1979年7月17日、フランクフルト中央駅(Frankfurt Hbf) 近くで撮影後、インターシティ(IC)と言っていた特急列車で向かった先はここ、ハイデルベルク(Heidelberg)でした。 ハイデルベルク中央駅(Heidelberg Hbf)正面の時計は10時35分を示しています。
ハイデルベルクと言えば多くの日本人には、世界中の数多くの観光客や学者を引きつける、プファルツ選帝侯の宮廷だった城跡やドイツ最古の大学ループレヒト=カールス大学などが思い浮かぶことと思いますが・・・、そのどちらにも足は向けずでした。
駅内インフォメーションで入手した路線図頼りに、生憎の雨の中、適当な場所まで乗ってみました。 古い街並みが綺麗な場所で下車して待つと、小田急の旧塗装より明るい黄/青の塗装車が現れました。
先の電車には「HSB」 の表示なのに、今度来たの3車体連接車は「OEG」 。 この電車、両方の運転台側にパンタを乗せていますが、後方パンタは下ろしています。 走行方向のパンタを上げるのでしょうか。
雨は小降りから止んできたようですが、低く垂れ込めた雲で暗いのが残念! 古いドイツの街らしい雰囲気が良いのに。
少し明るくなってきましたが、街行く人々は7月とは思えない服装で、大分寒い地だったのですね。
この場所でちょっと粘ってみたようです。 グリーンの電車が近づいて来ましたが・・・、
去って行った後ろ側は赤でした。 面白い塗装です。
ネッカー川(Neckar)に架かる橋まで歩いたようです。 来たのは「OEG」の3車体連接電車で「107」と車号が読めます。 後に調べたら、ハイデルベルク電気軌道に乗り入れるオーバーライン鉄道の車両だったようです。
どこか繁華街に移動したようです。 すっかり雨が上がり薄日も差してきました。 この白/青の好感を感じる塗装が「HSB」の本来の塗装のようです。
赤い車両は広告電車だったようでした。
このハイデルベルク電気軌道は、写真を見る限りメーターゲージだったようで、とても好感が持てました。
今の時代なら、ドイツの情報収集も楽にでき、この正面のホテルに泊まってなどと計画を練れるのですが、このコロナ禍では実現できそうにないのが残念です。
戻って来た中央駅(Heidelberg Hbf)のコンコース、壁面の時計は12時22分を示しています。
僅か2時間にも満たないハイデルベルク滞在はこれにて終了。
プラットホームに下りてみれば、隣のホームからキハ02のようなレールバスの4両編成が発車するところ。 かわいらしい車体を4両も連ねて、エンジン全開の排気は凄いものでした。
ここから再びインターシティの乗客となり、次の地へ向かいました。
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