鉄道(国鉄・JR)

2021年10月14日 (木)

相模線電化直前

今、相模線100周年イベントが開催されていますが、全線電化となるのは1991(平成3)年のこと、今から30年前です。その歴史は今の相模鉄道の手により建設されつつも、複雑な経緯を経て国鉄線となりますが、電化はJRになってから。100年の歴史の7割は石炭や軽油などによる列車運行でした。

その非電化最後の鉄道記念日である1990(平成2)年10月14日、そう31年前の今日、二人の息子を連れて、橋本から茅ヶ崎への旅を楽しんでいました。

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所謂“相模線色”になったキハ35系の2両または4両編成でした。

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列車交換待ちの相武台下駅でのシーンですが、この時既に架線が張られていました。眠気を誘うディーゼルエンジンの音も懐かしく思い出します。

そして電化開業と同時に活躍を初めた205系500番台も、間もなく新鋭E-131系に置き換わろうとしています。

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205系を撮っておかねばなりませんね。

 

 

2021年10月13日 (水)

今日の一枚 No.132

東海道本線は湯河原駅を出て大きく左にカーブすると、湯河原温泉から流れる千歳川を越えて、東海道本線では丹那トンネルに次ぐ長さの泉越トンネルに入り、神奈川県を離れて静岡県入りとなります。

100キロポストは、その千歳川を越える橋梁上にあります。

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この時は背後に写る会社の保養所で一泊し、朝から上ってくるブルートレインの撮影に専念していました。

貫通路のステンレス製幌座がオレンジ色に塗りつぶされてしまったのは残念でしたが、大きな前照灯にパノラミックウインドウの低運転台153系の顔、大好きでした。

当時は何の障害も無く立ち入ることができたこの場所なのに・・・、当然今は立ち入ることはできません。

 

 

2021年10月 8日 (金)

今日の一枚 No.131

とあることから探していた1964(昭和39)年秋の画像。撮影月は9月だと推定されますが、上越線水上駅で、Canon-demiによる撮影です。

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父と温泉宿に一泊しての帰路、雨上がりでどんより垂れ込めた雲の下での1枚、画像ソフトで明るくしてみたのですが・・・、 ピントも甘く、ハーフサイズカメラということもあって細部が分かりづらいですが、EF15 28と読めました。

2021年10月 7日 (木)

思いがけない一瞬

この日はたまたま山手線内回り先頭車両に乗り、一番前のドア横に立ち、乗務員室仕切り背後に立つ乗客の間から、前方を眺めていました。

渋谷駅での乗降が終わり、間もなくドアが閉まろうとしているその時、普段見ることができないのが近付いて来るので咄嗟にホームに降り、素早くデジカメのスイッチを入れて、ギリギリ間に合いました。

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山手線ホーム拡張工事で、移設される新たな線路敷設が進行する背後、あっという間に通り過ぎて行きました。常にデジカメを手に持っていたことで、得した気分になれた一瞬の出来事でした。

2021年9月28日 (火)

八高線1968年-2

この日、八高線に行った目的は、終焉迫る蒸気機関車の活躍を記録することでした。気動車を撮った場所で待ち構えました。重連のD51が力強く近づいてきましたが、残念ながら煙で後方は隠れてしまいました。

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これを撮ってから高麗川駅に引き返す途中で、下り勾配を下ってくるD51重連が。

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石灰石を下ろしての回送だったのでしょうか、凄い迫力で下って行きました。

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電化された今、ここを走るのはステンレス車体VVVF制御の電車だけとなってしまいました。勿論こんな線路横に近付くこともできないでしょうね。

 

2021年9月27日 (月)

八高線1968年

9月19日に「想い出の光景:32」で八高線を取り上げたところ、長く懇意にしているぬか屋さまぼっちぼちさまがそれぞれコラボレーションしてくださりました。シニアの半世紀前は、日時は違うもののほぼ同じような場所に出掛けていたようです。

今回はその際には主目的でなかった気動車を。高麗川駅から南側の線路脇には、ずうっと畑が広がっていました。最初に目撃したのはキハ17の2連でした。先日もこの場所を特定したくて、送電鉄塔を便りに調査したのですが、あまりに開発されて景色が違い、特定できませんでした。

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国土地理院発行の1/25,000地図を頼りに、さらに南へ歩いて小高い場所を見付けて登ってみました。久邇カントリークラブの西側あたりだと思われます。前2両がキハ20か25、後ろ2両がキハ17でしょうか。

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この場所が気に入ったようで、結構撮っていました。次に撮っていたのはキハ35の2連、もしかしたらキハ36とキハ30だったのかも知れません。

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それにしてもこの辺り、変ってしまい今は線路脇に近づけないかも知れません。思えばこの時代は線路の犬走りを歩いて来れた時代でしたから・・・。

 

 

2021年9月19日 (日)

想い出の光景:32

八王子と高崎を結ぶことから名付けられた八高線、しかし正式には八王子-倉賀野間92.0㎞を結ぶ路線です。

OER3001氏が初めて八高線に乗ったのは、高崎の親戚宅に行く際に、通常は高崎線の80系で向かうところ、父親がたまには珍しいのに乗せてやると行って、多分キハ17に乗った時と思うので1960年代前半のことだと思います。

それが今では「八高線」とは言えど、八王子から高崎に直通する列車は無く、八高線の雰囲気を味合うには非電化区間の高麗川以北でなければなりません。

1968(昭和43)年3月に高麗川から南へ歩き、蒸機の撮影をしていました。

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この場所、高麗川駅からそう遠くは無い場所の筈なのですが・・・、すっかり開発が進んだ今は、残念ながらこの場所が特定できません。

 

2021年9月14日 (火)

総武線複々線化完成直前

9月12日掲載の“総武線複々線化工事の頃”(1971年)の翌年、1972(昭和47)年の記録がありました。東京~錦糸町間の開業によって、本格的に快速電車が走るようになる前日の記録です。

津田沼駅に、この日が最後の運行となる101系による木更津-中野の快速が千葉工科工業大学を横目に進入して来ます。

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全車非冷房が当たり前だった時代、101系の窓には全開の箇所も。

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101系快速が新装なった上りホームに停車。この光景はこの日が最後となりました。

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その後、快速線ホームに配給電車が。新設の幕張区への輪軸輸送なのでしょうか、先頭はクル29、021のようです。

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後部のクモル24、020と判読できます。

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この日の津田沼駅改札口、翌日の快速線開業に先立ち装飾されていました。

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駅前も複々線開通と祝賀ムード。OER3001氏はここから京成バスで大学へ向かいました。

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49年前の情景、今とは大違いでした。

 

 

 

2021年9月12日 (日)

総武線複々線化工事の頃

大学3年となった1971(昭和46)年、漸く講義時間も毎日9時からという日々から開放されたのでしょう。6月18日のフィルムにはこんな場面がありました。東武野田線船橋駅。

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旧型車を地下鉄日比谷線乗り入れの2000系のような車体で更新した3000系が主力でした。塗色はロイヤルベージュインターナショナルオレンジのツートンカラー時代でした。

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船橋駅の時計は12時15分を示していますが、この後には昨日取り上げたキユニ19の2コマを撮影しています。そしてその後が下の画像。

快速線線増のための改良工事が進む津田沼駅。上屋骨組みが進む新設ホームの右側に、津田沼折り返しの101系が停車しました。

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跨線橋から千葉方面を撮っているようです。左が1番線で千葉方面へ向かう下り線。向こうのクレーン右手は千葉工業大学と思われます。

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カメラをさらに右(西)へ振って撮っていました。上り線を西側に大きく振り、その間に快速線を入れたのでしょう。

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今になると、この時期にもっと撮って記録しておくべきだったと思いますが、小田急ファンにはもったいないフィルムの使い方だと思っていたのだから仕方ありません。

 

2021年9月11日 (土)

キユニ19

ひょんなことからキユニ19というのを思い出しました。

こてはし鉄道日記でキニ16を作られていることを知り、そう言えば撮っていたような?と、デジタル化されたフィルムを探索して見付けたのは、大学生時代に津田沼(?)で撮ったこれ。

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ところが、よく見たらキユニ19でした。当時は両国から千葉方面に、この列車が運行されていました。

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よく調べてみたら、複雑な経歴の車両だったらしいことが判明しました。

元はと言えば1953(昭和28)年に“湘南形”の顔を持ち、3両編成で登場した電気式気動車の中間車キハ44200形。それが1956(昭和31)年から1957(昭和32)年にかけて液体式に改造されてキハ19形となった後、1964(昭和39)年に常磐線の荷物輸送に充当する目的でキハ19 1、キハ19 3~キハ19 5が片運転台全室荷物車のキニ16形キニ16 1~4に改造され、さらに翌1964(昭和39)年に郵便荷物合造車のキユニ19形キユニ19 1~4に再々改造されたものだと。

写真のキユニ19 4は、千葉から亀山、伊勢、奈良と転属した後、1980(昭和55)年に廃車されたらしい。登場から10年あまりで3回もの改造を経た最終時の姿を捉えていたことになります。そうと判っていたら、もっと撮っておくべきでしたね。

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