鉄道(国鉄・JR)

2022年9月21日 (水)

東京駅1968

あのヨンサントウと言われたダイヤ改正直前の1968(昭和43)年8月12日の東京駅、時刻は13時30分頃と思われます。上野方から14番線に入線して来る「ひばり」。

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到着すると「ひばり」が手際よく外されます。

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そして「やまびこ」に交換。このヘッドマークは相当重いです。

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こうして、実際に持たせて貰ったので良く覚えています。

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15番線には新潟からの「とき」も到着。この当時の14-15番線ホームは日中、東北、上越方面への特急が発着していたものです。

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今この場所は、東北、上越、北陸新幹線のホームとなっていて、風景は大きく変わりました。

因みに、夢を見ているような想い出の光景にを着色してみました。そうそう、こんな感じだったと思います。

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54年前の記憶が戻ってきましたが、半世紀後はどう変わっているのでしょうか?

 

2022年9月11日 (日)

秩父へ

昨年夏のある日、こんなのを走らせて楽しんでいました。OER3001氏も音の出るC58 363を持っていたのです。

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そして翌日は、実物の撮影に。

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そして今日は、再び秩父鉄道へ出掛けています。どんな収穫が得られるでしょうか?

 

 

2022年9月10日 (土)

只見線

拝観料が必要な景色? ただ見せん!

と言う程景色が良い福島県・会津若松駅新潟県・小出駅までを結ぶ只見線(JR東日本)。

2011(平成23)年7月の豪雨災害によって、長らく不通となっていた会津川口-只見間27.6㎞が、紆余曲折を経て進められた復旧工事により、運転再開が10月1日と発表されました。6日に自治体関係者や報道陣向けの試乗会が会津川口-只見間で実施されたとのこと。その撮影に向かったOER3001氏の友人も何人か居たようです。

豪雨で流失した橋梁は第五(会津川口-本名)、第六(本名-会津越川)、第七(会津横田-会津大塩)只見川橋梁。第五只見川橋梁は2005(平成17)年夏に撮影していました。

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この時は会社の仲間との青春18きっぷを使っての“呑み鉄”旅行。小出から乗った列車は蒲生を出て暫く、第八只見川橋梁に差し掛かります。

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この先、本名で下車、5㎞あまり歩いて向かった民宿で一夜を過ごしました。

翌朝、民宿の親爺さんに早戸-会津宮下間までクルマで送って貰い、そこから会津宮下までの5㎞強、暑い中を歩いて歩いて得られた第三只見川橋梁の撮影でした。

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さてさて、10月1日の運転再開が待ち遠しいですが、再びここを歩く勇気と体力はありますかね。機会あれば再訪して見たいです。

 

2022年8月31日 (水)

約束時間までの合間に

曇天の夕刻からの懇親会まで20分程の時間があり、ここで時間調整となりました。斯様な場所での時間調整は全く苦になりません。

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折角なので、あのエンパイヤステートビル擬きのDocomoタワーを入れて撮りたくて、ワンフロア上がってみましたが・・・、ガラスフェンスにかかって電車が小さく写ってしまいます。

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電車はこの程度の大きさで収めたいのですが、Docomoタワーとのコラボレーションには無理があります。

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この場所での撮影、もう少し研究の余地がありそうですが、なかなかこのためだけに新宿まで出掛ける気にもならずです。

 

2022年8月24日 (水)

今日の一枚 No.145

前々回掲載の「旧型電気機関車」を撮った時、同時に登場後間もない301系電車も撮っていました。

国電初のアルミ車体ということで注目された301系、もちろん当時はアルミシルバーで、幕板部に中央・総武各駅停車の黄色い細帯が入り、青いJNRマークが2箇所に入れられたというスマートなものでした。方向膜は「東陽町」、東西線はまだ西船橋には至っていませんでした。

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OER3001氏は気に入っていた車両だったのですが、晩年は灰色に塗装されて帯色は東西線のブルーに変更。なんか清潔感が無くなって哀れに思えました。

 

2022年8月22日 (月)

旧型電気機関車

デッキ付きの旧型電気機関車には独特の風格を感じていました。一度、そのデッキに乗って風を感じてみたいなどと思っていましたが、それは叶うはずがありません。

Canon Demiで撮ったハーフサイズフィルムの中に、1967(昭和42)年9月17日の中野駅に進入して来る姿を捉えた2枚がありました。

デッキ手摺がナンバープレートの一部を邪魔していますが、これはEF10 23でしょうか。2軸貨車を連ねています。

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同じく2軸貨車を中心とした貨物を牽いてやって来たのはEF11 1でしょうか。中央線の貨物列車には、こうした旧型電気機関車が充当されていて、101系快速電車の間を縫って、頻繁に運行されていました。

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この当時は線路北側の道路から、線路の直ぐ近くまで寄ることができました。今はもちろん、立ち入ることができないようになっています。

 

 

2022年8月21日 (日)

今日の一枚 No.145

東海道新幹線と言えば、OER3001氏にとっては憧れの151系を東海道本線から追いやった憎い奴。開業時も「200㎞/hというスピード、一度は体験してみるか」と言った程度のもので、惚れることはありませんでした。

そう言えば開業当初は、花形特急電車の発着がなくなってしまった15番線の横に、発着する0系が眺められたものでした。

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ハーフサイズのフィルムにたった1枚、その姿が記録されていました。

 

2022年8月19日 (金)

大阪駅1967

我家にカメラが1台しか無かった時代は、父子で使い回すのは当たり前。35㎜ハーフサイズのCanon・Demiで撮ったフィルム、始めの数コマには、父が撮影したものがありました。その中に1967(昭和42)年9月の1コマも。

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大阪駅は10番線でしょうか? 停車しているのはDF50 43と確認できます。「おおさか」他の表示もホームの人影も、この時代の日常を伝えてくれます。

 

2022年8月14日 (日)

房総東線の夏

モハメイドペーパーさまのブログ「夏は海、昭和40年代の夏ダイヤ」を見て、その頃の記録を探してみました。1967(昭和42)年の海水浴に行った時の撮影がありました。この日は着いて直ぐ、海に入る前にまず撮影していたようで、房総東線は鵜原-上総興津間です。

キハ28先頭の急行「外房」、後方にキハ26と思われる車体が確認できますが、比較的揃った編成です。

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しかしこちらの急行「外房」では、2両目にキハ23らしき姿があるではないですか。

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上総興津方向から来た急行「そとうみ」は、キハ26が先頭でした。

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外房線と名を変える前の房総東線は、気動車王国でした。夏の多客期だからこそ、こんな編成もありました。先頭から2両はキハ35系、その後はキハ26を挟んでキハ28系が続きます。まるで有るだけの気動車を連結した鉄道模型のようです。

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キハ17はまだ大活躍の時代でした。キハ17ばかりを連結した6両編成は、なかなか魅力的でした。

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左に写っているのはきぬやまスカンクさん。ふたりでこうしてカメラ構えていても、列車接近時に片手を上げれば、警笛も鳴らされずに済んだ長閑な時代でした。

 

2022年8月13日 (土)

今日の一枚 No.144

久しぶりの「今日の一枚」は、26年前の今日撮影した“富士と富士”、牽くはEF66 53号機です。今日は台風8号の接近で、たとえブルトレが来たとしても、こんな撮影は叶いません。

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2年前にも類似画像を紹介していますが、今回の方がお顔に陽が差して明るいです。

この当時、これを撮りたくて何度も通いましたが、雲に邪魔されない富士山とのコラボレーションは難しいものでした。今は残念ながら、ここに出掛ける気も無くなってしまいました。

 

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