鉄道(路面電車)

2025年12月24日 (水)

オヘソライトはダサイ?

どこかのブログで、ヘッドライトがオヘソ位置なのはカッコ悪いといった記述があったことを思い出しました。

う~ん確かにこの時代は、オヘソライトの都電は邪魔者扱いされていましたので確かにダサイ。

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都電の撮影機会は極めて少なかったのですが、辛うじてカラーポジでも何枚か撮っていました。

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連節車でもオヘソライト。

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同じオヘソライトでも西ドイツ生まれのこちらは、カッコ悪いと思われなかったのは何故でしょう?

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都心を行き交う無人運転のこちらもオヘソライト。

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堂々20m車体の長編成列車にだって、オヘソライトは存在しますよね。

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スーパーエクスプレスとして1957(昭和32)年に登場したロマンスカーだってオヘソライトでした。

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ミュージックホーン高らかに疾走していたのが懐かしい。この画像はスカートの穴が楕円ではなく円形の第4編成です。

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SE車が改造されると聞いて、元の姿を記憶に留めるべく乗ったものです。

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そしてその後、栄えある歴史を刻んだSEは、製造時の姿に復元されてロマンスカーミュージアムに保存展示。

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華やかに登場した東武スペーシアXだって、オヘソライトじゃありませんか?

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「オヘソライトはダサイ」と思うのは個人の見解ですが、“デザインのチカラ”って凄いですよね。オヘソライトの自由形特急列車なんて、考えてみるのも楽しそうです。

2025年11月26日 (水)

東武日光軌道線

東武日光駅前広場の一角に保存された100形を見るのも、今回の目的のひとつでした。

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日光軌道線は、1962(昭和37)年のことだったと思う小学校の修学旅行時に見たくらいの記憶しかありませんが、宿泊が神橋手前の線路沿いだったこともあり、ED610が貨車を牽いて上って来るのを旅館の窓から見ていました。

保存車を駅側からぐるりと一回りして観察します。

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パンタ側台車

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床下中央部

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非パンタ側台車

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非パンタ側

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非パンタ側正面

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反対側側面

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反対側の床下①

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反対側床下②、中央部はカメラの引きが取れず撮影不能。

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パンタ側

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パンタと言うよりビューゲルか。

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と言うことで、左回りに周囲を記録。ま、万が一模型製作となった際には大いに参考になることでしょう。

1953(昭和28)年に宇都宮車両で10両(101~110)製造された、全長12,350×全幅2,200×全高3,552 mm、定員96名の車両。日光軌道線廃止後は全車岡山電気軌道に譲渡され、3000形(現在2両が現役)として活躍。その中から3010(110)が日光軌道線時代の塗装に復元され、2020(令和2)年3月から展示されているのですが、車体には番号が描かれていないのが残念です。

 

2025年2月27日 (木)

四ツ谷見附橋

ここ何回か、先に訪れた新宿歴史博物館に関連した記事を掲載しています。

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正面左側の庭園では、紅梅が楽しめました。

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玄関の左側に、1913(大正2)年に完成し、道路拡幅のために1991(平成3)年に掛け替えられた四谷見附橋の説明パネル。

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その横には、再利用できなかった部材の一部として保存された、高欄の一部が展示されています。

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架け替えられた現在の四谷見附橋がこれ。

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赤坂離宮(現在の迎賓館)の外観と調和させたという、ネオ・バロック様式の橋梁でしたが架け替え前の姿がここ八王子市の長池公園に復元されています。

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橋の中央にはしっかり右から「しはけつみやつよ」とあります。

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高欄部材の一部は別に説明が添えられて保存されていますが、

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鉄道ファンならこれをしっかり見なければいけません。東京市電→都電の軌道部分の一部も保存され、その構造もしっかり確認できるのが嬉しいです。

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何より自然にも恵まれ、四季折々の姿を楽しむことができるのです。

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都市の拡大で、架け替えを余儀なくされた橋梁ですが、110年を経た今も、その優雅な姿を維持してくれていることは素晴らしいこと。「新宿グランドターミナル」構想とやらで工事が進む新宿ですが、100年経っても通用するデザインであることを願うばかりです。

 

 

2025年2月25日 (火)

都電とロマンスカー

先に取り上げた新宿歴史博物館には、鉄道好きには見入ってしまう“鉄道車両”が展示されています。

その1、都電5000形があることは前回のコメントでも触れました。忠実に再現されたレプリカですが、実車そのもの。正面から見ると良い顔しています。「驛宿新」の方向幕と覗ける車内灯のグローブが良いですね。

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1930(昭和5)年から製造された5000形(当時は東京市電気局)のこの姿での活躍を、OER3001氏は知りません。窓枠は車体色ではなくニス仕上げだったのですね。

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運転台には三菱電機製の主幹制御器、KRL型という実物が。

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「安全地帯」と表示された停留所とともにセットされています。

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台車と車輪は実物でD-12、レプリカの車体は思えない調和が取れていますが、当時の色はグレーだったのでしょうか。

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参考になるかなり細かい実車図面も展示されていたので、模型を製作する時には大いに役立ちそうです。

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その2は小田急ロマンスカー3100形NSE。先頭部分を模したこれ、なんと表現すれば良いでしょう。

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内側の運転台を造形するのに作ったものです。実際の運転台は展望室の天井上にあるため、運転士は足を延ばして座る状態でしたが、主幹制御器や制動弁、計器やスイッチ類の配置はこんな感じでした。

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座席も窓1個分の4脚8人分がセットされ、実際に座ることもできます。この他に乗降用側扉も展示されています。

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これらはロマンスカーミュージアムができる以前から展示されていたのですが、なぜ新宿区立のこの歴史博物館に収蔵されることになったのか、残念ながらその経緯を良く知りません。

 

2025年2月 6日 (木)

ルーツを探る

天気も良い平日、ここで降りて外に出てみました。。

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漢字で「道灌山下」とあるのに英文では「Ookan-yama」と「shita」が無いのは何故だ? 失礼ではないか(笑)。

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ここに行ったのは「駒込動坂町」を歩いてみること。OER3001氏祖父の代からの本籍地なのですが、戦後世田谷に転居したようなので、物心ついた時から話でしか聞いていない地でした。

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「狸坂」もそうですが、この辺りには「きつね坂」とか「むじな坂」など、その昔はかなりの山だったようです。

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歩いていると由緒ありそうな建築物に出合いました。

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東京都指定有形文化財「半床庵」という茶室だそうです。

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こんなのもあったのですね、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」と言うことで、土日だけ開館するとのこと。

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「駒込動坂町」と思われる場所で「動坂公園」を見つけました。

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その先に歩くと「駒込動坂町」からは外れますが「神明都電車庫跡公園」が目に入りました。

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此処だったのですね、近年奇麗に修復された保存車両と言うのは。

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乙1形の乙2号。

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6000形と共に、諸元や経歴が掲示されています。

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6000形6063号の状態も本当に良く、嬉しい限りです。

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道路に面した側にあるプラットホームは9時から17時まで開放されて、車内も覗けます。

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行先が「新明町車庫」と言うのも良いですね。交通博物館が近かった須田町から走って来た系統だったのですね。ほっこりすることができた平日の午後でした。

 

 

2025年2月 2日 (日)

都電杉並線の写真展へ

ちょうどライラック編成が入線して来ました。

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改札を出た先、電車が見える場所があるではありませんか。すっかり都会になってしまいましたが踏切もあって、東京の郊外電車というカラーを充分残しているような帝都線、いや井の頭線。

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目的地は永福町駅から住宅街を縫うように歩いて20分弱の杉並区立郷土博物館。杉並区指定有形文化財となっている長屋門が入り口です。

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すると中に本館が。入館料100円を払って入ります。

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常設展示場などがある1階から階段を上がります。

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2階回廊で開催されている故・道村博氏の都電杉並線写真展を観るのが目的でした。

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回廊壁面に掲示された写真は全部で26枚だったか、撮影OKと言うのが嬉しいです。

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その中から主なものを取り上げれば、昭和30年代の蚕糸試験場前。

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同じく昭和30年代の天沼陸橋。広々していてクルマも少なかったのですね。

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昭和30年代の荻窪など、まだビルも少ない。

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昭和30年代の杉並車庫。

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そして昭和38年11月30日、営業最終日の装飾された電車や、

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富士銀行の看板も懐かしい鍋屋横丁の光景など。

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期間は4月20日までなので、まだ充分日があります。都電唯一の1,067㎜軌間だった杉並線の懐かしい光景を楽しまれては如何でしょうか。

 

2024年11月14日 (木)

伊予鉄道_市内線の魅力②

大手町のダイヤモンドクロッシング、なかなか鉄道線と市内線のツーショットは撮れません。仕方ないのでガタガタガタガタを真横から眺めます。それにしてもこのモハ2100形って何ともな~。

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モハ5000形になって少しはスマートになったような気がします。

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当初から広告ラッピングに対応できるデザインにしていたのでしょうか、「伊予鉄」カラーは維持されています。

これ撮影してから“あれっ??” パンタの位置が違う!

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古町駅で交換する5100形2両で、パンタ位置が違うことを確認。そうだったのですね、運用経路で逆向きになることもあったようです。

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もう一つ感激。JRで移動するため松山駅前に来て大手町、西堀端方向にズーミング。この位置で高浜線が横切るタイミングだったらサイコーなのですが。ややっ、来た車両は2005号。

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2005号は34年前に古町駅の高浜線横断シーンで捉えていた車両ではありませんか!

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それが今は今治タオルのラッピングを纏ったオレンジカラーに。

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元気な姿に再会でき、なんとも感激でした。元京都市電、頑張れ!

 

2024年11月12日 (火)

伊予鉄道_市内線の魅力①

伊予鉄道の市内線と言えば、観光用として復元登場した坊ちゃん列車が有名です。2001(平成13)年に登場し、2編成で土日祝日に運行されています。この日は平日のため運行は無し。道後温泉駅の引込線に1編成が展示を兼ねて停められていました。

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道後温泉駅の風情ある駅舎はリニューアルされて、今も堂々とした姿を見せています。

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34年前と殆ど変わりありません。変わったのは発着する車両だけ。この時は冷房化改造された1963(昭和38)年製のモハ50形71号でした。

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市内の繁華街・大街道を入れて撮ってみたかった1コマ、低床式の新型車両の導入が進んでいる市内線ですが、1964(昭和39)年製・元京都市電の2000形が味を添えてくれました。。

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この市内線の最大の魅力、OER3001氏にとってはここです。先のダイヤモンドクロスに加えて鉄道線の横断、堂々と鉄道線を横断して行きます。

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右奥はJR松山駅前から来た大手町線(軌道法に基づく「軌道」)。それが鉄道線である高浜線の上下線を横切り、左端の城北線(鉄道事業法に基づく「鉄道」)へと進みます。

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この情景はこちらでお楽しみください。

 

2024年11月 2日 (土)

久しぶりの広島電鉄

広島を訪れた前回はいつだったろうか? 手元の画像DATAを探ってみると・・・、

2006年10月のことでした。2日間にわたり開催された“・・・・・  SOLUTION WORLD 2006 in 広島”(・・・・・ は社名)という展示会に行った序で、時間をやりくりして広電撮っていました。

今は広電のJR広島駅ビルへの延伸・線路付け替え工事が進んでいるので、この猿猴橋町(えんこうばしちょう)電停はもうすぐ無くなってしまいます。

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今回はあくまで“平和祈念の旅”なので、電車は序で。とは言え、出会ったものはしっかり記録しておきます。この日の白島線の運行を担う1本は、元・京都市電の1900形でした。

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広電初のVVVFインバータ制御方式を採用した連接車3800形は、市内線・宮島線の両方で元気に活躍しているようです。この塗色好きだなあ。

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1999年以降は超低床車両の導入となり、この5200形は2019年から導入された最新鋭の5車体連節車。ここで「連接車」と「連節車」としたが誤字ではありません。日本産業規格(JIS)では「連節車は運用中に分離可能な連結器を使わずに、半永久的、直接的に車体同士を接続した車両全般を指す」と規定、車体間を連接台車で連結している車両を「連接車」、台車を用いないで連結している車両を「連節車」としています。

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5200形は単車3両で、台車を持たない浮き車体を保持している構造なので「連節車」です。5208編成は全身ブルーのラッピング。

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オレンジ色のラッピングも走っているが、良く見ればこのオレンジラッピングは、2005~08年に製造された一世代前の5100形で、5200形より座席数が2席少ないらしい。

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次々に新型車両が行き交うメインストリートは楽しい。紙屋町東で広島駅に向かう5100形と交換する広島港行1000形に乗ることにしました。

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1000形はグリーンムーバー・レックス(LEX:Light Excursion)の愛称を持つ3車体連節で全長18.6m、広電の全路線運行に対応します。

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広島港という駅(停留所)名も以前は宇品港と言われていましたが、2001年から現在のように「広島港(宇品)」と表示されるようになりました。広島駅行「1」5100形が発車して行きました。

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こちらは同じ広島行でも「5」の紙屋町を通らないルート。乗客数が少ないからなのか、3車体連節の1000形でした。

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「1」ルートの1000形が来ました。このカラーは広電バスの標準色らしいです。

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ここ、広島港(宇品)は車両撮影には良い場所ですね。この日は小雨も降っていたので、逆光の心配もありませんでした。横川行「7」の700形、運転士は女性ですよ。カッコイイ!

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ホーム奥に停車していた802、800形の中で1983年に製造された2両だけ、他車と違うフェイスなのですね。

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その後に増備された800形は、前照灯&尾灯の配列が縦から横に変わるなど、細部が少しづつ異なるようです。な、なんと、この運転士も女性。

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広島では、原爆被災後の復興に、女学生を乗務員に育成し運転士として乗務させていたという事実を、『堀川恵子、小笠原信之「チンチン電車と女学生」日本評論社2005年7月(ISBN 4535584257 )』で読んでいたが、時代が変わった今も、立派な女性運転士が多く活躍していることに嬉しい思いです。

 

2024年10月31日 (木)

広島のホテルで楽しむ

単独での鉄旅ではなく妻と一緒では、それなりにサービスしなければなりません。新幹線「のぞみ」もそうですが、ホテルにも気を使います。

30階の部屋を取ったお陰で朝には素晴らしい自然のサービス、西の方向にが‼ 左は厳島あたりから右は「エディオンピースウイング広島」の向こうへ。

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前日にはあれほど賑わっていた原爆ドーム周辺にはまだ人影は無く、ちょっと寂しい原爆ドーム前電停を発車したのは800形のようです。

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身支度をして朝食会場である最上階のレストランに向かうと、早朝の人影の無い平和記念公園の向こうには厳島が望めます。

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そして正面には、広電宇品線の軌道と広島港辺りが。こんな素晴らしい眺めでは朝食もままなりません。

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折角、客室とは反対側の、東南側の角テーブルを用意してくださったので、これを活かさなければ勿体無い。

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広島港から広島駅に向かう5車体の5100形グリーンムーバーマックスが、眼下の紙屋町交差点を行きます。

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代わって今度は3車体の1000形グリーンムーバーLEX。

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宮島口から広島港に向かうのは3100形でしょうか。元京都市電の1900形と交換です。食事を口にしては撮る。撮ってからまた食すの繰り返しです。

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東方を見れば新幹線! 貨物ターミナルを右に見て、東京方面に向かっていきました。

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ということで、リッチな気分でゆったり朝食と言う状況ではなくなってしまいましたが、妻は満足してくれたようで一安心といったところでした。

 

 

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