鉄道(国鉄・JR)

2026年4月17日 (金)

一枚の写真から

ぶどう色の客車で下校する制服の女子学生、どこを見ていたのだろう? たまにはこんな“ゲージュツ”作品を(ピンボケですが)。

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これは奇麗なDE10 25号機が5両のぶどう色客車を牽いて出発しようとしていた時の一コマでした。

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因みにこのDE10 25号機は、1968(昭和43)年に国鉄四国支社松山気動車区に新製配置されてから、1984(昭和59)年に高松運転所に転属、1986(昭和61)年に廃車となる、JRに引き継がれなかった機関車だったと。

懐かしい松山駅の思い出ですが、2024年に訪問した時は既に高架線に切り替えられた後。上の写真を撮ったその後の光景は、既にフェンスで閉鎖されて入場できませんでした。

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当時の気動車区側に建設された高架線を発着するのはDE10牽引の客車列車ではなく、青帯のステンレス製2両編成の電車でした。

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冒頭の女子高校生、今はどうしているのかな? 推定65歳前後の筈だから「高齢者」仲間入りですね。

 

 

2026年4月11日 (土)

C57激走 京阪100年号

このタイトルはなんだ? OER3001氏にしてはおかしいぞ。と思った方も多いことと思います。当然です。

「ぬか屋の徒然日記 別府鉄道」や「モハメイドペーパーの何が出てくるか 2.2 : 別府鉄道つながりで 」に端を発し、「ハフ5とDC302に会いに - 青春Mの鉄路回送 」に行きつきましたところ、青春Mさまとのコメントやり取りから表題の投稿をご紹介頂きました。

なんと、まだお会いしたことが無い方と50年前に、同じところで同じ日時に同じもの撮っていたという偶然。それならOER3001氏もコラボレーションさせて頂こうとお願いしてみたところご快諾頂いた次第。

物語は青春Mさま撮影の、この画像から始まります。ここにOER3001氏の姿は確認できませんが、この群衆と近い位置に居たことは間違いありません。

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先ず「にでん」ならぬ「ゆでん」クモユ141を撮られています。

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それ、これですよね。

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続いて485系「雷鳥」&103系ですが、103系はお顔が微かに。

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ここまで同じように撮っていたとなると、不思議なご縁を感じざるを得ません。

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EF65は84号機でしょうか、ヨの後にコキを連ねて。

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青春Mさまは見事な流し撮りをされていらっしゃいました。

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「ゆのくに」キター!

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OER3001氏もしっかり同じ「ゆのくに」を。

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当時はマンモスと言われていたEH10も大活躍でした。

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EH10に繋がる貨車のカタチからも、同じ列車を撮っていたことが証明されます。

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そんなことをしながら“本番”を迎えますが、フィルムカメラの時代ですから緊張してシャッター切ったことでしょう。

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OER3001氏もそうでした。先ずは遠くで捉え・・・、

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近づいてきたところでもう一枚。

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別のカメラでも。

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もう一枚。当時はズームレンズなど持っていなかったし、モードラも無く精々オートワインダーだったような。

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そして目前を通り過ぎたところでも。

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ホントにほぼ同じアングルではありませんか! 自転車を前にした男、とその後ろに並ぶ人々の姿から、間違いなく近かったのですね、カメラを構えていた場所が。

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本当に何とも不思議なご縁です。青春Mさま、これを期に何卒よろしくお願い致します。

 

2026年4月 5日 (日)

都心の光景

38年間務めた会社における、ある10年間程だったか一緒に過ごした仲間との“同窓会”(?)に出掛けた序で、OER3001氏にとってはは必須の“鉄活動”です。

好天に恵まれたので空を入れて。

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横断歩道を渡る人の波ははけたのに、新幹線と手前の京浜東北の位置がイマイチ。

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何分間か粘って、横断歩道も車道も一瞬の静けさを取り戻した時、す~っと通り過ぎてくれました。

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この後の宴会、誰々さんと誰々さんは亡くなった、そうそうあの時はああだったな、こうだったな、等など近況報告に加えて所謂シニアの話題に盛り上がるも、誰一人として暇な御仁は居らず、夫々の趣味生活を満喫している様子、流石です。

 

2026年3月22日 (日)

東経135度の地へ

JORC関西運転会と懇親会後は、神戸や大阪周辺の宿泊費が高いのでここまで移動。初めて宿泊する土地でした。明石ってあんまりホテル無いのですね。明石に泊まったからには明石に泊まった価値を最大限に活用します。

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キャッスルビューorトレインビューどちらを選択かって、そりゃトレインビューでしょ。ということで523号室に。これは翌朝5:34の撮影。東方の空には細~い月、まだ暗くてトレインがビューできません。

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が、日本標準時の場所である明石も6:00になればこの通り。523号室の窓からは東海道山陽本線(神戸線)と共に並行する山陽電鉄がバッチリですよ。

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こりゃゆっくりしてなど居られるか、と言うことで早々にチェックアウト。一応明石城址公園も確認しておきました。

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城址公園のお堀端を走るランナーを横目に駅に向かいます。駅前広場の時計は6:44を指していました。

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最初の目的は私鉄ファンとしては左程の興味は無かったのですが、JRで加古川へ向かいます。東日本では見られなくなった103系がまだ活躍しています。

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ほぼ1時間に1本しか無い西脇市行きの電車に乗ります。クモハ103-3554ってスカートに書いてあるのは好都合ですね。

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103系などと言う電車は、あまり好感は持てなかった車両ですが、相当手を加えられて、奇麗に使われているのですね。

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懐かしいMT55主電動機の音を聴きながら日岡、神野と過ぎて、加古川から7.4㎞、3駅目の厄神までは、1時間に1本の区間運転が設定されているようです。駅先には車両基地(網干総合車両所加古川派出所)がありますが、その右端を2008年3月までは、第三セクターの三木鉄道が走っていたのですね。

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厄神駅を出ると左にカーブ、一級河川の加古川を渡ります。これ「加古川橋梁」ではなく「第二加古川橋梁」だそうで、「加古川橋梁」は山陽本線の方だそうです。

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加古川を越えて右岸を進み、市場、小野町、を過ぎれば、神戸電鉄粟生線と北条鉄道との接続駅、粟生です。

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北条鉄道のフラワ2000形気動車にもお目に掛かれました。このカラーは廃止された三木鉄道から来たフラワ2000-3だったのですね。

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上り・加古川行きの列車が到着です。これを待って北条鉄道のフラワ2000-3は、左端のホームから出発します。

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これにてこの日の第一目的は達成。時刻は8時40分のことでした。

 

 

2026年3月20日 (金)

車窓を愉しむ

先日の好天に恵まれた関西行き、気が付けばずっと車窓を楽しんでしまいました。

先ずは小田原へ向かう小田急・急行の正面、第一菖蒲トンネル(492.9m)の上方には富士山が奇麗に。

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開成を過ぎて酒匂川に沿った直線区間からも富士山が見られます。

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東海道新幹線は“ひかり633号”の車窓、三島通過後は暫く眺められます。

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東名高速が並行するこの区間は“定番”ですね。

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名古屋では、JR在来線というかOER3001氏の世代にとっては“東海道本線”が寄り添って来ます。

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勿論この区間で期待するのは名鉄。パノラマカーは見られなくなって寂しいですが・・・。

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それでも特急車両に出会えれば良しとしましょうか。

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次に名鉄を見られるのは岐阜羽島。ダイヤ改正初日のこの日、名鉄竹鼻線、羽島線ではダイヤ乱れ発生でした。

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春の伊吹山を撮ったのは初めてだったかも知れません。

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米原を過ぎれば琵琶湖の東側を望みますが、琵琶湖は殆ど見られません。それでも交差する近江鉄道万葉かね線の線路と、雪をかぶった山は滋賀の名峰と言われる武奈ヶ岳(標高1214.4m )でしょうか。

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京都鉄道博物館を確認したかったのですが・・・、手前に列車が居て残念。

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阪急京都線との並走を楽しみにする大山崎付近では、サントリーのウイスキー蒸溜所を拝みます。

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その後は・・・、あっという間の出来事でしたが願いが叶いました。

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上牧辺りでは新名神高速道路の橋脚工事が進んでいます。

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50年前のこの地では、こんな撮影が出来たのですが、もう叶わなくなりました。

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新大阪に着いてみれば、やって来るのはこんなのばかり。

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いやそれにしても何と外国人が多くなったことか。まあ外貨を稼げるので良しとしなければなりませんが、構内歩くのにも苦労します。

 

2026年1月13日 (火)

157系の思い出

オークションで入手したカワイモデルの157系をレストアした序でに、暫し157系の思い出に浸りたくなりました。

高校生だった時代、東京駅でこの列車を見ました。発車までゆとりがある時間、よ~く観察していると、ヘッドマークは上部に蛍光灯が収まった“紙芝居”式、他の“紙”も収まっていることに気付き、乗務員氏にお願いしてみました。

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すると、気安く「いいよ」って応じてくださったのです。「急行伊豆」から「特急ひびき」への差し替えを。今では想像できないサービルぶり、国鉄職員さんおよび当時の企業風土、ファンのモラルなどにも感謝です。

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重ねて「向こう側のホームから撮りたいのですが、暫くこのままにしてくださいませんか?」お願いしたら、受け入れてくださったことで実現した“東京駅で発車を待つ特急ひびき”の雄姿を納めること。

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AIでカラー化なんて言うアプリケーションソフトで着色してみましたが、中央部の黄ばみが修正できないのが残念です。

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1964年の東海道新幹線開業と共に消えた「特急ひびき」は撮影できずにいましたが、3年経ってもヘッドマークは健在でした。

 

時は過ぎて1968年、東京駅で捉えたのは信越本線・中軽井沢に向かう臨時特急「そよかぜ」でした。ヘッドマークは蛍光灯照明が無い明るいブルー(みずいろ)の“板”に変わっていました。横軽対策・耐寒耐雪改造された上で実現したとのことです。

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本来、“国電”にはあまり興味が湧かなかったOER3001氏なのですが、高度成長時代の国鉄にはそれなりに憧れていたようです。

2025年12月14日 (日)

103万アクセス到達記念で国鉄103系を

拙ブログの総アクセス数、100万到達後さほど注意していなかったのですが、103万を越えました。それが別にどうと言うことではないのですが、記事ネタが無い時はそれを利用して・・・。

1967(昭和42)年の山手(やまて)線の神田駅ホームにて撮影。

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この時代はまだ、山手線ではカナリヤ色の101系も活躍していました。

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OER3001氏は労働争議に明け暮れる国鉄にはあまり興味なかったので、国鉄電車の撮影は殆ど無く103系を探すのも難儀ながら、池袋電車区で初の冷房試験車両を見学していました。

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同じ年の晩秋、地下鉄9号線(営団千代田線)乗り入れ用の1000番台が入線と言うので、松戸電車区に行きました。

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今は亡き、国鉄職員のWさんのお計らいで実現した池袋電車区と松戸電車区への訪問、貴重な思い出となりました。

 

2025年8月 4日 (月)

鉄道フェスタ2025@野毛地区センター-1

今年も野毛地区センター(横浜市中区)、夏の恒例行事!鉄道模型運転会に協力させて頂きました。先ずはその第一報を。

設営準備日は台風9号接近の8月1日。14時からの会場設営を前に、風速5~6メートル程の風はあるも晴れていた午前中に愛車に積み込みました。

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現地到着時はもの凄い勢いの降雨に見舞われるも、止んでからの荷下ろしが出来ました。

会場にテーブルを並べる所から作業開始、15時20分頃にはこんな状況。

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協力頂くNゲージチームは卓球台を利用し、3人が養生シートの上に線路を敷いています。

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Nゲージは右端、16番が中央に展開し、それぞれが用意した図面に基づき線路をセットします。

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組みあがったレイアウトの線路を磨き、制御系電源の試験、調整を経て、試運転ができるようになったのは17時過ぎでした。

1号機関車の編成は横浜にぴったり。

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“前夜祭”までの1時間半ほどは、各自が持ち込んだ車両の走行試験でした。OER3001氏はフリー大会(?)と相成りました。

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ED58(鉄道模型社製レストア)にはペーパー自作の欧風客車編成を牽かせます。

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カツミ製(製造はエンドウ)ED100改造のED61にはペーパー自作の10系軽量客車ショーティーを。

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最新のED65-500(カツミ製ED100改造)は長距離特急型中型客車編成を。

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メンバーの皆さんはこのED65-500を“大井川”と呼び、タイムリーな題材となりました。

 

 

2025年7月15日 (火)

7月15日ということで

こんな画像がありました、EF70 15。小松駅で撮っていたものです。首都圏で育った身には、交流60Hzの電化区間は縁遠い存在なので、カツミ製品で見慣れた原型に出合えて嬉しかったことを思い出します。

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一方35年前の今日は、白いタキシードボディと言われた651系のブルーリボン賞授賞式が執り行われた日でした。

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勝田電車区(現・勝田車両センター)での撮影会では、現役だった455系や481系との並びをセットして頂けました。

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これら3形式の車両たちも既に全員(全車)引退していますね。

 

2025年7月13日 (日)

池袋でみちくさ

夕刻には名古屋からの友人らと新橋での会食の約束があった7月10日、時間まで池袋で道草となりました。

先ずは電車が並ぶこのビルへ。

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みちくさの最初は「ギャラリー路草」、この日から開催となった第32回 鉄研三田会写真展です。

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15時過ぎ、OB氏がテーブルで談話しています。

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順路に沿って一枚一枚、ゆっくり鑑賞することができました。

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玉電の風景や八山橋の鉄橋を渡る京急を上方から狙うなど、印象的な作品でした。

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あの方はタイでの作品。昔のではなく今年ですよ、行動力が凄いです。

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小田急の車両や明治の機関車の模型製作を楽しむ方も、雪原で北斗星を撮っていらしたようです。

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写真展を楽しんだ後の道草はこのビルのデッキへ。

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ちょうど、引き上げ線からラビューが特急ホームに入線するところでした。

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30000系の各停発車を撮って・・・。

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左を見れば、JR埼京線が発車したところです。雨になりそうな怪しい空模様だったおかげで、強烈な逆光にならずに済みました。

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曇天だったからこそ撮れるこのアングルも。

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スマホの西武アプリのお陰で、これが来るのを待ちました。

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そしてこの後の道草は、線路の反対側にある模型店へ。

ゆとりを持って新橋に移動したら、その後にあの凄いゲリラ豪雨。雨が止むまで会食と、結局持っていた折り畳み傘は開くことなく帰宅出来た次第でした。

 

 

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