鉄道(海外)

2022年9月20日 (火)

地中海の木造電車

台風14号の接近による強烈な降雨の合間を縫って、都心へ出掛て来ました。最初はここ。先日の運転会で紛失したと思われるEF65の台車砂箱、ASSYパーツを探索に。丁度雨は止んでくれました。

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都バスで向かったのが池袋のこのビル。

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14階のギャラリー路草で開催中の写真展「地中海の木造電車」を見るためでした。

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ちょうど後藤文男さんのお出迎えを頂き、その全てをゆっくり鑑賞させて頂くことができましたので、会場価格で販売されていた写真集を購入。

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折角なのでご本人のサインを添えて頂きました。

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100年前に製造された木造電車が、未だに綺麗に手入れされて活躍しているということに驚愕です。写真展は今日20日(火)16時までです。

 

 

2022年8月26日 (金)

お絵描き後遺症

ではありませんが、いろいろと気になって・・・。

これは“LSE”、小田急ロマンスカーではありませんよ。Luzern-Stans-Engelbergのメーターゲージ車両で、台車はシュリーレン。日本流に言えばサハですが、お絵描きしたイメージに近いと思っています。

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一方全長26.4mにも及ぶ標準車体の客車も気になります。車体は長いですが、幅は2.825mとほぼ日本と同じです。この車両の台車はアルストム形ですが、フィアット製。

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それにしても横位置を撮ろうとすると、標準レンズに収めるのは大変でした。ドイツ車ですがミンデン形ではない台車です。

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この当時、客車の台車に空気バネは無かったのですが、今はどうなっているでしょう。

序でに機関車も気になって来ました。RE4/4 II というこれ、ナンバーを見ると11158。11158~11161と11249~11253の9両が、このTEE色だったようです。

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こうして昔撮った写真見ていると・・・、いかんいかん、深みに嵌まりそう。

 

2022年8月20日 (土)

オーストリアの想い出

1980年当時はオーストリア国鉄だった筈ですが、今はオーストリア連邦鉄道となっているようです。ドイツ語での標記は今も変わらずÖBB(Österreichische Bundesbahnen)。

この時はLinzの登山鉄道が目的でしたが、Salzburgへ移動するときに赤い電機を記録しておきました。先日、ひょんなことからこの写真を探していたのです。

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何という列車だったか、既に記憶に残っていませんが、しっかり食堂車を楽しんでいたようです。

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列車内で食事する。今思えば何と素敵なことか。食堂車というものが消滅してしまったのは悲しいです。

 

 

2022年6月23日 (木)

スイス・レーティッシュ鉄道

箱根登山鉄道が、スイス・レーティッシュ鉄道との姉妹鉄道として提携してから43年。箱根登山鉄道の箱根湯本-強羅間開通から60周年を記念してのことでしたが、既に104周年となります。

強羅駅を降りると目の前に、まるでホームで乗り換えが出来るような光景が広がります。平日で空いていたので、斯様な画像を収めることができました。

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レーティッシュ鉄道の客車は、ご丁寧にも台車もそれらしく描かれていて、OER3001氏は気に入っています。

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この前に、アクリルケースに収納したOスケール模型などを走らせたら最高なのですが、保守・管理を考えたら無理な話でしょうね。

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それを実現するのは模型の世界。

我家には登山電車のレイアウトがありますが、レーティッシュ鉄道まではとても手が回りません。

 

 

2022年4月 4日 (月)

今日の一枚 No.142

この顔が出たときは衝撃でした、帝都高速度交通営団6000系。小田急との相互直通運転が開始された1978(昭和53)年、玉川学園前駅で。

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恐らくサンフランシスコのBARTの影響を受けたデザインだったのでしょうが、そのBARTを初めて見たのは1983年秋のこと。

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初めてのアメリカ出張の時、路面電車(MUNI)LRTの車庫があるバルボアパークまで利用しました。当然ながらアメリカの鉄道は右側通行なので、営団6000系とは運転台位置が左右反対。

 

2021年3月26日 (金)

バーゼルの路面電車-4

ここのところ、バーゼルの路面電車を取り上げていますが今回はその4回目。

バーゼルSBB駅から北に数百メートル歩いたところにHeuwaageと書かれた駅、停留所がありました。ホイヴァーゲと発音するのでしょうか。当時は終端駅だったのですが、今Googleマップで見ると路線延長して中間駅になっているようです。

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ヨーロッパらしい雰囲気の、とても魅力的な駅に、メーターゲージの路面電車と言うより立派な郊外電車らしき3両編成が停車していたのです。運行系統は「17」、日本流に言えば、デハがサハとクハを連結しています。“デハ”の車号は16と。

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あまりに魅力的な電車、スイスの街中にぴったりではありませんか。乗車することは出来ませんでしたが、前から、左から、右から、そして向こう側にまわって、時間の許す限り眺めてしまいました。

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駅舎の後方の三角屋根は図書館らしいです。今は右手の駅舎は取り壊されているようです。

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反対側の“クハ”は23。貫通扉中央の黄色い目玉様のマークは、市内電車に掲示された“不正乗車防止”のマークだと聞きました。ゾーン製の運賃で、乗車前にきっぷを買う必要があるのですが、悪意をもって無賃乗車しようとすれば出来ないことはないようですが、見つかった場合の制裁はかなりの高額と聞きました。

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午前10時20分頃からの数分間で、“クハ”も反対側面へまわって撮りました。

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“クハ”先頭の3両編成の姿もしっかり押さえておきました。

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この3両編成、発車を見届けぬままに、列車に乗るためにバーゼルSBB駅に急いだのでした。

この車両について、Web等で調べてみたものの詳細はまだ解らず仕舞い。バーゼル市交通局(Basler Verkehrs-Betriebe(BVB))だとしたら緑色の車両だったはずなのに、なぜこの青/白ツートーンカラーだったのか・・・?

ご存じの方が居られたらご教示頂きたいものです。

 

2021年3月20日 (土)

バーゼルの路面電車-3

バーゼルの路面電車-2」に取り上げた1980(昭和55)年晩秋のこと、フランス国内に向かう前に、バーゼルSBB/SNCF 駅から数百メートル離れたアエッシェン広場(Aeshenplatz)まで歩いていたようです。

緑色の路面電車がバーゼル市交通局(Basler Verkehrs-Betriebe(BVB)) なのに対し、黄色に赤帯車体の路面電車はバーゼル・ラント交通局(Baselland Transport(BLT))。

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「10」と「11」系統を掲げるのが黄色いBLTですが、この線路には緑色のBVBも走っていました。

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いかにも新型車両らしい好ましいスタイルの車両でした。

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ここがアエッシェン広場(Aeshenplatz)の停留所、駅なのか、ビルに囲まれた場所とは言え、なんとも長閑で好ましい光景に感激しました。

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駅の時計は11時近くを指していますが、どうもフランス国内への列車に乗ったのはこの後だったようです。

 

2021年3月16日 (火)

バーゼルの路面電車-2

バーゼルの路面電車については1979(昭和54)年の状況を取り上げていますが、今回はその翌年1980(昭和55)年晩秋に訪問したときの収穫から。この時はバーゼルに宿泊しました。

朝、「ちょっとフランスへの用があって」列車に乗るためにバーゼルSNCF駅に向かう途中で思いがけない車両に遭遇しました。工事用車両だと思いますが、キャブ内には車両と同じオレンジ色の作業服を着た職員さんがいっぱい乗っています。牽引する台車のような車両には何やら機材が積まれていました。

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それにしても朝から、ホテルを出たら直ぐに撮影できるように用意しておかないとチャンスを逃してしまいますね。折角なのでその後に続いてきた「18番」も収めておきました。

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それにしてもバーゼルの路面電車って、花巻電鉄を思い出すようなスリムなサイズですが、残念ながら全幅などの詳細は掴めずにいます。

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車内は斯様な3列シート。

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ハンドル形の主幹制御器で運転します。

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フランスでの所要を終えて、夕刻に戻ったバーゼル市内。路面電車を降りたのはここでした。右側のビル前に保存車両が置かれていました。

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それがこれなのですが、残念なことに“手ぶれ”です。左の赤い部分に書かれたドイツ語は「鉄道模型100周年」。そう、展示会場でした。

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展示会は夜まで開城しているので、昼間はフランスへ、夜はこの展示会へと、慌ただしくも充実した一日でした。

 

 

2021年3月10日 (水)

チューリッヒの路面電車

バーゼル(Basel、Bâle)の路面電車を見た日、次に向かった場所はチューリッヒ(Zürich)でした。スイス連邦鉄道(SBB,CFF,FFS)のチューリッヒ中央駅(Zürich Hbf)は、チューリッヒ湖(Zürichsee)から流れるリマト川に突き当たるような形の頭端式です。

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この中央駅前から、路面電車は縦横に路線を伸ばしています。駅周辺をちょっと歩き出せば、路面電車に出会えるのは最高です。写真を見て気付きましたが右のワーゲンのナンバー、「ZH」とあるのはチューリッヒなのですね。

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ボビー車が付随車を連結した2両編成です。

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こちらは3車体連接車の“重連”、堂々としていてカッコイイです。

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ボギー車の単行が、軽快に見えてしまいます。

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3車体連接の重連は、どうも「7」系統に充当されているようです。

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リマト川に架かる橋の上ですが、河川への電力線が!

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チューリッヒ中央駅前に戻ってきました。ヨーロッパの街には必ずと行って良いほど、歴史上の人物像が建てられていますが、この方は何方だったのか・・・? 

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路面電車の停車場と並んで、トロリーバスの停留場もありました。電車と同じ塗装です。

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人物像の直前を、3車体連接車が発車して行きました。アルフレッド・エッシャー(Alfred Escher)と言う人物、スイスの政治家で起業家、鉄道王とも賞されていた人物の像だと言うことを、今になって知った次第。

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リマト川を渡って来たのはこの当時の最新型車両“トラム2000”、電気品は三菱電機製だと聞きました。2車体連接車の重連です。

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先の3車体連接車がボギー車を連結した運用もありました。

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日本語地図に「バンホフ通り」と記載されている、チューリッヒ中央駅前から伸びる歩行者・路面電車専用道路が、鉄道好きにはこの上ない天国です。

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永世中立国ということもあるのか、スイス国旗を大切に掲げた街並みがまた素晴らしいです。

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銀座通りをこのように都電と歩行者専用にすることを考えなかった日本人。悲しいとしか言えませんね。チューリッヒは環境保護視点から、市内交通を路面電車、トロリーバスを柱とする交通政策を採っているようで、大いに学ばなければならない筈です。

 

2021年3月 2日 (火)

バーゼルの路面電車

1979(昭和54)年7月19日、ベルンの路面電車を見た後はICに乗車、フランス、西ドイツ(現ドイツ)と国境を接するバーゼル(Basel)に向かいました。スイス国鉄の駅は「バーゼルSBB」ですが、フランス国鉄の「バーゼルSNCF」と一体となった駅で、プラットホームに事実上の国境が設けられているという、日本人には驚愕のものです。

こちらがそのバーゼルSBB駅の正面。SNCF駅は右方向になります。左のビル屋上に、今は無き「SANYO」のロゴマークが見えたのに違和感を抱いたものです。

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しかしこの駅前が路面電車のターミナルとなっていて、グリーンの電車が頻繁に発着しています。

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あまり新しい車両には出会えず、まだボギー車や2車体連接車が主流でした。

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こちらはどう見ても西ドイツ製デュヴァグ(Duewag)カーです。

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今では広島電鉄にも、芝生の軌道が出来ましたが、この当時は軌道に芝生が敷かれている姿に感動したものです。

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ここも然程長くない滞在時間で、たくさんの路面電車を記録することが出来ました。

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短い休暇の最大活用の慌ただしい旅、この後はまた他の地へ向かいました。

 

 

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