天袋の奥から、こんなものが出てきました。「平行 切換ポイント右左」とゴム印が押された馬糞紙のような紙箱。
丁寧に開けてみると・・・、ガラレールの平行ポイント。大事にして遊んでいた小学生低学年時代を思い出しました。
手動切換てこ1器が付いていて、真鍮線で連動しています。中央レールはコレクター集電ですから、分岐する箇所でショートしないように絶縁されていますが、その絶縁体はどうも竹材のようです。
ところが、反対側の絶縁材は赤く示したように剝がれていました。そう言えば、ここで車両が止まってしまい、原因が判らず落ち込んでいたことがあったような・・・。
さてさて、こんな歴史的に貴重なものが見つかってしまいましたが、この先どうしましょうね。
詐欺に遇い、多大な損賠を被ることになった我が身の愚かさに落胆しています。立ち直るには相当な時間がかかりそうですが、まずは日常を取り戻そうと。
PC画面いっぱいの「ウイルス感染」との表示は、一種の「広告」だったようです。恐喝広告を強制的に表示させ、電話を掛けさせる。その上でPCをリモート操作するという手口。一旦嵌るとなかなか抜け出せないものですね。冷静に考えれば何度も抜け出す機会はあったはずなのに、巧妙な手口に腹が立つばかりです。
で、おそらくOER3001氏のPCは、ウイルスには感染していないのでしょうが、不安な気持ちが落ち着かないのでPCも買い換えました。そのためデーターやアプリの移行がまだ終えず、不便な状況が続いています。
そんな中で気分転換。小学4年生の夏休みに作った“保存機”が出土しました。
運転室を中央に構えた凸型ディーゼル機関車。前後の機関室(?)の長さが異なります。
長い方は取り外し式で、中には単三電池が収まるようになっていました。この車体は白ボールで作っていて、裏側は何の処理もなされていない“素”です。
台枠というか床板というか、蒲鉾の板をそのまま使っています。
それに糸鋸でガリガリゴリゴリと、一生懸命穴を開けた痕跡が生々しく残っています。キャブ裏側にマブチモーターを付け、DT16台車の片軸にウォームギアで伝導しようと試みていたのでした。
3線式Oゲージで遊んでいた時代なので、単三電池で動かすにも床下に方向切り替えスイッチを設ける必要がありました。面倒臭い配線を良くやったものですね。
連結器のパーツが凄い。復元ばねが仕込まれたパーツ、お小遣い握って自転車漕いで、太子堂にあった北沢教材社で買ってきたものだったと思います。
冒頭の画像で確認できる前照灯は、水彩絵の具のキャップをセメダインで接着しただけ。小学生が当時持てる知恵と技術を集積して製作した筈の一品、今更何の価値もないとはいえ、どうしても捨てられませんね。
雲行きが怪しいので塗装は諦めざるを得ません。
だからと言って、お絵描きばかりと言うわけには行かず、先ずはこれを切り出してみました。手描き図面のコピーを厚紙にスプレー糊で貼り付け、それをガイドに1㎜小さめに切り抜きます。
この周囲に厚紙を巻いてみて、展開寸法を算出しました。机上の計算とは、ペーパールーフとする板紙の厚みによって、机上の計算とは微妙に異なり、166㎜となりました。
それが算出されたら、早速罫書きに入ります。久しぶり、ホント30年ぶりでしょうか、1/45は流石に大きい! 30㎝の定規では誤差が出そうなので、途中で画像の60㎝の定規を買いに行く始末。モノが大きいとは言え、老眼鏡が無ければ正確な罫書きはできません。
車体の罫書きは直ぐ終わるので、窓抜きを始めてしまいました。
だがしかし、R部を抜く彫刻刀の種類がいつもと違う! 幸い手持ちの彫刻刀で間に合い、側扉上部は4.5㎜、戸袋窓、側窓は3㎜としました。
それにしても、フリー客車の設計したかと思えばSBBの資料見て嵌まり。一夜明ければ0番製作開始なんて、一体どうなっているのでしょうね。
0番運転会の後遺症も10回を数えるまでに至ってしまいましたが、これで最後にしたいと思います。
ちょうど当時は、湘南電車に新型車両が投入され始めた時代、即ち80系から153系“東海型”への置き換えが開始された時代でした。そこで“東海型”に似せた新型電車が発売され、遂に買って貰うことができたのは、おそらく1959(昭和34)年か1960(昭和35)年、小学校3年生か4年生の時だったかと思います。
“東海型”を意識したのかどうか判りませんが、おでこから窓下になった2灯の前照灯とDT23型台車が、新型であることを主張していたようです。しかし側面は3扉、ドア間に狭幅4枚窓ではイマイチです。
少年向けの模型と言うより玩具として設計されたからなのか、“湘南電車”に比べて相当手抜きされた感じです。窓セルは省略され、おでこの表示も窓は無し。床下機器は一切無く、連結器も胴受けは無く箱状のポケットに入っただけです。
それでも新型電車として、少年の夢を膨らませていた存在だったのです。
さて、これまで10回にわたり続けてきた「0番運転会の後遺症」も、漸く治まってきたようです。鉄道模型を趣味とする以上、様々な大きさの模型をマイペースで楽しんで行きたいと思います。
ボギー軽量客車「ホハ10」の牽引には、たった2軸のEB58型電気機関車では不釣り合いを感じて、父にねだって一回り大きいED58型電気機関車を入手したようです。
良く観察すればこのED58、前頭部のプレスパーツはEB58と全く同じもの、胴体部分のみ長いパーツとしたものです。胴体が延長されたことから、屋根上モニターも明かり取り窓が4つになったものになっています。ただ、胴体の側窓と前頭部の側窓の高さが揃っていないことに気付いたら、気になって気になって。
牽引力はと言うと、動力はEB58同様の片側台車の2軸のみ駆動ということでほぼ変らず。インサイドギアとなったことから多少空転防止効果があるかも知れませんが、残念ながら手持ち車両を繋げての牽引力試験はしていないので、本当のことは判りません。
3線式はもういい! と聞こえるようですが、後遺症はなかなか治まりません。
EB58型電気機関車に2軸客車や貨車を繋いで遊んでいるだけでは飽き足らず、遂にボギー客車を買って貰いました。箱には「ホハ10」とゴム印が押されています。
当時、登場間もなくの10系軽量客車のナハ10をショーティーにしていますが、ありそうで無い塗色が面白いです。前回取り上げた2軸客車より簡素な貫通路、幌枠も省略されていますが、フォルムはまずまずかと。
窓が吹き抜けなのは当時は当たり前。台車はTR40の軸距短縮タイプのような、粗いソフトメタル様で、ブリキプレスの枕梁をに止められています。車輪はプラ製なので、このまま2線式でも走れそうです。
この「ホハ10」は1両しか無いのが残念ですが、ボギー車ということで大いに満足していました。
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