鉄道(施設)

2023年12月19日 (火)

続:品川へ

高輪の物流博物館を見学しただけで帰るのは実に勿体無い。最初はJR品川駅の通路を高輪口に向かう時、地下の泉岳寺から高架線に上がって来る京浜急行の光景に目が行きました。この光景もやがて過去帳入りになるのですから。

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今は解体されて再開発が進む元「ホテルパシフィック東京」側から駅を見ると、港南口の高層ビル群を背景に、京浜急行の電車が見えるではないですか!! JR品川駅などは建物が無く、階段・エスカレーターの上り口があるだけ。 駅前の国道1号と線路の間にあったビル群が全て取り壊されたお陰で、港南口ビル群まで見通せるようになっているのです。

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高輪ゲートウェイ方向に眼をやればご覧の通り。 OER3001氏にはここで京成の車両が見られるという事、未だにしっくり来ないのですが・・・。などと言っては京成ファンに失礼ですよね。

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歴史を記録しておくという意味からは、やっぱり電車は京浜急行ででなければ。因みにOER3001氏は「京浜急行」と書かせて頂きます。「京急」はどうもしっくりしません。小田急、京王帝都、東横、目蒲、池上の時代がカラダに合っているようで(笑)。 今は「京急〇〇」となっている蒲田、川崎、鶴見・・・久里浜など、1987(昭和62)年までは「京浜〇〇」でしたから。

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高輪はこのへんにして、八山橋へ向かいます。ここも改良工事たけなわで、写真撮影の名所もいつまでなのか? 先ずは山側から下り電車を。

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海側に転じて上り電車を。

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定番はやっぱり海側からの下り電車でしょう。しかし最初に来たのは北総鉄道の車両。

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やっぱりここは、赤い車体の京浜急行でなければ。

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それにしても1000系、もう「新」を付ける必要がなくなっていますが、随分とバリエーションが増えたものです。

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たった1編成しか無い、千葉ニュータウン鉄道の9800形に遭遇したのはラッキーということでしょうか。

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でもやっぱりここでは赤い電車ですよね。快特・京急久里浜行きの2100形を撮って切り上げました。

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架け替えが計画されている八山橋橋梁を行く京浜急行と、下の東海道線とのツーショットが叶わないか、暫くチャレンジしてみましたがそう上手くは行きません。

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何とか収められた都営車と東海道線とのツーショットで、この日は打ち切ることにしました。

 

2023年12月17日 (日)

品川へ

渋谷、新宿と大工事が行われている中、品川も負けてはいません。ちょっと来ない間に、なかなか凄いことになっていたのですね。

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その話題はまた別の機会にと言うことで、今回は高輪へ。とは言ってもこの新高輪プリンスホテルは関係ありません。ここを右に見つつ、左へ行きます。

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目的地はこの建物。さほど大きくはありませんが何か風格を感じます。

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「MUSEUM OF LOGISTICS」直訳すれば物流博物館。斯様な存在をつい最近まで知りませんでした。

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訪れた目的はこれ。SNSで開催を知り、思い立って出掛けることにした次第です。

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残念ながらその企画展は撮影禁止なので、入手した図録(500円)他から展示内容の一部を紹介しましょう。まず注視してしまったのがこの光景。1/30の模型が良くできていて素晴らしかったこと。貨車の積み荷まで作られていました。

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明治時代の構内配線図など、見ていて飽きませんでした。

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貨物輸送がコンテナになろうとする時代、あのチキ5000形に積むコンテナの素材は、鋼鉄、アルミ、木台で試作していたのです。

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汐留駅が閉鎖される前年の写真。今は駅舎が復元されていますが、この時はその影もカタチもありません。

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築地市場に門司からの鮮魚列車が直行していたことなど、どれも懐かしく見入ってしまいました。

代わって常設展示場は撮影OK。入るとすぐ、1/80の鉄道模型他で解説が。

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貨物ターミナルのジオラマが楽しい。鉄道はNゲージですが、コンテナを牽いたDLが前後していました。

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鉄道貨物ターミナルの横はトラックターミナルにはトラックが出入りしています。その奥はコンテナターミナル。コンテナ船の積み下ろしが見られます。その奥は空港。航空貨物の取り扱いが展開されています。

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この博物館、なんとシニアの入場料は100円。公益財団法人 利用運送振興会なる法人が営んでいたのです。企画展は1月21日までです。年末年始は休館が続きますが、都合を付けて見学されては如何でしょうか。

 

2023年11月23日 (木)

南新宿の思い出

前回の「南新宿で」に頂いた、この地に思い出のある方々からのコメントに嬉しく思い、それならと調子に乗って記録を辿ってみました。

最初は1968(昭和43)年5月の夕方近く。現在解体中の小田急百貨店ビルを背後に「あしがら」が新宿1号踏切に差し掛かります。NSEはまだ冷房強化工事施行前で、屋根上がすっきりしていた時代です。

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この時はNSE(3100形)よりNHE(2600形)のこの色を狙っていたと思います。

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NHEは各停に投入されることが主だったので、待てば出会える。何気なく撮った南新宿での1コマから、当時の状況が蘇るようです。

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新宿1号踏切には踏切保安掛が常駐、迫り来る列車に振っている旗が確認できますが、これも古の思い出。

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続いて1969(昭和44)年の記録。地下ホームから出て来たのは3両編成の4000形ですよ。大都会のターミナルに3両編成が発着していたなんて。左側の貨物ホームには1300形が停車中です。

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この年の積雪は2月ではなく3月だったのですね。吊り掛け式駆動のABF車も優等列車で活躍していたのです。1600形×4を先頭にした8両編成が、小田急本社ビルと山野ホールの間を新宿に向かいます。

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後は1900形でした。大きくカーブしたホームは前後を踏切に挟まれ、大型6両編成(2600形)は上下列車とも先頭車両はドア締め切りでした。

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時を経て1973(昭和48)年7月、長編成化のための新宿駅改良工事たけなわ。地下ホームは閉鎖され、地上3線で全ての列車折り返しを行っていたときでした。地下線アプローチを長くとるため、路盤の掘り下げが行われています。

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同時に新・南新宿駅設置工事が進みますが、7月時点ではまだホームの基礎工事。

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2か月後の9月になってホームのコンクリート板が置かれ始めました。

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それから3カ月で完成するとは、早いものですよね。12月21日に新駅移転となりますが、その5日に前南新宿駅下りホームから撮った写真。こちらに向かって来る列車の位置に、新駅が確認できます。

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この日は日没後でしたが、フィルムをトライXにして奮闘していました。小田急本社ビル向かいの南新宿駅舎。当時は代々木八幡や代々木上原、東北沢などと似た、昭和の高度成長期に造られた鉄筋コンクリート製でした。改札口と出札窓口外の自動券売機があった時代だったのですね。

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駅舎左の壁面に、移転のお知らせが掲示されていました。

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小田急本社ビル前の新宿2号踏切から、その構内を記録しておきました。右が下りホームです。

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踏切を渡って下りホーム方から上りホームを。右手前には踏切保安掛が常駐していたのです。

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最後に上りホーム先端から参宮橋方向を。

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こうしてみると、ついこの前のことと思っていても、半世紀前と言う時代はいろいろな意味で今とは格段の差があるものだと、再認識させられてしまいます。

 

最後に新・南新宿駅での思い出を。1999(平成11)年7月16日、この日で引退となる3100形NSEの最終列車を撮りに行きました。

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振り返って後追いを1枚。下りホーム最後部の危ない所で撮っていた輩が居たのですね。黄色い線どころか白線まで超えて。

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オマケは今の南新宿駅を。10両編成対応のホーム幅は狭いものの、全体に上屋が設けられた姿になっているのです。

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上りホームから下り列車を撮ると、背後は山野ホールのガラス張り外壁が。

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駅舎は線路下に慎ましくです。

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南新宿、つい調子に乗ってしまいましたが悪しからず。

 

2023年5月 9日 (火)

青梅電気鉄道の香り

今のJR青梅線は、戦時買収によって国有化された路線です。前身は青梅電気鉄道。

762mm軌間で1894(明治27)年、前身の青梅鉄道による立川-青梅間の開業を発端に、路線延長と1908(明治41)年の1,067mm軌間への改軌、1920(大正9)年二俣尾への延伸などを経て1923(大正12)年に直流1,200Vで電化。

1929(昭和4)年に青梅電気鉄道と社名変更とともに御嶽まで延伸の後、1930(昭和5)年に直流1,500Vへ昇圧した、当時は奥多摩で採掘される石灰石輸送を担う私鉄でした。

好天に恵まれたこの日、拝島から乗ったE233系の運転室背後から前方を見ていると、地図上では理解していたつもりでも、青梅線の線路が直線で敷設されていたことに改めて驚きです。

そしてさらに、左側の架線柱形状に目が止まりました。

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羽村-小作間だったと思います。三角柱状の鉄柱ではありませんか! 

念のため帰路、反対側からも再確認しました。右側の架線柱です。間違いなく三角柱状です。

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機会を作って鉄柱に表示されているであろう設置年を確認しなければなりませんが、恐らく青梅電気鉄道が設置した当時のモノだとと思われます。

因みに青梅駅舎は鉄筋コンクリート製の古風な佇まいですが、青梅電気鉄道前身の青梅鉄道が本社ビルとして使用することも企図して1924(大正13)年に建てたものだと言うことです。

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駅舎ビルが来年で100年。その前の年の1923(大正12)年に電化されているので、架線柱は100年を超えて現役だったということになります。

本社ビルも架線柱も立派なものだった青梅電気鉄道。戦時買収が無かったら、どんな魅力的な私鉄になっていたでしょうか。

 

2023年1月11日 (水)

あざみ野の光景

1月9日の「モハメイドペーパーの何が出てくるか2」では、あざみ野駅南方に架かる赤田平成橋からの画像が掲載されていました。そこで勝手にコラボレーションです。

架線柱を兼ねた高圧線支柱の最上部を入れて撮ろうとされたようでしたが、OER3001氏も同じことをやっていました。しかもモハメイドペーパーさまがここで撮るきっかけとなったメトロ8000系です。

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上の列車がここ(赤田平成橋)に迫った時にはカメラを横位置にして。

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大井町線用の6000系、後から3両目のQシート車もしっかり収められていました。

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因みに2020年12月に撮っていた中には、東急路線と思えない光景もありました。上下線とも東武の車両ではありませんか。

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撮りやすそうなこの場所ですが、結構架線柱を引っ張るワイヤーなどを避ける気遣いも必要で、後ろを行き交うクルマへの注意も欠かせません。

因みに、ここの高圧線にはこんな表示板が掲げられていました。東京電力市ヶ尾線と言うのだそうです。

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支柱の所有者は東京電力、東急電鉄、何れの所有なのでしょうね? 

細かいことを言えば、支柱所有者が東京電力だったとしたら、用地使用料を東急電鉄に支払うのでしょう。一方東急電鉄も架線柱としての使用量を東京電力に支払う。

支柱全部が東急電鉄の財産で有れば、東京電力が借用料を支払うだけ。あ~面倒臭い。

 

 

2022年12月 5日 (月)

架線見学

遊園地はとっくに閉園されて無いのに、駅名は“向ケ丘遊園”のまま。ギャンブレル屋根*の北口駅舎と共にレールで作られた跨線橋は、今となっては貴重なもの。昭和の歴史を伝えてくれるので好きな駅です。

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高架複々線化されて、跨線橋というものも随分少なくなった感じがしますが、電車の屋根上を観察するには無くてはならない施設です。

が、今回は鉄道施設の観察。上下線の架線ビーム上に架けられた太い2本の電線が、パンタグラフが接触するトロリー線に電力を供給する“饋電線”です。英語だとfeeder、模型と同じですね。

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跨線橋からだとその饋電線を間近に見られます。上下線とも2本の電線が使われ、大量輸送区間の設備であることが実感できます。

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鋼心アルミより線(ACSR:Aluminum Conductor Steel Reimforced)に代表される複合アルミ電線が使われているらしい。中心に亜鉛メッキ鋼より線、外周に硬アルミより線という構造のようです。

P311(一社) 電線総合技術センター電線の基礎知識より引用

 

ちょうど、この駅で折り返す東京メトロの車両が入線して来ました。

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こうして電線にまで興味を持って鉄道を見ると、鉄道資産が如何に大きな資本がを必要とするものなのかが実感できます。

模型で考えてみれば、レイアウトに必要な電線やプラグがどれだけ必要なのか。レールの必要本数は直ぐ考えられても、電線の必要長さや収納スペースについては中々頭が回らないという現実も(涙)。

 

*小田急電鉄社史などで称されているマンサード屋根とは、左図のように4方向に向けて2段階に勾配がきつくなる「外側四面寄棟二段勾配屋根」、対してギャンブレル屋根は「二面切妻二段勾配屋根」のことだそうです。

Th Photo_20221130180501Wikipediaより引用)

  従って、向ヶ丘遊園駅舎はギャンブレル屋根と言うことになります。

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2022年11月25日 (金)

レールの架線柱

架線柱には木柱、コンクリート柱、鉄柱、鋼管柱、鉄塔などがありますが、秩父鉄道ではレールの架線柱が多く使われています。鉄柱と言えば鉄柱ですが。

これは武州日野-白久間にある『道の駅 あらかわ』前の踏切横のもの。あまりに青い空とのコントラストが奇麗でした。

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踏切の柵に邪魔されて、下部が見えないので角度を変えて。レールを背中合わせにはんだ付け、いや違う、金具で締め付けて固定し、下方を逆Yに広げて埋め込んでいます。

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電気鉄道の「架空電車線方式」の教本のように、トロリ線と吊架線で吊したシンプルカテナリー式の架線に加え、標準で250 mごとに饋電線からトロリ線に接続される饋電分岐線、付帯電力の高圧配電線がしっかり張られていました。

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鉄道模型でこれらを全て取り入れることなどできませんが、「柱を立てただけ」のレイアウトでは悲しいですね。基本的な知識を理解したうえで、模型化したいものです。

 

2021年4月24日 (土)

貸付財産票

「まん延防止等重点措置」発令中の、やむを得ない都心への外出の帰路は、混んだ電車に乗ることを避け、座席指定料金410円を支払うことにしました。

座席はいつものようにスマホで1号車5D席を購入。ホームで到着を待つ間に斯様な撮影をしていたら・・・。

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1・2番ホーム先端の柱にこんな表示が!

「貸付財産票」、京王線新宿駅の乗降場として2,124平方メートルが、昭和63年3月8日以来東日本旅客鉄道から貸し付けられていたということを示す内容です。

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なるほど、思えばあの戦争で東京が壊滅的被害を受けたとき、それまで“甲州街道上を進んで来た京王線”はと言うより、京王線の始点は国鉄を越えて新宿御苑手前の追分だったのを、急遽国鉄駅隣の小田急駅の西側に設けたのがことの起こりだったと言うことを思い出しました。京王の用地では無くずっと国鉄から貸し付けられていたのですね。

そこで今は、5000系を迎えます。

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橋本行き“京王ライナー35号”となるこれで、密を避けてのゆったり帰宅でした。

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すっかり快適な座席指定列車まで走るようになった京王線、OER3001氏には地上駅時代の板張りホームから、14m小型車に乗った頃の想い出が蘇ってきました。

 

2021年4月21日 (水)

新ホームドア

目的地の市ヶ谷は、いつもホームから見える堀の景色に癒やされます。若しかしてホームドア設置後に降りたのは、この日が初めてだったかも知れません。時間的にゆとりがあったのでつい、下校時の光景に視線が。ちょうど大妻学園の生徒達の下校時刻だったようです。

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そこで、大妻学園の生徒さんにもご協力頂き、ガラス扉ではなくガードだけと軽量化された新型ホームドアの様子を観察してみました。

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電車が到着すると、従来のガラス扉同様に左右に開き始めます。

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ホームドアが完全に開いたところで、車両側のドアを開きます。

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開いた状態はご覧の通り。

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乗り越えようとする輩はガラス扉でもなんでも乗り越えるでしょうが、これで充分なのでは無いでしょうかね。ホームから車両写真を撮ることが少なくない身には、柵の間からカメラを構えれば低アングルの撮影も可能なこのタイプを歓迎します。

 

 

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