想い出の光景

2024年3月21日 (木)

新宿駅西口

新宿グランドターミナルの実現に向けた基盤整備が進む西口、2年前まではこんな風景でしたが・・・。

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西口を象徴する風景はすっかり変わって来ました。3月8日時点の記録です。

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地上に上がってみれば、小田急百貨店の本館はすっかり解体され、東口のビル街が見渡せます。

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左が小田急ハルク、右に京王百貨店。その真ん中にあった小田急本館の姿は無く、東口のルミネ エスト(旧新宿ステーションビル)が見通せます。

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解体前の光景は、海老名のロマンスカーミュージアムのジオラマで今も見ることができます。(3月6日)

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東側からの光景ですが、南口(左側)のミロードも、まもなく解体工事が始まります。

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渋谷も大工事が進み、新宿も。池袋は西武百貨店がヨドバシカメラ資本が投入されてと、東京のターミナルがどんどん変貌して行くようです。楽しみというより・・・寂しさを感じます。

 

2023年11月23日 (木)

南新宿の思い出

前回の「南新宿で」に頂いた、この地に思い出のある方々からのコメントに嬉しく思い、それならと調子に乗って記録を辿ってみました。

最初は1968(昭和43)年5月の夕方近く。現在解体中の小田急百貨店ビルを背後に「あしがら」が新宿1号踏切に差し掛かります。NSEはまだ冷房強化工事施行前で、屋根上がすっきりしていた時代です。

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この時はNSE(3100形)よりNHE(2600形)のこの色を狙っていたと思います。

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NHEは各停に投入されることが主だったので、待てば出会える。何気なく撮った南新宿での1コマから、当時の状況が蘇るようです。

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新宿1号踏切には踏切保安掛が常駐、迫り来る列車に振っている旗が確認できますが、これも古の思い出。

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続いて1969(昭和44)年の記録。地下ホームから出て来たのは3両編成の4000形ですよ。大都会のターミナルに3両編成が発着していたなんて。左側の貨物ホームには1300形が停車中です。

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この年の積雪は2月ではなく3月だったのですね。吊り掛け式駆動のABF車も優等列車で活躍していたのです。1600形×4を先頭にした8両編成が、小田急本社ビルと山野ホールの間を新宿に向かいます。

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後は1900形でした。大きくカーブしたホームは前後を踏切に挟まれ、大型6両編成(2600形)は上下列車とも先頭車両はドア締め切りでした。

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時を経て1973(昭和48)年7月、長編成化のための新宿駅改良工事たけなわ。地下ホームは閉鎖され、地上3線で全ての列車折り返しを行っていたときでした。地下線アプローチを長くとるため、路盤の掘り下げが行われています。

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同時に新・南新宿駅設置工事が進みますが、7月時点ではまだホームの基礎工事。

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2か月後の9月になってホームのコンクリート板が置かれ始めました。

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それから3カ月で完成するとは、早いものですよね。12月21日に新駅移転となりますが、その5日に前南新宿駅下りホームから撮った写真。こちらに向かって来る列車の位置に、新駅が確認できます。

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この日は日没後でしたが、フィルムをトライXにして奮闘していました。小田急本社ビル向かいの南新宿駅舎。当時は代々木八幡や代々木上原、東北沢などと似た、昭和の高度成長期に造られた鉄筋コンクリート製でした。改札口と出札窓口外の自動券売機があった時代だったのですね。

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駅舎左の壁面に、移転のお知らせが掲示されていました。

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小田急本社ビル前の新宿2号踏切から、その構内を記録しておきました。右が下りホームです。

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踏切を渡って下りホーム方から上りホームを。右手前には踏切保安掛が常駐していたのです。

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最後に上りホーム先端から参宮橋方向を。

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こうしてみると、ついこの前のことと思っていても、半世紀前と言う時代はいろいろな意味で今とは格段の差があるものだと、再認識させられてしまいます。

 

最後に新・南新宿駅での思い出を。1999(平成11)年7月16日、この日で引退となる3100形NSEの最終列車を撮りに行きました。

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振り返って後追いを1枚。下りホーム最後部の危ない所で撮っていた輩が居たのですね。黄色い線どころか白線まで超えて。

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オマケは今の南新宿駅を。10両編成対応のホーム幅は狭いものの、全体に上屋が設けられた姿になっているのです。

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上りホームから下り列車を撮ると、背後は山野ホールのガラス張り外壁が。

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駅舎は線路下に慎ましくです。

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南新宿、つい調子に乗ってしまいましたが悪しからず。

 

2021年9月19日 (日)

想い出の光景:32

八王子と高崎を結ぶことから名付けられた八高線、しかし正式には八王子-倉賀野間92.0㎞を結ぶ路線です。

OER3001氏が初めて八高線に乗ったのは、高崎の親戚宅に行く際に、通常は高崎線の80系で向かうところ、父親がたまには珍しいのに乗せてやると行って、多分キハ17に乗った時と思うので1960年代前半のことだと思います。

それが今では「八高線」とは言えど、八王子から高崎に直通する列車は無く、八高線の雰囲気を味合うには非電化区間の高麗川以北でなければなりません。

1968(昭和43)年3月に高麗川から南へ歩き、蒸機の撮影をしていました。

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この場所、高麗川駅からそう遠くは無い場所の筈なのですが・・・、すっかり開発が進んだ今は、残念ながらこの場所が特定できません。

 

2021年7月29日 (木)

想い出の光景:31

当シリーズ前回の神田駅で撮った101系と103系の山手線、永くお付き合い頂いている巨匠からのコメント、ご希望を受けての続編として、京浜東北線を。

山手線の101系の103系への置き換えを進める一方で、京浜東北線への103系投入が始まりました。

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しかし主力は依然として新性能電車ではない吊り掛け車でした。クハ79先頭の鶴見行きが目前に迫ったとき、山手の101系がやっと発車しました。

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こちらは東京へ向けて走り去る磯子行き。最後部もクハ79の8両編成。何故かクモハ73アタマの写真は、このフィルムにはありませんでした。

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先の東京オリンピックから3年後のこの頃、東京の空はまだ広かったです。

 

 

2021年7月28日 (水)

想い出の光景:30

まだ高校生だったこの日、当時のカレンダーを確かめると木曜日。学校帰りだと思っていたのですが、春休み期間ですね。模型制作記事をある出版社に届ける序でに、15:30前後に神田駅で撮っていました。

カメラは東京駅方向に向けています。

「山手」と掲示されたバックシーンはカナリヤ色の101系、それとすれ違いでこちらに向かって来るのはウグイス色の103系。山手線の車両が103系に置き換え進む時代、京浜東北線はぶどう色の73系の天下でした。

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今では画面左に上野東京ライン、東北・上越・北陸新幹線が行き交う2階建ての高架橋が構築されてしまい、すっかり空が見えなくなってしまいましたね。懐かしい光景です。

 

2021年7月13日 (火)

想い出の光景:29

場所当てクイズです。ここ、ど~こだ?

下りホーム最後部から上り電車を。

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上りホーム最前部から下り電車を。

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もっと撮っておけば良かったと、後悔しても始まりませんね。

 

 

2021年3月24日 (水)

想い出の光景:28

「想い出の光景」シリーでは、No.16から12回にわたって代々木上原を取り上げてきましたが、いよいよ1978(昭和53)年3月31日に千代田線との相互直通運転が開始されることになります。新宿駅にもその告知看板が掲示されていました。

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代々木上原駅の改札にも、その掲示がありましたが、新宿に比べれば遙かに控えめです。

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その代々木上原駅で、直通運転開始前日の3月30日に、祝賀式典が開催されました。小田急、帝都高速度交通営団双方の装飾された直通運転用車両が並びました。

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プラットホームで開催された式典の後、装飾された9000形祝賀記念列車が地下鉄線に下って行きます。

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その後ろ姿もしっかりカメラに収めました。

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それからどのくらいの時間が経過していたか、代々木公園駅で折り返した祝賀記念列車が地上線に駆け上がって来ました。待ちに待った小田急車両の千代田線乗り入れ光景でした。

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この区間、今日では当たり前の光景が繰り広げられています。

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帝都高速度交通営団は東京メトロと変わり、6000系は16000系に世代交代しました。

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が、たまにはこんな光景も拡げられます。地下鉄から上がってきたのは小田急のロマンスカーMSE、60000形です。

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小田急側の直通運転用車両も、9000形から1000形を経て、今では4000形に世代交代。その4000形は地下線からのMSEを横に見ながら新宿へ向かっています。

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と、ここまでは日常的な光景ですが・・・、これは普段は見られない光景です。16000系が地下線に入らず、新宿に向かうという試運転ならではの光景。

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その試運転列車が、新宿から戻ってきました。

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ロマンスカーMSEは、6両編成時には貫通形のクハ62050形が先頭になるので、4コマ前の表情とは異なる姿も見られます。

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直通運転開始してから43年、曲線部に設けられた対向式プラットホームの代々木上原駅を知って居る人も少なくなったでしょうね。でもOER3001氏にとってここは、青春時代の想い出がいっぱいの地なのです。

 

2021年3月15日 (月)

想い出の光景:27

代々木上原界隈の想い出、想い出の光景:261976年4月)からほぼ2年間、撮影記録が途絶えていましたが、いよいよ千代田線の試運転が始まった1978(昭和53)年には先ず、3月5日の記録がありました。

新装なった代々木上原駅に進入してきたのは5000系でした。

思い起こせば千代田線が、北千住-大手町間で営業開始された1969(昭和44)年12月当時、6000系はまだ量産されていなかったことから、5000系を暫定投入していたものだった。

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その5000系が、東北沢方の引き上げ線に収まりました。代々木上原-東北沢間は、営団引き上げ線2線を挟んで複々線になっています。

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代々木八幡-代々木上原間を見れば、試運転の6000系が地下に潜って行きました。

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この時はまだ、千代田線乗り入れ用として用意していた9000形は地下鉄区間には乗り入れず、試運転の6000系を横目にしつつ新宿へ向けて走って行きました。

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9000形の新宿行き急行は「猪電」の運板を掲げていたのも貴重な記録となりました。

しかしそれにしても、これらカラーポジフィルムの発色が・・・(涙)。

 

2021年3月 4日 (木)

想い出の光景:26

想い出の光景:25」からほぼ半年後の1976(昭和51)年4月の記録がありました。

代々木八幡-代々木上原間の高架化工事が進捗に伴い、廃止された踏切に変わって架けられた跨線橋から代々木八幡方向を望んでいます。代々木八幡駅の改造工事模様については別途取り上げたく思っていますが、この時既に上りホームは山側への移設工事が完了しているようで、敷設された線路への切り替えを待つような線形です。

上りはNSE車、下り急行はHE車と言うのも懐かしい時代です。

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振り返って代々木上原駅方向を見れば、高架線には線路が敷かれ、架線工事も進んで居ます。折しも通過して行った9000形の走る位置は、完成後は千代田線の線路位置になる場所です。

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海側へ回って、代々木八幡方向を望みました。完成間近となった新線の先が、HE車が走る線路への接続を待っていることがわかります。

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間もなく小田急線が高架に切り替えられ、現小田急の線路部分に営団線の線路工事となって行きます。

 

 

2021年2月28日 (日)

想い出の光景:25

代々木上原駅付近変貌の記録、「想い出の光景:24」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年8月 には、改札口前の踏切まで高架橋の鉄筋が建ち始めました。

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2ヶ月後の10月になると、高架橋はすっかり出来上がっています。線路はまだ元の位置なので、高架橋の下になった踏切を電車が通過していきます。

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その踏切からの光景は斯様な感じになりました。下り電車の通過です。

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東北沢方向を望むと、駅舎が無くなっています。遙か先の高架下に仮駅の看板が見えています。

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その状況が次の画像。元のプラットホームの東北沢方終端辺りから向こう側に、仮ホームが設けられています。そしてその上には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できます。

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上り仮ホームに停車中の5159他4連新宿行き、その上方には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できるので、この仮ホームはほぼ現在のプラットホーム位置と一致します。

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その上りホームが次の画像ですが、曲線区間に設けられていたプラットホームがほぼ直線になりました。

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SSE車の下り「あさぎり」が通過する画像では、新宿方が僅かに曲線区間に掛かっていることが確認できます。

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こうして徐々に徐々に、千代田線接続の設備が構築されて行きました。このシリーズはまだ続きます。

 

 

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