想い出の光景

2021年3月24日 (水)

想い出の光景:28

「想い出の光景」シリーでは、No.16から12回にわたって代々木上原を取り上げてきましたが、いよいよ1978(昭和53)年3月31日に千代田線との相互直通運転が開始されることになります。新宿駅にもその告知看板が掲示されていました。

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代々木上原駅の改札にも、その掲示がありましたが、新宿に比べれば遙かに控えめです。

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その代々木上原駅で、直通運転開始前日の3月30日に、祝賀式典が開催されました。小田急、帝都高速度交通営団双方の装飾された直通運転用車両が並びました。

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プラットホームで開催された式典の後、装飾された9000形祝賀記念列車が地下鉄線に下って行きます。

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その後ろ姿もしっかりカメラに収めました。

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それからどのくらいの時間が経過していたか、代々木公園駅で折り返した祝賀記念列車が地上線に駆け上がって来ました。待ちに待った小田急車両の千代田線乗り入れ光景でした。

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この区間、今日では当たり前の光景が繰り広げられています。

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帝都高速度交通営団は東京メトロと変わり、6000系は16000系に世代交代しました。

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が、たまにはこんな光景も拡げられます。地下鉄から上がってきたのは小田急のロマンスカーMSE、60000形です。

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小田急側の直通運転用車両も、9000形から1000形を経て、今では4000形に世代交代。その4000形は地下線からのMSEを横に見ながら新宿へ向かっています。

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と、ここまでは日常的な光景ですが・・・、これは普段は見られない光景です。16000系が地下線に入らず、新宿に向かうという試運転ならではの光景。

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その試運転列車が、新宿から戻ってきました。

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ロマンスカーMSEは、6両編成時には貫通形のクハ62050形が先頭になるので、4コマ前の表情とは異なる姿も見られます。

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直通運転開始してから43年、曲線部に設けられた対向式プラットホームの代々木上原駅を知って居る人も少なくなったでしょうね。でもOER3001氏にとってここは、青春時代の想い出がいっぱいの地なのです。

 

2021年3月15日 (月)

想い出の光景:27

代々木上原界隈の想い出、想い出の光景:261976年4月)からほぼ2年間、撮影記録が途絶えていましたが、いよいよ千代田線の試運転が始まった1978(昭和53)年には先ず、3月5日の記録がありました。

新装なった代々木上原駅に進入してきたのは5000系でした。

思い起こせば千代田線が、北千住-大手町間で営業開始された1969(昭和44)年12月当時、6000系はまだ量産されていなかったことから、5000系を暫定投入していたものだった。

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その5000系が、東北沢方の引き上げ線に収まりました。代々木上原-東北沢間は、営団引き上げ線2線を挟んで複々線になっています。

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代々木八幡-代々木上原間を見れば、試運転の6000系が地下に潜って行きました。

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この時はまだ、千代田線乗り入れ用として用意していた9000形は地下鉄区間には乗り入れず、試運転の6000系を横目にしつつ新宿へ向けて走って行きました。

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9000形の新宿行き急行は「猪電」の運板を掲げていたのも貴重な記録となりました。

しかしそれにしても、これらカラーポジフィルムの発色が・・・(涙)。

 

2021年3月 4日 (木)

想い出の光景:26

想い出の光景:25」からほぼ半年後の1976(昭和51)年4月の記録がありました。

代々木八幡-代々木上原間の高架化工事が進捗に伴い、廃止された踏切に変わって架けられた跨線橋から代々木八幡方向を望んでいます。代々木八幡駅の改造工事模様については別途取り上げたく思っていますが、この時既に上りホームは山側への移設工事が完了しているようで、敷設された線路への切り替えを待つような線形です。

上りはNSE車、下り急行はHE車と言うのも懐かしい時代です。

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振り返って代々木上原駅方向を見れば、高架線には線路が敷かれ、架線工事も進んで居ます。折しも通過して行った9000形の走る位置は、完成後は千代田線の線路位置になる場所です。

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海側へ回って、代々木八幡方向を望みました。完成間近となった新線の先が、HE車が走る線路への接続を待っていることがわかります。

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間もなく小田急線が高架に切り替えられ、現小田急の線路部分に営団線の線路工事となって行きます。

 

 

2021年2月28日 (日)

想い出の光景:25

代々木上原駅付近変貌の記録、「想い出の光景:24」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年8月 には、改札口前の踏切まで高架橋の鉄筋が建ち始めました。

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2ヶ月後の10月になると、高架橋はすっかり出来上がっています。線路はまだ元の位置なので、高架橋の下になった踏切を電車が通過していきます。

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その踏切からの光景は斯様な感じになりました。下り電車の通過です。

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東北沢方向を望むと、駅舎が無くなっています。遙か先の高架下に仮駅の看板が見えています。

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その状況が次の画像。元のプラットホームの東北沢方終端辺りから向こう側に、仮ホームが設けられています。そしてその上には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できます。

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上り仮ホームに停車中の5159他4連新宿行き、その上方には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できるので、この仮ホームはほぼ現在のプラットホーム位置と一致します。

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その上りホームが次の画像ですが、曲線区間に設けられていたプラットホームがほぼ直線になりました。

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SSE車の下り「あさぎり」が通過する画像では、新宿方が僅かに曲線区間に掛かっていることが確認できます。

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こうして徐々に徐々に、千代田線接続の設備が構築されて行きました。このシリーズはまだ続きます。

 

 

2021年2月25日 (木)

想い出の光景:24

前回の「想い出の光景:23」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年5月には、代々木上原駅前の踏切脇に完成予想図が掲示されていました。左方の代々木八幡駅から右方の営団引き上げ線終端までが、結構詳細に描かれていました。

ほぼこの通りに完成している現在ですが・・・、一つだけ実現していないのが高架ホーム下側(北側)に描かれている駅前広場。まだこの計画が生きているのでしょうか?

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まだ1800形が現役バリバリの頃ですが、この頃に事実上の4両固定運用になり、両端に出る先頭車だけ貫通扉をステンレス製の新しいものに交換、窓が上下方向に拡大されました。そして方向幕が手動から電動になりました。

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プラットホームの時計が15時5分を指している時、新宿15時00分発の「あしがら」が通過して行きました。

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この線路位置、今はメトロの線路になった場所、NSE先頭車の先に確認できる踏切が井の頭通り。そこが現在のホーム下ということになりますが、開業からこの時代まで、小田急の線路位置は変わっていなかったのです。

 

2021年2月18日 (木)

想い出の光景:23

このシリーズは、ここ暫く代々木上原を取り上げていますが、今回は1975(昭和50年)年2月の記録を。 カラーポジからのスキャンニングですが、どれも色が薄くなってしまっているのはお許しを。

だいぶ高架橋が出来てきて、駅舎が右の高架橋下に収まっています。 下り「あしがら」が通過して行きました。

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その場所から代々木八幡方向を望んだところですが、既存線路の両側には高架橋が連続してきました。

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そこからもう少し代々木八幡方向に移動して海側から見下ろしたら、下り本厚木行き各停の2600形NHE車が通過するところでした。

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今度はその先の、八幡3号踏切だったと思われる代替跨線橋に上って、夕刻の代々木上原方面にカメラを向けています。 3000形SSE車は「さがみ」、これも懐かしい想い出です。

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まだ高架橋は繋がっていませんが、急ピッチで工事は進んでいました。

 

 

 

2021年2月14日 (日)

想い出の光景:22

今回も代々木上原の想い出、1974(昭和49)年です。

フィルムを節約して撮っていたこともあり、最悪の色になってしまっていますが、ここは代々木上原駅東の山側から。 地下鉄9号線乗り入れ工事たけなわの時に降雪。 仮柵の向こうですれ違う上下列車は2600形NHE車(左)と4000形です。

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その場所を、上りホームから見ていました。 新宿行き各停は4063が最後尾、まだ日中は3両編成が走っていたのです。

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上りホームから東北沢方向を見れば、山側には鉄筋コンクリート製連続ラーメン形式の高架橋が建ち始めています。

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この後、みるみるうちに長閑だった光景が変わって行きました。

 

 

 

2021年2月 8日 (月)

想い出の光景:21

代々木上原駅周辺の想い出を続けます。

地下鉄9号線(千代田線)乗り入れ工事が行われていた1973年7月の改札口からです。 神戸銀行は既に移転し、建物は解体されています。

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翌8月には完成予想図が掲げられました。 乗り入れのために造られた9000形が、地上区間で活躍しています。

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駅東の海側(南)のこの場所、余り記憶が無いのですがもともと道路だったのでしょうか。

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東北沢方向では測量が行われていました。

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そこから駅を眺めます。 車体を傾けた2600形NHE車の新宿行きが発車したようです。

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この場所、まだ背後にはイスラム教寺院のドーム屋根がよく見えました。 NSE車3100形もほぼ原型の時代で、屋根上には増設クーラーが載っていないスマートな姿、膨らんでいた幌も懐かしい。

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建ち始めた新宿の高層ビルが良く見えていました。 中央の薄く白いのが京王プラザホテル、左が住友三角ビルでその間の黒く見えるのは建築中の三井ビルと思われます。 一番右は建築中のKDDIビルではないだろうか。 1800形も元気な時代でした。

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この踏切から東北沢方向を撮っていました。 この辺りが今の駅なのです。

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駅山側に回って見れば、商店が立ち退いた場所で鉄筋が建ち始めました。 駅はまだそのままです。

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暑かった8月のこの日、13時56分に通過するのはSSE車の「えのしま」でした。

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ちょうどこのプラットホームの端から向こうが、今の代々木上原駅になっていますが、ここを毎日利用していた時代が懐かしいです。

 

 

 

 

2021年2月 3日 (水)

想い出の光景:20

そう言えば、曲線区間には“カント”が設けられるということは当たり前の常識ですが、小学生低学年の時にはそのことを知らなかったかも知れません。 走行中の列車や電車で、運転台の後ろから前を眺めたり、車掌室越しに後方を眺めることでもしない限り、ただ“普通に”乗っているだけでは身体で感じ取れることもありません。

その“カント”を身をもって理解できたのが代々木上原駅なのでした。

小田急線の急曲線区間としては、時速45キロに制限を受ける半径200メートルほどの代々木八幡駅付近のが印象的ですが、速度制限がある関係からか、然程のカントを感じ取れないのに対し、それより大きい筈の半径だった代々木上原駅付近の制限速度は時速45キロではなかったようで、代々木八幡よりきついカントが設定されていたはずです。 

そこに各駅停車が停車するので車体は大きく傾き、曲線外側から乗車しようとすれば電車の床面がプラットホームからかなり高い位置になります。 朝の満員電車には外側から乗車することになるので、立ち客は内側に押されて倒れかかってくることになります。 反対に曲線内側になる電車の床面は、ほぼプラットホームと同じ高さとなって、乗降が楽でした。

なるほど、これが“カント”と言うものかと、身体で感じられた場所でした。 その代々木上原駅プラットホームも長編成化の進捗に合わせて下り方(東北沢方)に延伸を重ね、大型6両編成の時代になると、左側の大きなフードのITVが設置されました。

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鉄筋コンクリートの駅本屋は、山側(曲線外側)の上りホーム前方の階段を下りたところにありました。 下りホームへは地下道を通って行く構造。 まだ自動券売機では最低区間しか買えなかった時代、出札口の横には「30円」の券売機が確認できます。 思い出深い駅なのに、駅の写真をほとんど撮っていなかったのが残念で溜まりません。

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改札口を出ると、駅前通りはご覧の急坂。 運転免許取り立ての未熟者に、この坂道発進と踏切横断はさぞ緊張したことと思われます。 停車中のコカコーラ配送車の上に読み取れる「行」の文字は神戸銀行。 踏切を渡ると三菱銀行でした。

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その三菱銀行前から見た光景がこれ、右の建物が神戸銀行です。

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同じ日に、ちょうど冷房試験車の2478が新宿に上って行ったを確認したので、駅の東北沢方にあった踏切へ回り、折り返してきたのを撮っていました。

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その気になれば線路脇の何処からでも、電車が撮れた時代が懐かしく思います。 今では線路に近づけても必ず立派な柵やフェンスが設けられ、思うように撮れませんから。

 

 

2021年2月 2日 (火)

想い出の光景:19

暫く代々木上原の思い出を続けていますが、前回の降雪時より2年前、天気の良い11月には駅西側で正面に小旗を掲げた1300形の3連の新聞輸送を撮っていました。 

小旗は「小田急百貨店全館完成」の宣伝のため、2600形NHE車2編成と4000形1編成に施された特別塗装車いも含めた全車両に掲げられたもので、新聞輸送と荷電にも掲げられました。 奥の曲線部分が代々木上原駅で、ここはちょうど、今の代々木上原駅プラットホームの位置となります。

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その撮影場所を望むように、1969年8月には下りホームから4002Fを撮っていました。 同車は1966(昭和41)年の製造ですからほぼ製造当時の姿で、列車無線アンテナもATS車上子も未装備です。

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同じ時期ですがこちらは撮影日が不明、夕方の逆光で撮った2659Fです。 2両目から3両目の後方に見えるドーム状の建築物が、この地で有名なイスラム教の寺院でした。

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その翌年1970年4月になると、ケープアイボリーの新塗装に衣替えした車両も増えてきたので、1コマ目の写真より少々代々木上原駅に寄った場所で撮影しています。 

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8月には上りホーム後方から通過して行く快速急行の2600形NHE車を撮っています。 この情景が長閑だった当時の代々木上原駅で、周辺には大きな建物は無く、神戸銀行の赤い屋上看板が目立つのみです。

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同じ場所から、住宅地を行く発車した2100形を捉えていました。 

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曲線ホームの安全確認のために設置されていた監視用“ITV”の大きなケースが目立っていました。 

当時は“ITV”(industrial television )と言っていたのですが、今は“監視カメラ”と言うようで、同目的の機材ながらもその呼称が“テレビ”から“カメラ”に変化したのは面白いです。

 

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