鉄道(国鉄・JR)

2023年1月29日 (日)

トレインビューポイント

横浜駅で、行き交う列車を眺められる場所を発見しました。

再開発で誕生したJR横浜タワーなるビルに初めて入ってみました。6階にテラスがあり、眼下にJRおよび京急の横浜駅が望めます。

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南西方を望むと、左から京急、京浜東北線と、東海道、横須賀線の線路が見渡せ、地下深くに潜ってしまった東横線の線路跡も確認できます。

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ふと、半世紀前にこの辺りで撮っていた写真を思い出しました。国鉄(現JR東)と京急の線路を望める東西連絡跨線橋があったはず。

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そう思ってその跨線橋を探しましたが、今の姿がこれ。

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既に立ち入ることはできず、階段を上がった先からは撤去されてしまっています。

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列車を撮ろうと思うと、こんな姿しか収められず。プラットホーム上屋が邪魔で撮れません。

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まだこの先も再開発事業は続くようですから、また新たなトレインビューポイントを期待したいですね。

 

 

2023年1月13日 (金)

103系1000番台登場の頃

このブログの「他社線ご案内」でリンクさせて頂いている「ぼっちぼちの旅日記」、1月10日には1971年 初春 松戸駅にて  1971年 1月頃」なる記事が掲載されました。なんだかんだとお仲間内でのコメント書き込みがあったので、勝手にコラボして国鉄103系電車に1000番台が登場した時の記録に触れてみたくなりました。

1970(昭和45)年11月21日、この日は土曜日だったようです。懇意にさせて頂いていた国鉄職員のお心遣いだったように思いますが、松戸電車区に搬入されたピカピカの新車を目の当たりにできる機会がありました。こちらは代々木上原方。

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301系に似た正面ながら、アルミ車体ではないので薄いグレーにラインカラーをまとったデザイン。当時OER3001氏の住居最寄り駅は、各駅停車しか停車しない代々木上原だったので、行先字幕に「代々木上原」と表示された姿は誇らしいものでした。取手方のクハ103-1001には何か測定用のケーブルがセットされていました。 付いているケーブルは可搬式ATS-S車上子用だったとのことです。

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営業時は、中間車は全てモハという8M2Tの10両編成だったはずですが、この写真では8両編成だったようです。2両目は制御機器とパンタグラフを持つモハ103-1001。

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3両目は補助機器を担うモハ102-1001。手前に停車する車両の影がかかってしまいました。

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OER3001氏としては国鉄車両の模型製作する気など無いのですが、念のため職員氏にお願いして、模型作りには欠かせないパンタ周りも撮ってもらいました。

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それにしても地下鉄を走る車両って、どうして前が見えないのですかね。ATC関連機器だとかなんだとか聞きましたが、鉄道ファンとしてはここから前を見たいのです。

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結局この103系1000番台車両、営団6000系に比して大幅に多い電力消費や主抵抗器からの排熱問題などで不評を買い、1984(昭和59)年から203系へ置き換えられることになります。それまでの量産型103系の流用ではなく、最初からもっとしっかり設計しておけば良かったのにね。

 

2023年1月 9日 (月)

初詣?

渋谷駅の工事に伴い、山手線外回りの終日運休となった初日、塗料の調達のため渋谷へ行きました。幸い天気予報も外れ、青空も奇麗だったので、山手線運休区間の視察と相成りました。1964(昭和39)年の東京オリンピックの時に出来た国立代々木競技場第一体育館の屋根は、60年近く経っても優雅な美しさを魅せてくれます。

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水無橋から渋谷駅方向に目を向けたら、ちょうどN'EXが。

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原宿まで歩いたので、初詣で賑わう明治神宮境内へ。しかし混雑する参道を避けて参拝せず、ただ線路に近い車道を代々木に向かって歩きます。青山街道踏切ではちょうど相鉄車両に遭遇。

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その相鉄車両とすれ違うように、湘南新宿ラインが。

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もう一つ新宿寄りの踏切に行ってみるとまたN’EXが。

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待っていてもなかなか出会わないのに、なんだか良くN'EXに出合う日です。

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小田急の旧南新宿駅方向に歩き、旧小田急本社ビルを入れて小田急も撮ります。新5000形もずいぶん増えました。

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四谷角筈線と言うらしい道路の新宿1号踏切で、新宿駅を発車して来た下り電車も撮っておきます。

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いつもは上のようなアングルでの撮影ですが、今回は初めて反対側の人工地盤から狙ってみました。

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暫し小田急を撮ってから、サザンテラスとタカシマヤ側に架かる跨線橋からJRを。通常の70%という内回り電車です。

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レンズを目いっぱいワイドにしても、docomoタワーを上まで収めるのはどうしても無理です。

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それなら諦めて、中央・総武の黄色い231系をしっかり撮っておきます。

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という訳で、山手線外回り電車が終日運休の渋谷から新宿まで、初詣で賑わう明治神宮境内を抜けて歩いてしまいました。その他の区間も含め、この日は13,500歩あまり。健康な一日でした。

 

2022年12月29日 (木)

今日の一枚 No.151

いよいよ今年もあと3日になってしまいました。定年退職後は、毎日の生活は自分のペースでできるので、月末/月初だとか期末/期首だとかということとは無関係になっていますが、年の暮れだけは違います。やっぱり一区切りです。

こんな画像がありました。会社勤め初めて2年目の秋、鉄道趣味の管理職たちと訪れた北海道。ここが何処だったのか記録が無いのですが、追分だったかと思われます。

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澄んだ秋の空に月! 停泊するD51767のナンバープレートと共に、写せるかどうか分からないまま長時間露光してみた記憶だけがあります。

この一枚が、何となく年の瀬に相応しい気がして・・・。

 

2022年12月27日 (火)

ED42形電気機関車

言うまでもなく、信越線横川-軽井沢間のラックレール区間で活躍したアプト式機関車です。

国鉄大宮工場見学の際、工場北寄りの試運転線横に置かれた廃車体の中に、ED42 1号機を見ました。正面窓ガラスが割れていたり、ドア窓ガラスが無かったりと、無造作に置かれているようでした。

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しかしこれが、後に復元され保存されることになるとは。この年の10月14日に、準鉄道記念物に指定されて横川駅構内に移設されたということです。その後には動態化もあり、現在は横川の庫内に収められています。

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残念ながら保存車を屋外で見る機会はありませんでした。写真撮りづらいですが庫内に収納されていることで安心できます。

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復元保存にあたり、ナンバープレートも形式入りの大きなサイズに交換されていたのですね。恥ずかしながら写真を見て比較するまで気づきませんでした。

 

 

2022年12月25日 (日)

御殿場線の小田急

小田急の御殿場線乗り入れが開始されたのは1955(昭和30)年10月1日のこと、既に67年の歴史があります。

最初は当時のロマンスカー塗装と同じ、黄/紺塗装の気動車キハ5000形でしたが、増備されたキハ5100形と共にクリームに朱帯姿になって、1968(昭和43)年の御殿場線電化まで走りましたが、今思えば僅か13年間とは短いものです。

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電化となった1968年7月1日からは、3000形SE車を5両編成に短縮改造されたSSE車に交代。キハと同じ山北-谷峨間の第一酒匂川橋梁で撮影しています。

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SSE車「あさぎり」は1991(平成2)年3月15日まで23年間に渡って運用されますが、この間は度々撮影に出掛けていました。それでも奇麗な富士山と共に収められる機会は多くありませんでした。

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国鉄の分割民営化でJR東海となって、両社共通仕様の特急車両を新造して沼津までの相互直通運転となり、小田急が用意したのが20000形RSE。谷峨駅でJR東海の371系と交換する姿は、どうしても記録しておきたいものでした。

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371系は1編成しか無いため、定期検査時には小田急車が代行。そのため2編成の20000形RSE「あさぎり」が並ぶ光景も貴重な記録となりました。

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しかし、2012(平成24)年3月17日のダイヤ改正で小田急60000形MSEの6連による片乗り入れに戻り、運転区間も当初の御殿場までとなってからは、御殿場線区間での撮影に出掛けていないのです。

華やかだった時代が忘れられませんが、60000形も撮りに行かなくてはなりませんね。

 

2022年12月23日 (金)

今日の一枚 No.150

前回、「今日の一枚 No.149」に寄せられた“ぼっちぼち”さまからのリクエストにお応えして・・・

廃車解体待ちのD50 27を。1924(大正3)年9月、川崎造船所兵庫で9900形として新製、1928(昭和3)年にD50に形式変更 27号機となったもの。

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常磐線での活躍後、1950(昭和25)年以後新鶴見区所属を経て1957(昭和32)年から大宮工場内の入れ替えに従事。1960(昭和35)年に廃車となっていたようで、なんと廃車後7年の姿だったようです。

 

2022年12月21日 (水)

今日の一枚 No.149

この日は国鉄大宮工場の見学に行っていました。知り合いのお力添えで実現したと記憶しています。

外の試運転線では、検査後のC58 184号機が行ったり来たり。

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まだ蒸気機関車の定期検査をしていた時代だったのですね。今となっては貴重な記録です。 C58 184号機が進む先には、解体を待つD50 27号機の姿もありました。

 

2022年12月17日 (土)

「SL銀河」撮影行⑤

釜石駅近くの甲子側で撮った後は陸中大橋へ急ぎます。

いかし残念ながら現地への到着は「SL銀河」同駅発車時刻間際だったので、発車シーンを諦めてここに。それでも人々の間からレンズを入れるのが精一杯でした。

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次なる場所は、煙は期待できない下り勾配区間ですが、足ヶ瀬-平倉間の開けた場所としました。

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道路に横一列に並んだカメラ前を行く列車、キャブから手を振ってくれています。こちらに手を振ってくれる乗客たちに、撮影が終わって手を振って返礼、11時28分のことでした。

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この後、遠野で約2時間停車する「SL銀河」なので、ゆっくり昼食を摂ることにします。

すっかり冷えてしまった身体を温めるべく「遠野そば まんてん」に入ると、壁面に掲げられた地産地消に魅かれます

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きのこそばにしました。

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空腹を満たした後は、岩手二日町-荒谷前に向かいます。先ずは12時55分、釜石行きの「快速・はまゆり」が来ました。

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温かいそばを食べたと言えど、さらに1時間ほどをここで待ちます。ようやく目的の列車が来たのは14時5分のことでした。

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最後の場所は宮守等を諦めて高速で新花巻へ向かうことにして、花巻-似内で待ち受けることにしました。15時12分に撮影完了。この日の「SL銀河」撮影予定は終了となりました。

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「SL銀河」撮影の後にも一つ計画がありました。それは次回と言うことに。

 

 

2022年12月15日 (木)

「SL銀河」撮影行④

二日目の朝を、満室の「ホテルルートイン釜石」で迎えます。

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前日から2日間の“足”はこれ、2103です。

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間違えました、こちらの2103。カローラフィールダー盛岡500 わ 21-03でした。

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「ホテルルートイン釜石」が満室で取れず、少々お高い釜石駅隣接の「ホテルフォルクローロ三陸釜石」にお泊りのRO氏のお迎えです。

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JR釜石駅の右端に三陸鉄道釜石駅。

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9時3分発の盛行の発車も近かったので、以前から撮りたかった製鉄所バックの撮影のため、甲子川を渡った側に急ぎましたが、既に何人かがカメラを構えていました。

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3月に訪れた際にこの鉄橋を渡って盛へ向かったことを思い出しつつ、製鉄所バックの姿を収めることができました。

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その後は主目的の「SL銀河」撮影ポイントを探索します。前日見た洞泉駅へ向かうことは断念し、釜石駅に近い甲子側橋梁で撮ることとしてトレーニング。釜石8時57分着の列車はキハ100の4連です。先頭(右)から16-13-15-27、結構な乗客数でした。

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釜石駅からは9時3分発の2本の列車があります。先ずは久慈行きの三陸鉄道が2両編成で。

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同時刻発の筈ですが、JR釜石線花巻行きキハ100の2両編成はなぜか1分遅く通過して行きました。

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9時27分になると宮古からの三陸鉄道が来ましたが、今は数を減らしている創業以来のキハ36形でした。

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そうしているうちに、釜石駅で出発式を終えた「SL銀河」が通過して行ったのは9時59分。

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この場所で待機している間に岩手日報の記者から声を掛けられていましたが、その岩手日報には向こう岸でカメラを構えるファンの姿と共に捕らえた写真と記事が掲載されたようです。

 

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