「今日の一枚 No.64」でFS108を取り上げた際、いつもコメントをお寄せいただくCedarさまから、2100形の台車はどういうのでしたかとのコメントを頂いたので、今回はその2100形のFS14です。
2100形は、それまでの車両から軽量・高速化を図る目的で種々の研究に取り組んできた結果、抜本的な主電動機や駆動方式、制御・制動方式の採用は見送りつつ、車体軽量化を実現した車両でした。
採用された台車FS14は、台車枠は一体鋳鋼製ながら軽量構造の軸バネ式とし、枕バネの内側にオイルダンパを仕込み、ブレーキシリンダーも内蔵していますが、そのオイルダンパもブレーキシリンダーも、外見からは見えません。
上の写真は1974(昭和49)年6月に、海老名基地で撮影したクハ2152のものですが、連結相手のデハ2102の台車を良く観察すると、形式は同じFS14ですが相違があることに気づきました。
デハの台車からは軸箱上部のブレーキロッド等見られません。 揺れ枕左方には、取り外した後のような穴が2つ。
軸箱上部のブレーキロッド等クハでは、車両中央方向に確認できたのですが、デハも同じ位置の台車です。この時1両分の台車を全て、両側から撮影していたら謎が判明できるのですが、残念ながらOER3001氏はその謎を説明できません。
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その後、モハメイドペーパーさまから「鉄道ピクトリアル アーカイブセレクション38 住友金属の台車」によれば、水平テコと引棒は手ブレーキ用だというご教示を頂きました。 従って運転台下の台車だけのようです。 二つの穴は、どうも鋳造段階で空いていたようです。
前回取り上げたMD101形を履いた小田急2200形が履くのは、本来は平行リンク式軸箱支持の所謂アルストムリンク、
住友金属FS203形でした。 2200形はMc1-Mc2の2両固定8本の16両の内、15両はこのFS203でした。
後のWN駆動に変更して登場した2220形の後に増備された2217-2218は、2両固定ゆえに2200形と称していましたが、車体も下回りも2220形と同様で、台車はFS316となりました。
台車枠は一体鋳鋼製、軸巨2,200㎜の直角カルダンドライブ。 このアルストムリンクの軸箱支持が、小田急では標準仕様としてステンレス製の1000形に至るまで使われることとなったのです。
すれまでのイコライザー式やゲルリッツ式といった吊り架け車に比べて、一段とソフトな乗り心地だったことを鮮明に記憶しています。
今日は台車。 しかも世界に1両分(2台)しかない希少品種です。 形式はMD101と称する三菱重工製。 小田急2200形の2207と2211で、それぞれ一定期間使用されていました。
台車枠の中央部が下がった形状は、当時では珍しいもので、揺れ枕吊が長く、枕ばねは上下に長いのが左右2本。 扶桑(住友)のゲルリッツ台車の軸ばねを逆さまにしたように、軸箱左右の軸ばね下を板ばねで繋ぐ構造でした。
この台車の2211に乗った記憶では、アルストム型のFS203に比べて上下動が大きく、加速時にはギア音なのかグウォーンと渋い音が聞こえていた記憶があります。
戦後、各社が高速電車用台車の研究開発に取り組みましたが、三菱重工の台車は後世に続くことはありませんでした。
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