Hbf」としか表示されていないことも多く、駅舎の写真を撮っても「Hauptbahnhof 」としか書かれていないので、後に写真を見ても何処だったかわからなくなることがあります。

これがカールスルーエ中央駅(Karlsruhe Hbf )、駅前の停留所は「Hauptbahnhof」です。

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黄色ベースの車体ですが、赤いのと緑色のとが走っていました。 

赤い方がカールスルーエ交通事業(VBK:de:Verkehrsbetriebe Karlsruhe GmbH)、緑色がアルブタール交通(AVG:Albtal-Verkehrs-Gesellschaft mbH )とのこと。 相互直通運転を行っていました。

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赤いVBKは紛れもないデュヴァグ (Duewag)カーです。

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噴水と草花で居心地の良い駅(停留所)でした。

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思わずしゃがんで、カメラを低く構えたら、ドイツのお父さんに見られてしまいました。 車内のご婦人お一人も視線をこちらに。 よっぽど目を引く格好だったのでしょうか。

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緑色のAVGにも、デュヴァグ (Duewag)カーがありました。 こちらのカラーの方が好みです。

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と言うわけで、帰国後にROCO製品を買ってしまいました。  行先はHauptbahnhof。

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先のお父さんの視線を引きつけてしまった写真と似たアングルでも。 実車のパンタグラフはワンアームではなかったようですが、まあいいか。

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折角なので久しぶりに動かしてみました。

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このような車両はなかなか運転会では出番がありませんが、コロナ禍で外出自粛の時、KATOの550R曲線上でも走らせれば充分楽しいものです。

 

 

2021年2月 7日 (日)

ハイデルベルクの路面電車

1979年7月17日、フランクフルト中央駅(Frankfurt Hbf) 近くで撮影後、インターシティ(IC)と言っていた特急列車で向かった先はここ、ハイデルベルク(Heidelberg)でした。 ハイデルベルク中央駅(Heidelberg Hbf)正面の時計は10時35分を示しています。

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ハイデルベルクと言えば多くの日本人には、世界中の数多くの観光客や学者を引きつける、プファルツ選帝侯の宮廷だった城跡やドイツ最古の大学ループレヒト=カールス大学などが思い浮かぶことと思いますが・・・、そのどちらにも足は向けずでした。

駅内インフォメーションで入手した路線図頼りに、生憎の雨の中、適当な場所まで乗ってみました。 古い街並みが綺麗な場所で下車して待つと、小田急の旧塗装より明るい黄/青の塗装車が現れました。

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先の電車には「HSB」 の表示なのに、今度来たの3車体連接車は「OEG」 。 この電車、両方の運転台側にパンタを乗せていますが、後方パンタは下ろしています。 走行方向のパンタを上げるのでしょうか。

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雨は小降りから止んできたようですが、低く垂れ込めた雲で暗いのが残念! 古いドイツの街らしい雰囲気が良いのに。

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少し明るくなってきましたが、街行く人々は7月とは思えない服装で、大分寒い地だったのですね。

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この場所でちょっと粘ってみたようです。 グリーンの電車が近づいて来ましたが・・・、

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去って行った後ろ側は赤でした。 面白い塗装です。

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ネッカー川(Neckar)に架かる橋まで歩いたようです。 来たのは「OEG」の3車体連接電車で「107」と車号が読めます。 後に調べたら、ハイデルベルク電気軌道に乗り入れるオーバーライン鉄道の車両だったようです。

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どこか繁華街に移動したようです。 すっかり雨が上がり薄日も差してきました。 この白/青の好感を感じる塗装が「HSB」の本来の塗装のようです。

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赤い車両は広告電車だったようでした。

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このハイデルベルク電気軌道は、写真を見る限りメーターゲージだったようで、とても好感が持てました。

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今の時代なら、ドイツの情報収集も楽にでき、この正面のホテルに泊まってなどと計画を練れるのですが、このコロナ禍では実現できそうにないのが残念です。

戻って来た中央駅(Heidelberg Hbf)のコンコース、壁面の時計は12時22分を示しています。

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僅か2時間にも満たないハイデルベルク滞在はこれにて終了。

プラットホームに下りてみれば、隣のホームからキハ02のようなレールバスの4両編成が発車するところ。 かわいらしい車体を4両も連ねて、エンジン全開の排気は凄いものでした。

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ここから再びインターシティの乗客となり、次の地へ向かいました。

 

 

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