鉄道(台車)

2024年11月16日 (土)

FS-321形台車

住友金属 が1958(昭和33)年、小田急2220形が使用していたFS-316をベースに設計、2217+2218が履いたアルストム型の空気ばね台車がFS-321。

新百合ヶ丘駅がまだ無い時代、百合ヶ丘-柿生間の旧線でSSEと交換した前2両が2218+2217です。

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2218を新百合ヶ丘駅で撮っていますが、残念ながらFS-321形台車が確認できない画像です。

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そのFS-321形台車とは斯様な姿。FS-316形台車と同じ軸距2,000㎜で、揺れ枕吊受け座の幅を550㎜から710㎜に広げて有効直径550㎜のエリゴ(スミプレス)形空気ばねを装着し、ボルスターアンカーが装備された。

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その台車を履いた写真はレイルロード刊小田急電車形式集.4より、矢崎康雄氏が1969年6月7日に撮影された写真を引用させて頂きます。

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1990年7月の出張の折、伊予鉄道古町車庫の奥でこの台車を発見! 京王からの譲受が進んでいた5000系に使用するのかと思っていたのですが、実際に使われたかどうか知りません。

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その懐かしい台車を今回、古町車庫で発見しました!!

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枕梁吊りは外され、ボルスターアンカー座も有りませんが、台車枠には「FS-321」の表示が残されていました。工場内の仮台車として今も使われていたのですね。何か嬉しくなりました。

 

2024年6月27日 (木)

神戸・川崎車輛

OER3001氏が鉄道に興味を持ち始めた小学生時代、3年生だか4年生の時だったか、車内妻板上部に製造所のプレートが取り付けられていることを知りました。当時の小田急線では吊り掛けのABF車までは真鍮エッチング製、カルダン車からはアクリル製に変わりましたが、2200形の1次車は真鍮だったかな?記憶がはっきりしません。ABF車でも車体更新されて車内が化粧板になったのはアクリル製でした。

そして覚えたのが「日本車輛」「川崎車輛」「東急車輛」。何れも学校で習った「車両」ではなく「車輛」だったことを鮮明に記憶しています。

神戸に行ったのなら、「川崎車輛」をこの眼で確認しないわけには行きません。和田岬線に乗ったのも、それが理由でした。和田岬駅から歩き始め、神戸市電を見たら直ぐ運河。「兵庫運河」だったのです。運河の右手に、青いシートが掛けられた完成車両が何両か見えました。

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兵庫運河を渡ると左側が川崎車輛の工場地。その先の“隙間”を、和田岬線の207系が通過して行きました。

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この先を左折すれば、工場の中央を横切れる公道なのですが、そこから工場方向へは「撮影禁止」と大きく表示されています。

紳士的なOER3001氏は、首から下げたコンデジで隠し撮りなどと言うことは致しませんでしたが、EF510、JR北のH100、JR西227系のような姿を確認しつつ通り抜ければ、もう一つの橋向こうに、社屋の前に0系新幹線と憧れのこだま型電車が並べられているのが見えます。

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残念ながら土曜社休日と言うことでもあり、敷地内には立ち入ることはできないので、公道からその姿を眺めるしかありません。

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それでも社屋のロビー内、ガラス越しに台車や模型が展示されているのが見えます。台車は1949(昭和24)年に製造され山陽電気鉄道831に装着されたOK-3形だと言うことです。

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結局この日は、和田岬駅から兵庫駅を通り過ぎ、神戸高速線大開駅まで歩くと言う、良い運動になりました。

 

2020年7月28日 (火)

今日の一枚 No.66

今回取り上げるのは川崎車輌製の軸梁式台車OK17。

OK台車といえば、京浜急行730形や、初代1000形が使用したOK18が良く知られていますが、形式番号がひとつ若いのがこれで、1番違いでも随分古式豊かな感じがします。

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国鉄のTR23かと思わせるような台車上枠はH型鋼のように見えます。

1956(昭和31)年に製造されたクハ1950(後にサハ1950)や、特急車1700形の格下げ改造時に新造されたサハ1750に使われました。 登場当初は平軸箱でしたが、この1969年当時は既にコロ軸箱となっていました。 

写真は1969年、サハ1750のもの。

 

2020年7月27日 (月)

今日の一枚 No.65

「今日の一枚 No.64」でFS108を取り上げた際、いつもコメントをお寄せいただくCedarさまから、2100形の台車はどういうのでしたかとのコメントを頂いたので、今回はその2100形のFS14です。

2100形は、それまでの車両から軽量・高速化を図る目的で種々の研究に取り組んできた結果、抜本的な主電動機や駆動方式、制御・制動方式の採用は見送りつつ、車体軽量化を実現した車両でした。

採用された台車FS14は、台車枠は一体鋳鋼製ながら軽量構造の軸バネ式とし、枕バネの内側にオイルダンパを仕込み、ブレーキシリンダーも内蔵していますが、そのオイルダンパもブレーキシリンダーも、外見からは見えません。

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上の写真は1974(昭和49)年6月に、海老名基地で撮影したクハ2152のものですが、連結相手のデハ2102の台車を良く観察すると、形式は同じFS14ですが相違があることに気づきました。

Fs14

デハの台車からは軸箱上部のブレーキロッド等見られません。 揺れ枕左方には、取り外した後のような穴が2つ。

軸箱上部のブレーキロッド等クハでは、車両中央方向に確認できたのですが、デハも同じ位置の台車です。この時1両分の台車を全て、両側から撮影していたら謎が判明できるのですが、残念ながらOER3001氏はその謎を説明できません。

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その後、モハメイドペーパーさまから「鉄道ピクトリアル アーカイブセレクション38 住友金属の台車」によれば、水平テコと引棒は手ブレーキ用だというご教示を頂きました。 従って運転台下の台車だけのようです。 二つの穴は、どうも鋳造段階で空いていたようです。

2020年7月25日 (土)

今日の一枚 No.64

7月20日の当欄で取り上げた三菱重工製MD101台車が、軸箱支持が逆ゲルリッツ型のようだと紹介しましたが、そのゲルリッツ型とはこの台車。 これはFS108、小田急では特急車の1700形と、通勤用1900形の増備車、1910形が履いていました。

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一体鋳鋼製の台車枠で、菊箱上の板バネから天秤状に釣った軸バネ釣りボルトで軸バネを受けています。

16番の模型では、日光モデルが阪急のFS103を発売してくれましたが、似ているので助かりました。 ブレーキシリンダーを付けずに使っています。

 

2020年7月24日 (金)

今日の一枚 No,63

台車シリーズのようになってしまった「今日の一枚」、今回は住友金属FS316。 前回取り上げたFS203が直角カルダン駆動だったのに対し、こちらはWN駆動としたことで軸巨が2,000㎜に短縮となりました。

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1958(昭和33)年登場の2220形(4両編成4本16両)から採用し、翌年登場の2320形(4両編成2本8両)の合計24両に使われました。

先のFS203よりソフトな乗り心地だったように思うのは気のせいかも知れません。

 

2020年7月21日 (火)

今日の一枚 No.62

前回取り上げたMD101形を履いた小田急2200形が履くのは、本来は平行リンク式軸箱支持の所謂アルストムリンク、
住友金属FS203形でした。 2200形はMc1-Mc2の2両固定8本の16両の内、15両はこのFS203でした。

後のWN駆動に変更して登場した2220形の後に増備された2217-2218は、2両固定ゆえに2200形と称していましたが、車体も下回りも2220形と同様で、台車はFS316となりました。

 

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台車枠は一体鋳鋼製、軸巨2,200㎜の直角カルダンドライブ。 このアルストムリンクの軸箱支持が、小田急では標準仕様としてステンレス製の1000形に至るまで使われることとなったのです。

すれまでのイコライザー式やゲルリッツ式といった吊り架け車に比べて、一段とソフトな乗り心地だったことを鮮明に記憶しています。

 

2020年7月20日 (月)

今日の一枚 No.61

今日は台車。 しかも世界に1両分(2台)しかない希少品種です。 形式はMD101と称する三菱重工製。 小田急2200形の2207と2211で、それぞれ一定期間使用されていました。

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台車枠の中央部が下がった形状は、当時では珍しいもので、揺れ枕吊が長く、枕ばねは上下に長いのが左右2本。 扶桑(住友)のゲルリッツ台車の軸ばねを逆さまにしたように、軸箱左右の軸ばね下を板ばねで繋ぐ構造でした。

この台車の2211に乗った記憶では、アルストム型のFS203に比べて上下動が大きく、加速時にはギア音なのかグウォーンと渋い音が聞こえていた記憶があります。

戦後、各社が高速電車用台車の研究開発に取り組みましたが、三菱重工の台車は後世に続くことはありませんでした。

 

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