鉄道(国鉄・JR)

2026年8月 1日 (土)

海老名・なつかしの鉄道

相模国分寺跡へ行ってみたのは、実は「海老名市温故館」訪問が目的でした。「海老名・なつかしの鉄道」が開催されていることを知ったから。

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海老名という地は、小田急の他には相鉄とJR相模線が集まります。特に相鉄と国鉄の歴史は複雑で。

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OER3001氏にとっても懐かしく思えるシーンが多く紹介されていました。

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OER3001氏は相鉄が小田急への乗り入れを中止した後からの記録、記憶しか無いのですが・

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写真と模型、一部実物資料などから構成されています。

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かなりの車種のNゲージ模型が、お名前は表示されていませんでしたが「個人所蔵」として展示されていました。

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非電化時代の国鉄もあります。

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会期は8月30日まで。まだ時間はあるなんて思っていると逃してしまいます。

 

 

2026年7月18日 (土)

東京駅での横須賀線

OER3001氏にとって「横須賀線」と言えば、“湘南電車の顔したクリームと濃紺の電車”でした。1960年前後のデパート(白木屋、東横、伊勢丹、松坂屋など)では、3線式Oゲージの“湘南電車”を“横須賀色”に塗った模型も売られていましたっけ。

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それが、“東海型”を3扉セミクロスシートにした111系に代って行く時代、東京駅の南端にハーフサイズカメラを持った高校生によって撮られていたのがこの光景。

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背後のビル、奥は東京都庁でしょうが、手前のビル名が思い出せない(涙)。日本航空の本社が入っていて、この10年程後に広報室の深田祐介さんに面会に行くことになるなんて、思いもしなかったことでした。「炎熱商人」を書いて大作家となった方とお話しできたこと、今でも忘れられません。そう言えばありました、この本。

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1982年5月に発行された初刊本、自室の鉄道関連書籍と共に大切に保管されていました。読み応えある素晴らしい内容、OER3001氏は文学にだって眼を向けていたのですよ。

 

2026年7月10日 (金)

並走の魅力

「小田急vs京王帝都」の並走を取り上げた結果、「並走」がお仲間のブログに“飛び火”してしまったようです。それも御一方ばかりでなく御二人目も現れました。

調子に乗って、撮りだめていた写真(全てデジタル化済みの筈)を探したら、まあ此処が一番撮りやすい場所でしょうね。原則として3線同時発車、同時到着のようですから。2800系が京都線特急で輝いていた時代もそうでした。

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この場所は今、バスタ新宿などが建ち並び、この時代に比べればだいぶ電車が見づらくなりました。この時は山の手線、いや「山手(やまて)線」外回りの103系と中央線各駅停車中野行のカナリヤ色101系が、新宿駅7・8番線に並んで到着でした。

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バリバリ働いていた現役時代、度重なる札幌への出張。仕事終えて千歳空港に向かう途中、苗穂で撮っていた寝台特急「北斗星」と183系気動車特急の「オホーツク」の並走。凄まじい重量感で通過して行きました。

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代わって近年ではこれ。横浜駅南方の帷子川を渡る京浜東北・根岸線のE233系と京浜急行1500系(1713編成)。これは結構成功率は低いようです。翌月に再トライしてみても叶いませんでしたから。

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同じ会社の複々線での並走を狙うのは安易ですが、やっぱり事業体が異なる路線の並走は一番難儀です。だから撮りたくなるのですよね。これなんかまさに「運」としか言い表せません。淡路島を背景に迫るJR貨物のEF210牽引のコンテナ列車と山陽電鉄・普通・須磨行の6000系。

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日頃何気なく目にする並走ですが、それを本気で狙おうとするとなかなか撮れない。まさに「運」でしょうけれど、何かの序でにまたやりたくなります。

2026年6月12日 (金)

総武快速線開業前日

相撲の街」に掲載した1972年の両国駅光景のフィルムは、鉄道開業100年となる年に開業した東京地下駅(現横須賀線ホーム)と、総武線快速線東京-津田沼間開業により、総武本線の起点が御茶ノ水から東京に変更、それまでの御茶ノ水-錦糸町間は支線となる前日の記録でした。

と言うこともあって、この日最後の運転だった101系による「快速」(中野-木更津)を津田沼駅南の跨線橋から撮っていました。

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幕張方に加速して行く後姿も撮っていましたが、駅周辺もまだ長閑な感じでした。

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この頃の津田沼駅、右のホームが未開業の快速線。下りホームをDC急行「水郷」が通過です。

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津田沼から上りの101系に乗るのですが、途中で快速線を行くDE10 126牽く貨物と遭遇。トラとかホキ800も連結されて、しかも未開業線路を走行だったなんて、今思えば不思議な列車です。

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通過する優等列車は、まだこちら側を走行していました。DC急行「そと房」と離合した此処は何処だったろう? 快速線には渡り線があります。

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7月だけに101系の側窓全開にして(2段上昇式の最大の魅力)、両国駅構内手前で地下に潜って行く快速線を確認しました。ず~っと観察しながらの帰宅だったようです。

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それにしても、フィルム代、現像代も気にしながらなので撮影コマ数も今に比べれば著しく少なくて残念ですが、その一コマ一コマが貴重な記録と思い出になります。

気にせずに撮りまくれるデジタルって、なんと素晴らしい世の中になったことか。

 

2026年6月 2日 (火)

品川界隈を歩く

大工事が進む品川駅に向かいました。暫く見なかった間に随分進んだのですね。

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目的は巨匠・広田尚敬氏の「鉄道写真」展、キヤノンギャラリーです。期間が長いからいつでも行かれるなんて思っていたら見逃します。

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港南口から南に歩くので、写真展の後は八山橋に行ってみました。現行トラス橋の右、高い位置に新トラス橋が架かりました。このトラス橋はカーブしているのですね、珍しい。

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北品川から来るこの光景も見納めになるでしょう。

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折角なので北品川駅へ。もう何年も経つのに、ここで京成電車に出会う違和感は消えません。

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北番場、南番場なんて言うのは相当昔のハナシ。今は新馬場。青物横丁と過ぎ、鮫洲で優等列車を退避します。地平の頃は対向列車の台車・床下を撮るのに適していたのに・・・。

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鮫洲の次、立会川では初めての下車でした。

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この区間は高架化に際し、用地が狭かったので地平上下線の左右に高架橋を建てたという珍しい(と思っているのはOER3001氏だけか?)工法。高架下の改札を抜けると昭和の香りが漂うアーケード「立会川 西商店街」。今度は夕刻に歩いてみたくなりました。

2026年5月13日 (水)

左沢線 最上川橋梁

出羽丘陵の南部に位置する標高1,984メートル月山(がっさん)を背景に、最上川橋梁を渡る左沢線上り列車。早朝から晴れていたこの日、7時5分頃に漸く念願の撮影が叶いました。

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松尾芭蕉 の「おくのほそ道:五月雨を あつめて早し 最上川」はあまりに有名ですが、その最上川に架かる左沢線の最上川橋梁もまた、歴史的価値の高いものなのです。そこで今回は列車より最上川橋梁をテーマに。

山形からの下り列車に乗ると、最上川は右岸から左岸に渡ることになります。

羽前長崎を発車すると、錬鉄製100ftの単線プラットトラス橋3連に掛かりますが、これは 九州鉄道・筑豊本線遠賀川橋梁を移設したものとのことです。(画像は上り列車)

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今回やっと、その最上川橋梁を飛び出す上り列車の姿を収められました。

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一方、左岸の南寒河江方は、東海道本線木曽川橋梁から移設された150ftの単線ダブルワーレントラス橋5連。姿としてはこちらの方が壮大に見えるので、冒頭に掲載した月山を背景にした画像を撮りたかったのでした。

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今回は左沢発の336D列車で、橋梁の「中」を見ることにして・・・、最初は画像(1)、(4)の単線ダブルワーレントラス橋に軽快に突入します。

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それを5基渡り終えると単線プラットトラス橋の3連に。

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これを渡り終える画像が画像(4)です。

この前方左側にある公共施設「ひまわり温泉ゆ・ら・ら」では、宮城県・山形県の鉄道模型同好者たちとの楽しい集まりが開催されていたのでした。

 

2026年5月11日 (月)

リニュアルされた青梅鉄道公園へ

天気に恵まれたこの日、体調を崩されたお客様対応とかでJR中央線ダイヤは乱れ、青梅駅で待ち合わせた友に会えたのは20分遅れだったか。約2年半の休業期間を経て3月21日にリニューアルオープンした、青梅鉄道公園見学が目的でした。

角の看板も奇麗になりました。

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2026年3月21日(土)リニューアルオープンと描かれたボードの主役はオレンジ色のクハ201。

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子どもの時から数回は訪れているところですが、あらためて入り口横に設置された石碑に目が行きました。

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石碑の裏には国鉄総裁が十河信二だった1962年(昭和37年)10月14日、国鉄鉄道開業90周年記念事業の一環として開設したものだったと言うことが記されていました。晴海埠頭での「鉄道博」と同じ年でした。

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今回のリニューアルで追加された展示車両は全部で3両。先ずは入口右横のED60 1号機。

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道路から見えるD51 452の横に、クハ201-1が。

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その並び、E10 2とC11 1の隣にはクモハ115-1030。

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代わって解体された車両はありませんでが、残念なことに記念館にあったパノラマ(最近はジオラマと呼んでいましたが)は解体。一言で言えば“廃車車両を並べただけ”で、鉄道の学びの施設ではありませんね。

2023年に行った際には記念館内に歴史的な車両の模型が展示されていました。その中に101系も、オレンジとイエローが連結されて。

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それが・・・、青梅駅改札前に置かれたガラスケースに、撤去されたパノラマ模型で走行していた1/80の103系、201系、E233系と共に収められていました。

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入場料500円はまあ良いとしても、何だかな~と言うのが正直な感想でした。

 

 

2026年4月17日 (金)

一枚の写真から

ぶどう色の客車で下校する制服の女子学生、どこを見ていたのだろう? たまにはこんな“ゲージュツ”作品を(ピンボケですが)。

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これは奇麗なDE10 25号機が5両のぶどう色客車を牽いて出発しようとしていた時の一コマでした。

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因みにこのDE10 25号機は、1968(昭和43)年に国鉄四国支社松山気動車区に新製配置されてから、1984(昭和59)年に高松運転所に転属、1986(昭和61)年に廃車となる、JRに引き継がれなかった機関車だったと。

懐かしい松山駅の思い出ですが、2024年に訪問した時は既に高架線に切り替えられた後。上の写真を撮ったその後の光景は、既にフェンスで閉鎖されて入場できませんでした。

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当時の気動車区側に建設された高架線を発着するのはDE10牽引の客車列車ではなく、青帯のステンレス製2両編成の電車でした。

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冒頭の女子高校生、今はどうしているのかな? 推定65歳前後の筈だから「高齢者」仲間入りですね。

 

 

2026年4月11日 (土)

C57激走 京阪100年号

このタイトルはなんだ? OER3001氏にしてはおかしいぞ。と思った方も多いことと思います。当然です。

「ぬか屋の徒然日記 別府鉄道」や「モハメイドペーパーの何が出てくるか 2.2 : 別府鉄道つながりで 」に端を発し、「ハフ5とDC302に会いに - 青春Mの鉄路回送 」に行きつきましたところ、青春Mさまとのコメントやり取りから表題の投稿をご紹介頂きました。

なんと、まだお会いしたことが無い方と50年前に、同じところで同じ日時に同じもの撮っていたという偶然。それならOER3001氏もコラボレーションさせて頂こうとお願いしてみたところご快諾頂いた次第。

物語は青春Mさま撮影の、この画像から始まります。ここにOER3001氏の姿は確認できませんが、この群衆と近い位置に居たことは間違いありません。

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先ず「にでん」ならぬ「ゆでん」クモユ141を撮られています。

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それ、これですよね。

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続いて485系「雷鳥」&103系ですが、103系はお顔が微かに。

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ここまで同じように撮っていたとなると、不思議なご縁を感じざるを得ません。

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EF65は84号機でしょうか、ヨの後にコキを連ねて。

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青春Mさまは見事な流し撮りをされていらっしゃいました。

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「ゆのくに」キター!

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OER3001氏もしっかり同じ「ゆのくに」を。

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当時はマンモスと言われていたEH10も大活躍でした。

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EH10に繋がる貨車のカタチからも、同じ列車を撮っていたことが証明されます。

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そんなことをしながら“本番”を迎えますが、フィルムカメラの時代ですから緊張してシャッター切ったことでしょう。

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OER3001氏もそうでした。先ずは遠くで捉え・・・、

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近づいてきたところでもう一枚。

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別のカメラでも。

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もう一枚。当時はズームレンズなど持っていなかったし、モードラも無く精々オートワインダーだったような。

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そして目前を通り過ぎたところでも。

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ホントにほぼ同じアングルではありませんか! 自転車を前にした男、とその後ろに並ぶ人々の姿から、間違いなく近かったのですね、カメラを構えていた場所が。

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本当に何とも不思議なご縁です。青春Mさま、これを期に何卒よろしくお願い致します。

 

2026年4月 5日 (日)

都心の光景

38年間務めた会社における、ある10年間程だったか一緒に過ごした仲間との“同窓会”(?)に出掛けた序で、OER3001氏にとってはは必須の“鉄活動”です。

好天に恵まれたので空を入れて。

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横断歩道を渡る人の波ははけたのに、新幹線と手前の京浜東北の位置がイマイチ。

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何分間か粘って、横断歩道も車道も一瞬の静けさを取り戻した時、す~っと通り過ぎてくれました。

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この後の宴会、誰々さんと誰々さんは亡くなった、そうそうあの時はああだったな、こうだったな、等など近況報告に加えて所謂シニアの話題に盛り上がるも、誰一人として暇な御仁は居らず、夫々の趣味生活を満喫している様子、流石です。

 

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