博物館

2024年12月22日 (日)

東急 暮らしと街の文化

久しぶりに祖師ヶ谷大蔵駅で下車。冬らしい日差しの下、歩くことおよそ30分。辿り着いた所はここでした。

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11月30日より2月2日まで開催中のこれを観るために。シニアの観覧料は1,200円と、決して安い値段ではありません。

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助かったのは撮影禁止ゾーン以外での撮影は可能。と言うことで先ずはエントランスで、渋谷で進む再開発工事で出土した玉電のレール。玉電が運行停止されたのが1969(昭和44)年だったので半世紀を経て掘り起こされたということになります。

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その奥には縮尺1/5の台車模型が並びます。最初は住友金属KS-33、3700形が履いていた台車で、晩年には枕ばねが板からオイルダンパに改造されていました。

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東急を語るうえでは青ガエルと呼ばれた5000系は避けて通れません。その5000系の台車は東急車輛製TS-301。

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我が国初のオールステンレス車両として登場した7000系が履いたは、ディスクブレーキが軸箱の外側に付いた独特の形状だったパイオニア形と呼ばれるTS-301。これらの1/5模型はいずれも天賞堂による製作。

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展示室に入ると早々に、中央の展示台に目を奪われます。

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これは目黒駅の模型。東急の発祥は目黒蒲田電鉄ですから目黒は起点駅です。

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こちらは鎌田駅。国鉄線への連絡通路が手前に延びています。

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時代は戦後の高度成長期。大井町線を延長して田園都市線が開通する時の溝の口駅。7000系祝賀列車のテープカット式典のようです。

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東急車両が納入した7000系の図面集なども見られました。

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木箱に並んだ駅名のゴム印。定期券発行に必要だったのです。左上の渋谷から下に代官山、中目黒・・・と東横線、右に目蒲線、大井町線、玉川線、営団、国鉄と。つぶさに見ると面白いです。

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この展示、鉄道ばかりではなく東急の街づくりや沿線居住作家の芸術作品なども展示されていますが、OER3001氏の興味対象はやっぱり鉄道。

模型や図面等が多く展示され、観覧料1,200円の価値はあったかな。1月11日(土)には荻原俊夫さんの「東急の車両設計に携わって」というレクチャーも計画されています。

 

 

2024年12月20日 (金)

ロマンスカーミュージアムの現況

開業から4年目に入ろうとしているロマンスカーミュージアム、12月4日(水)から2025年3月3日(月)までの予定で、企画展「まちの多摩線50年」が開催されています。

2021年4月19日に開業したロマンスカーミュージアムは、資料の収集・保管・展示・調査研究の体制や、学芸員その他職員の配置、施設・設備、年間開館日数などの観点から審査を受けて本年6月21日、博物館法で規定する神奈川県所管の「登録博物館」として登録されています。

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12月14日(土)には、学芸員による展示解説が行われました。学芸員による展示解説は2025年1月4日(土)、1月18日(土)、2月15日(土)にも予定されています。(各日14:00~14:15)

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ご縁があって、OER3001氏はこの展示に協力させて頂き、多摩線開業以来撮って来た写真を提供しています。

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歴代のロマンスカーが並ぶギャラリーの一角です。

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多摩ニュータウン開発と交通政策、新線開発の経緯、小田急の取り組みなどが、コンパクトにまとめられています。

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一方、モハ1形が停車するヒストリーシアターの一角では、OER3001氏の歴代ロマンスカー車両模型なども展示中です。

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年末年始の休日等を利用して、足を運ばれては如何でしょう。充実したひと時となることと思います。

 

2024年11月 4日 (月)

広島から松山へ

鉄道好きな身として、普通なら鉄路を利用するのですが、妻同行での慰霊の旅としては、、、。スーパージェットと称するこれで、瀬戸内海クルージングとしました。

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折角2階席スーパーシートとしたのに、残念ながら雨交じりの空模様。広島港を後にしました。

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呉を経由します。2005年の出張の際、OER3001氏が務めていた会社が関わった開館直後の大和ミュージアムを見学していました。

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その大和ミュージアム前の桟橋を後に、一路四国を目指します。

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途中、倉橋島を結ぶ音戸大橋を抜けますが、この間は100mも無い狭さです。その操舵に感心しつつ、

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1時間20分の船旅を終え、松山観光港に到着です。松山観光港からは連絡バスで伊予鉄高浜線の高浜駅へ。

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1978年4月の出張時の夜、初めて行ってみた時とは車止めの位置が変わっているようにも見えます。

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今度は駅舎も入れて、全体の雰囲気を押さえておきました。いや~電車は井の頭線ですね~。

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この画像、実はカメラを構えるOER3001氏を見つめる妻が写っていたのですが、ここはちょっと隠れて頂いた次第。でもホントに隠れてもらっては困ります。

 

 

2024年10月31日 (木)

広島のホテルで楽しむ

単独での鉄旅ではなく妻と一緒では、それなりにサービスしなければなりません。新幹線「のぞみ」もそうですが、ホテルにも気を使います。

30階の部屋を取ったお陰で朝には素晴らしい自然のサービス、西の方向にが‼ 左は厳島あたりから右は「エディオンピースウイング広島」の向こうへ。

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前日にはあれほど賑わっていた原爆ドーム周辺にはまだ人影は無く、ちょっと寂しい原爆ドーム前電停を発車したのは800形のようです。

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身支度をして朝食会場である最上階のレストランに向かうと、早朝の人影の無い平和記念公園の向こうには厳島が望めます。

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そして正面には、広電宇品線の軌道と広島港辺りが。こんな素晴らしい眺めでは朝食もままなりません。

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折角、客室とは反対側の、東南側の角テーブルを用意してくださったので、これを活かさなければ勿体無い。

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広島港から広島駅に向かう5車体の5100形グリーンムーバーマックスが、眼下の紙屋町交差点を行きます。

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代わって今度は3車体の1000形グリーンムーバーLEX。

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宮島口から広島港に向かうのは3100形でしょうか。元京都市電の1900形と交換です。食事を口にしては撮る。撮ってからまた食すの繰り返しです。

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東方を見れば新幹線! 貨物ターミナルを右に見て、東京方面に向かっていきました。

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ということで、リッチな気分でゆったり朝食と言う状況ではなくなってしまいましたが、妻は満足してくれたようで一安心といったところでした。

 

 

2024年10月29日 (火)

平和祈念の旅路

開業60周年を迎えた東海道新幹線で西へ向かいます。この姿を見ると、やっぱり嬉しいものです。

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次に心が躍るのはこれ。赤い電車も白くなりましたが、シルバーより好きです。

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今回の旅は、いつもは利用しない「のぞみ」利用です。人間としてもう一度あの悲惨さを目の当たりにしておかないといけないなと思って計画していた慰霊の旅でしたから、平和を「のぞみ」と言う意味も込めて。

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昨年から企てていた妻と一緒の旅、まさかその直前に、被団協が2024ノーベル平和賞を受賞することになるとは、思ってもいませんでした。

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今まで何回かこの地を訪れていますが、こんなに観光客が増えていたのですね。しかも、なんと外国人の多いこと。広島平和記念資料館への入場も、下手をすれば入場券を求めるのに一時間の行列です。OER3001氏はWEB予約しておいたお陰で入場はスムーズでしたが、館内は自由に歩けないほどの混雑でした。

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以前にあった原爆投下時の爆心地模型は、ほぼ同じサイズの映像型に変わり、焼けただれながら彷徨う被爆者の人形などが展示されなくなっていましたが、それでも当時の悲惨さは充分に伝わる展示。パネルの前で固まり、涙する外国人の姿もありました。

時間制限無く自分のペースで館内を進み、平和の尊さを身に染みて外に出てみれば、夕日がドームに。

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丁度やって来たのは、被爆電車とされる651号ではありませんか。

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爆心地から約700mの中電前附近で走行中に被爆した車両だと言うことで、当時の写真がありました。

Hiroshima_abomb_tram_651被爆電車 - Wikipedia 被爆直後の651号車(岸田貢宜撮影)より

今回の旅の主目的が、広島平和記念資料館や原爆ドームなどを前に、ちょっと立ち止まって考えてみることでした。だから宿泊先もちょっぴり贅沢して広島の街並みを見下ろせる高い場所にしました。

左遠方に宮島、ドームが左下。中央下にはひろしまゲートパーク。

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カメラを右に振ればサンフレッチェ広島のホームグランド「エディオンピースウイング広島」など。

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さらに右に振れば、眼下に広島城と広島美術館。JR可部線が真っ直ぐ伸びている筈です。

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広島のレポート第一弾はここまで。電車のことはまた改めてとしましょう。

 

 

2024年10月21日 (月)

企画展「Romancecar Reborn」へ

またまたロマンスカーミュージアムに行って来ました。

ロマンスカーギャラリーは夏休み期間のテーマ展示が終わったこともあり、広々となっています。

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その奥で10月9日(水)から11月18日(月)まで、鉄道の日(10月14日)を記念したプログラム「Romancecar Reborn(ロマンスカーリボーン)」が開催されています。

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10000形HiSEや20000形RSE横の広場の一角で、斯様な展示。

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引退した鉄道車両が、地方に譲渡されて再活躍と言うのは良く知られたことですが、鉄道車両そのものではなく、鉄道車両の一部、例えば台車や空調装置、座席なども、地方鉄道で使われているのです。

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3100形NSEの屋根上に増設された冷房装置は、高松琴平電鉄で名古屋市営地下鉄から来た車両の屋根で活躍しているのです。京王帝都電鉄の名車5000系を譲受した一畑電鉄、車内クロスシートは3100形NSEのものだったのですね。

実はこの展示に、急遽OER3001氏の写真を何枚か提供させて頂きました。この企画展は11月18日(月)まで。是非お出掛けになられては如何でしょうか。

 

2024年9月25日 (水)

ロマンスカーミュージアムで展示中

小田急創始者・利光鶴丸と、小田急の“中興の祖”ともいえる安藤楢六に焦点を当てた夏休み期間の特別展示を終えた後、期間中の反響もあって、展示の一部が今年度いっぱい継続されることになりました。

エントランスからエスカレーターを下りた1階 ヒストリーシアター「モハ1」の前です。

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正面のゾーンがほぼそのまま継続されるも、実は展示模型が増強されました。

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小田急創始者・利光鶴丸の功績が解説されたパネルの下には、 戦前の乗車券や沿線案内など共に、創業時の車両モハニ101形の模型が。

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マルーンの塗装はライティングされてもなかなか見づらいですが、101号と102号の2連が。

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左側は安藤楢六の業績に関連するパネルで、戦後復興と週末ノンストップ特急に始まり、ロマンスカーの礎を築いたことが紹介されています。

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このケース内はこれまで1600形、1910形、2300形、3000形SEが展示されていましたが、パルテノン多摩で展示されていた1700形が移動、ここに加わりました。

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1700形に加えて、2300形もロマンスカーミュージアム所蔵品に代わって、OER3001氏の作品に交代しました。

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このケース内の3000形SE車はロマンスカーミュージアム所蔵ですが、SE車までのロマンスカーは全てOER3001氏のペーパー自作です。

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来場者の合間を見てつい、正面から、右から左からと、記録写真撮影に興じてしまいました。

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永年に渡る趣味で作って来た模型ですが、なかなか並べられる機会や場所も無かったので、今回は嬉しい機会となりました。

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入館料が900円と少々高いかもしれませんが、実車の保存車両に触れることもできる価値あるものと思います。機会があれば是非ご訪問ください。

 

 

 

2024年9月13日 (金)

ロマンスカー移動

とは言っても、模型の話です。

7月からパルテノン多摩ミュージアムでの特別展「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」で展示中だった1700形3次車の1705×3の編成、今度はロマンスカーミュージアムでの展示に供するため、代替車両に交代となりました。

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この展示は11月10日までの予定と、結構な長期間。先日、展示内容をまとめた冊子が出来上がり、会場で販売(600円)されています。

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代替車両は1900形の4両編成。多摩線で走行した時はケープアイボリーにロイヤルブルーの帯という新塗装になってからでしたが、展示模型は旧塗装時代でお許しください。

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奥で展示の2100形と同時代、1960年代後期の姿です。

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こちらが2100形。車体はカルダン駆動になった2220形に似ています。

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1900形は複雑な歴史を辿っただけに、中間サハ1950形の奇数車は川崎車輛製の軸梁式OK-17形台車を履きます。

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一方、偶数車の台車は国鉄車両からの供出品、TR-11です。

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戦後の高度成長時代を生き抜いてきた車両、模型化した1903-1953-1954-1904の編成は、多摩線でお別れ運転が実施されています。

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この時掲げられた2種のヘッドマーク、右側のはOER3001氏の作でした。

 

 

2024年8月 2日 (金)

ロマンスカーミュージアム夏休みプログラム

ロマンスカーミュージアムで夏休みプログラムが始まっています。小田急創始者・利光鶴丸と、小田急の“中興の祖”ともいえる安藤楢六が、共に大分県出身者ということから、JR九州、原鉄道模型博物館と連携のプログラムです。

お知らせ | ロマンスカーミュージアム | 小田急電鉄 (odakyu.jp)

海老名駅ペデストリアンデッキから入館し、順路に従ってエスカレーターで下に降りた1階 ヒストリーシアター「モハ1」の前で展開されています。

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最初は小田急創始者・利光鶴丸の功績、ここに飾られた創業時の車両モハニ101形が、OER3001氏の作品です。

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今は無い、山谷駅からの乗車券や当時の沿線案内などと同じケース内に展示されています。

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その隣が安藤楢六の業績に関連する展示。戦後復興と週末ノンストップ特急に始まり、ロマンスカーの礎を築いたということから、1600形、1910形、2300形、3000形SEが展示されています。

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ロマンスカーミュージアムの所蔵品に無い1600形と1910形の模型展示に協力させて頂きました。

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小田急が目指した箱根を擁する神奈川県と、利光鶴丸、安藤楢六両氏の出身地・大分県が、温泉地を抱えるという共通点があるのは偶然でしょうか。

 

右のホーロー製サボは先日、寄贈させて頂いたコレクションのひとつなのです。あの西條八十&中山晋平作、佐藤千夜子が唄う東京行進曲レコードと共に展示です。

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こちらは戦後、急行に付けた〇急運板と、2400形までが使っていた側面の“サボ”も寄贈させて頂いたOER3001氏コレクションです。

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全体はこんな感じでコンパクトに、モハ1フロントで展開されています。

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ロマンスカーギャラリーに並ぶ実車、夏休み相応しくと、7000形LSEのヘッドマークには1990年代に運転された「湘南マリンエクスプレス」に代わっています。

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同じ趣旨で3000形SSEのヘッドマークは「江の島・鎌倉EXPRESS」に。いずれも先日、寄贈させて頂いたコレクションから複製されて用いたとのことです。

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このロマンスカーギャラリーの入り口部分で、JR九州関連や原鉄道模型博物館からの「或る列車」模型展示他が展開されています。

 

海老名駅下車で直ぐのロマンスカーミュージアム。

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8月26日までの展示ですので、お時間の許す方は是非お運びください。

 

 

2024年7月21日 (日)

実車調査に

ということで、素晴らしき完全キットを入手してしまった以上は落ち着いて居られず。先ずは実車調査に出掛けてしまいました。学校の夏休み入り直前の平日なので、入館者は少ないだろうとの予想は大当たり。

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先ずは顔。そして正面左。

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次は正面右。

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正面隅角部。

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側面前方。

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側面、台枠部から側窓にかけて。

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窓サッシと窓枠の材質違い感。

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材料の違いによる微妙な違い。

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側面と妻面の窓枠と窓サッシの関係。

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等など、ステンレスでも材料の仕上げ方法の違いから生じる微妙な「色」違いと光沢の差を調査。

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他の車両はこれまでも度々訪問していたので細部調査は省略。ゆっくり観察することができました。

 

 

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