鉄道(国鉄・JR)

2021年3月 3日 (水)

踏切で電車を

年に数回、仕事で訪れる湘南は辻堂。いつもの通り小田急で藤沢へ。そこから一駅はこの電車で。

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ところが今回は約束時間を間違えて、なんと1時間の早着。いやはや遅刻で無くて何よりでした。1時間の過ごし方に迷いはありません。日頃から気になっていた踏切まで15分ほど歩いて見ました。

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この踏切、「辻堂踏切」と言うのだそうで、前々コマ藤沢駅に東京起点51㎞のキロポストがあり、辻堂駅のキロ程は54.8㎞ですから、1㎞ほど藤沢方向に戻った場所となります。

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この踏切海側の鉄道用地柵は古いPC枕木です。これレイアウトにも参考になります。

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光線状態もよろしいので、ここで暫し撮影としました。いつも携帯しているコンデジです。先ずは「快速・高崎線内普通」のE231系が。

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次は「快速・上野東京ライン」のE231系。

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走る去る後ろも撮ったら、こちらはE233系、残念ながら表示は切れて解読不能。

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今度はまたまたE231系で「高崎線直通」。

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踏切に迫り来るE233系を狙って退散としました。

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特急や貨物を期待したのですが、この時間内では残念ながら撮ることが出来ませんでした。

 

 

2021年3月 1日 (月)

今日の一枚 No.101

「今日の一枚」シリーズも101回目となったことから101系を。

もとより国鉄の電車にはあまり興味がわかず、真剣に撮ったことはあまり記憶にないのですが・・・、ありました。しかも101系元祖のオレンジとカナリヤ両方が収まっていました。

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若しかしてここ、モハメイドペーパーさまのお膝元だったかも知れません。

 

2021年2月 6日 (土)

今日の一枚 No.98

暑かった1970年7月17日の夕方でした。

昭和10年 川崎車輌

昭和25年 大井工場 更新修繕-Ⅰ

昭和31年 日本車輌 更新修繕-Ⅱ

とプレートを重ねた日本国有鉄道の車両に目が釘付けになりました。 

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国分寺駅4番線に停車していたのはパンタを下ろしたクモハ400074。国分寺ー東京競馬場前5.6キロの下川原下河原線専用の車両となっていたのだが・・・。

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残念ながら一度も乗ることなく、下川原下河原線は1973年4月に廃止となってしまいました。

この日、鉄道労働科学研究所からの帰りでした。 人間工学を学んでいた学生時代、大学の研究室から実習先として2週間の“通勤”をしたことも懐かしい想い出です。

 

 

2021年1月20日 (水)

平駅での想い出

前々回、日本初のディーゼル特急“はつかり”について触れた序でに、平駅での想い出をご紹介しましょう。

時は1966(昭和41)年3月と思われます。 前日から湯本温泉に一泊、湯本駅からこのED7539号機牽く下り普通列車に乗車したようです。

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なぜ平に行ったのか、その理由はわかりませんが、OER3001氏には素晴らしい時間となりました。 向こうのホームには交直両用の453系が停車していました。 別のコマからクモハ453-4と判読できました。

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サボは「ときわ」、この時は「準急」でした。

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手前のホームには下り普通列車の客車が停車中。 側線で待機していた仙台機関区所属のC6010号機が連結作業に入りました。

C6010

停車していた客車にゆっくりと連結、発車に向けて投炭真っ只中なのでしょう、どんどん黒煙が上がってきました。

C60

東京生まれの少年にとって、ここには見慣れない鉄道の魅力が広がっていました。 この翌年、平機関区にC62を訪ねることになってしまうのでした。

 

 

2021年1月18日 (月)

日本初のディーゼル特急列車“はつかり”

特急“はつかり”、キハ81現役時代の走行を撮った唯一の写真がこれ。 中学卒業の春休みだったような記憶ですが、父親が親族の墓地を訪ねるのに同行、平駅に架かる跨線橋から、通り過ぎた上野行きをCanon-demiで撮っていました。

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こちらに向かって来る姿も撮っていましたが、この金網越しでは残念です。

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1966(昭和41)年当時の平駅、構内には煙が漂っていました。 常磐線はC60やC62、磐越東線のD60、入れ替えのC50などが元気だった時代です。

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その平駅の姿も撮ってありましたが、ハーフサイズフィルムのスキャニングで、上部が切れてしまいました。 おそらくボンネット型だったと推測されるバスの後ろ姿、トヨタのワゴン車が懐かしい。

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平市が近隣市町村との合併でいわき市となるのは、この年の10月1日。 平駅のいわき駅への駅名変更は1994年12月のことでした。

 

 

2021年1月17日 (日)

国鉄青梅線

初めて国鉄青梅線に乗ったのは中学生だった1964(昭和39)年だったような気がします。 同じフィルムには、青梅鉄道公園と一緒に、奥多摩湖が写っていました。 今になって考えれば、その両方を一日とは、結構な強行軍だったようです。

これは青梅駅での撮影と思われます。 背後のビルは現存する駅ビルですね。

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プラットホーム先端へ移動して、留置線の電車も撮っていました。 中央は前のコマからクモハ11248と判断できますが、その他は不明です。

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小河内ダムを見学した帰りに撮っていた中に何と、氷川(現・奥多摩)駅で撮ったと思われるED27 13がありました。 南武鉄道が1928-29(昭和3-4)年に製造した1001形の1両だったのですね。 もっと良く見ておくべきでした。

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それにしてもこれら青梅線の記録写真を見て、半世紀後の今でもあまり風景が変わっていないことに感激します。 国鉄青梅線、いやJRになっても、青梅電鉄の香りが残っているような気がします。 

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「関東の駅100選」に選ばれている奥多摩駅(2007年7月撮影)が、「また来い!」と呼んでいるようです。  デジタル化を終えた古い写真を見ていると、いろいろなことが思い出されます。

 

2020年12月30日 (水)

太宰ゆかりの地

三鷹市は“太宰治が生きたまち”だそうですが、“死んだまち”なのだそうです。

1948(昭和23)年6月13日に、愛人・山崎富栄北多摩郡三鷹町(現・三鷹市)の玉川上水で入水心中したそうですから。

と、そんなことはどうでも良いのですが、こんな案内板が立てられている跨線橋があります。

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折角なので登ってみます。 早速このような魅力的な視界が広がります。

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たしか、相当昔にもここに来ていたはず、と思って探索したら・・・、ありました。 国鉄に初めてのアルミ製車体の301系が登場したときの試乗会の帰りでした。 営団5000系と並んでいました。

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この光景、車両が全てステンレス車に変わっただけで、配線などの設備もほとんど変わっていないようです。 全てが10両編成になった今なのに、電車の停車位置が奥になっているわけは・・・、奥を延長しているのでしょうか?

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この跨線橋、斯様な格好ですが、残念なことに中央部には網がかけられていて撮影には不向きです。

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しかしこの日、ここから下を行く電車を捉えようとする若い女性が、本格的な一眼レフを構えていました。

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危ない危ない、太宰治が生きていたら・・・、彼女は声をかけられたかも知れませんよ。 太宰は結構な好色男子だったようですから。

 

 

 

2020年12月24日 (木)

今日の一枚 No.94

昨日掲載の「冬至」、辻堂駅での撮影を取り上げて、急に藤沢駅での想い出に戻ることにしました。

藤沢は小田急江ノ島線との接続駅で、小田急江ノ島線は東海道線をオーバークロスして藤沢駅に到着します。 JRの上を行く小田急とのツーショットは、何度か狙っているのですが、なかなかタイミングが合いません。

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この時は251系スーパービュー踊り子と辛うじて。 もう少し251系が手前に来てくれていたら良かったのですが、贅沢は言えません。

 

 

2020年12月20日 (日)

想い出の光景:12

東京駅と言えば、OER3001氏の世代にとっては鉄道界の総本山的なものです。 

花形列車が発着する駅であり、全ての列車はここから下り列車として出発して行きました。 中でも湘南電車と横須賀線は、黒や茶色(ぶどう色)の列車ばかりの中にあって、華やかな電車として憧れの的でした。

が、101系を皮切りに、新性能電車と言われる151系、153系、157系、そして111系などが登場すると、次第に陰を潜めていった80系と70系も、東京駅には姿を見せなくなって行きました。 1967(昭和42)年9月、丸の内のビル街を背景に、堂々80系の東京駅入線シーンを記録していました。

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そして横須賀線の70系も。 正面窓はHゴムではない木枠のバージョンです。

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この時、横須賀線がここに姿を見せなくなることなど、思ってもいませんでした。 東海道線に続き、横須賀線への111系投入が進んでいた頃でしたから。

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今日の東京駅は、東海道線もスルーしてしまう中間駅と化し、カメラを向けたくなる列車も少なくなってしまい残念に思います。

 

 

 

2020年12月16日 (水)

想い出の光景:11

トンネルから、前照灯の明かりが一つ見えました。

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顔を出してきたのはぶどう色のクモハ73、石巻行きの0721列車です。

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駅に停車した4両編成最後尾は、初めて見た気動車色のクハ79。 ちょっぴり興奮した記憶があります。

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全てハーフサイズのCanon DEMIで撮影のため甘いピントながら、1967年5月、高校の東北旅行での島巡り後、短い自由時間に急いだのはここ、仙石線松島海岸駅でした。 東日本大震災での被災もありますが、今は大きく変わっているようで、この光景は過去の想い出となってしまったようです。

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